第3章

日常と彼女4

 紫月は石の鳥居をくぐった。


 鳥居にはところどころ苔が張りついている。

 石が風化して欠けている部分もある。

 恐らくここが神社だと知っている者にしか鳥居と認識できないだろう。


 足場の悪い石段を慎重に踏みしめながら上っていく。


 石段の両端には、屋根の上に落ち葉を積もらせた赤灯籠がずらりと立ち並んでいる。

 中には斜めになって倒れかけているものもあるが、きちんと整列して参拝者を迎えてくれる。


 神社を取り囲む鎮守の森は、紅葉で色鮮やかに彩られている。

 赤、橙、黄の葉が天井のように空を覆い隠している。


 最後の1段を乗り越えて、やっと境内に辿り着いた。

 膝に両手をついて呼吸を整え、紫月は手水舎へと移動した。


 手水舎は、参拝する前に身を清めるための場所だ。

 神社の参拝にはいくつか作法があり、手水舎で身を清めるのもそのうちの1つだ。


 まずは右手で柄杓を取り、水をすくって左手にかける。

 次に柄杓を左手に持ち替え、水を右手にかける。

 もう一度柄杓を右手に持ち替え、左手に水を注いで口をすすぐ。

 それから、さらに左手に水をかける。

 最後に柄杓を垂直に立てて柄の部分を水で洗い流し、元の位置に戻す。


 この手水舎の水は川の水だ。

 山の泉から流れてきた水が川となり、その川の水を手水舎に通わせている。

 そのため、手水舎の水は清らかで冷たい。


 紫月はスラックスのポケットからハンカチを取り出して手を拭いた。


 境内はいつものように無人だった。

 ひたすら閑寂で、鎮守の森のさざめきがこだましているのもはっきりと聞こえた。


 朽ちかけた拝殿を守るようにして鎮座しているのは、1対の狛犬――阿形と吽形だ。

 彼らも苔むしてしまっているが、鋭い眼光は衰えていない。

 まるで参拝者の心の中を睨みつけているかのようだ。


 財布の中を探る。

 10円玉があったので、賽銭箱にそっと落とす。

 錆びて音が鳴らなくなった鈴を揺らし、神の足音を聞き取ろうと耳を澄ませる。


 2礼、2拍手。

 瞼を閉じて、叶うはずもない願いを心の中で唱える。


 ――お母さんの病気が治りますように。


 瞼を開きかけて思い出す。


「おっと、忘れるところだった」


 紫月はもう1つ願った――神代さんの病気が治りますように、と。


 1礼して踵を返し、背の高いもみじの木を仰ぎ見る。


 神代さんはこのもみじの木が好きだと言っていた。

 僕も好きだ。

 好きな子と一緒に好きなものを見上げるのって、一体どんな感じなんだろうな。

 楽しいのかな。

 幸せなのかな。


 風に吹かれてもみじの葉が落ちる。

 地面を見下ろしてももみじだらけだ。

 落ち葉が降り積もって赤い絨毯と化している。


 神代さんとこのもみじの木を見上げる日が楽しみだ。

 神代さんに告白するのはここにしよう。

 ここで好きだと伝えよう。

 ここでなら言える気がするから。


 紫月は決意を胸に秘め、夕日で燃え上がる村へと駆け下りていった。

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