日常と彼女2

「あいつら、まだ来てねぇのかな?」


「そんなことはないと思うよ。2人共、いつも僕たちより先にいるから」


「じゃあ、また瑠璃のしょうもない悪戯か」


 郁弥は教室のドアをそっと開いた。


 しかし、黒板消しが上から落ちてくることもなければ、ドアの前が机や椅子で塞がれていることもなかった。


「慶吾、右を取って」


「右ってどっちから見て?」


「瑠璃から見て。ほら、早く早く。って、ちょっと! なんで左を取っちゃうの! そっちは右じゃないってば!」


「いやいや、右を取れって言われて取るわけないでしょ。相変わらず瑠璃は単純だな」


 教室の中にはトランプで遊んでいる2人がいた。

 どうやら2人でババ抜きをしていたらしい。


 勝ったのは香咲慶吾こうさきけいご

 黒縁の眼鏡をかけた冷静沈着な少年だ。

 勉強もできるため、テストの前は皆から頼られる。


 負けたのは饗庭瑠璃あえばるり

 夏に日焼けした茶髪を短く切り揃えた子供っぽい少女だ。

 身長の低さがコンプレックスで、よく中学生と間違われる。

 村中のおじいさんやおばあさんに可愛がられているが、彼女は子供扱いされることが我慢ならないようだ。

 私服でも赤いネクタイをつけている。


「おはよう、紫月、郁弥」


「おはよう、香咲くん」


 郁弥は片手を挙げて「おっす」と答えた。

 瑠璃は間延びした口調で慶吾に続いた。


「ねぇ、紫月と郁弥もババ抜きしようよ。4人でやれば誰かには勝てるんだから」


「瑠璃は誰にも勝てねぇよ」


「はぁ? どういう意味?」


「瑠璃はわかりやすいんだよ。表情でババの位置がわかったらババ抜きにならねぇだろ。騙すのも下手だしな」


「そんなことないもん! 郁弥は馬鹿だから騙せるし!」


「うるせぇ、ちび」


「もうっ、ちびって言うなっ! ちびは禁句っ!」


 いつものように喧嘩が始まり、いつものように慶吾がなだめる。

 いつものように紫月は苦笑する。


 だが、いつもが1つ足りない。

 1人足りない。

 柔和に微笑む神代礼佳が足りない。


 紫月は隣の席を横目で見やった。


「神代さん、今日も休みなのかな?」


 呟くようにそう言うと、後ろから郁弥が背中をたたいてきた。

 意味深長ににやつく彼には全てお見通しのようだった。


「愛しの神代さんがいないと寂しいな。また見舞いに行ってやれよ。俺たちは邪魔しねぇからさ。好感度をぐっと上げるチャンスだぞ」


「もう、不純。紫月は純粋なんだから穢さないであげてよね」


「まあ、紫月ならいけるって。多分、礼佳もお前に気があると思うぜ。あと一押しだ。女子ってのは案外単純なんだよ。瑠璃みたいにな」


「ちょっと、聞き捨てならないんだけど! 瑠璃は単純じゃないってば! ねぇ、慶吾?」


「いや、瑠璃が単純であることには同感だよ」


「ひどい! じゃあ、紫月は?」


「あ、あはは、ごめんね、饗庭さん」


「むぅ、もう単純でいいですよーだ!」


 頬を膨らませた瑠璃は、両腕を組んで鼻から息を吐いた。

 頬が萎むと、彼女はふっと神妙な面持ちになった。


「礼佳が心配だな。早く退院できるといいんだけど」


 紫月はこくりと頷いた。


 風邪をこじらせて肺炎になった礼佳は、2週間前から村の小さな病院に入院している。

 放課後は4人で果物や花を持って見舞いに行っているが、一向によくなりそうな気配はない。

 彼女いわく日ごとに悪化しているらしい。


 昨日はしゃべるのも辛そうだった。

 顔面は蒼白で、元より白い肌に白粉を塗っているかのようだった。

 感染を危惧して、看護師からは見舞いはしない方がいいと言われた。


「瑠璃は紫月を応援してるからね。紫月は礼佳に相応しいと思うな。あっ、礼佳の親友が言うんだからちゃんと信用してよ」


「うん、ありがとう」


「俺たちも全面的に協力するぜ。なっ、慶吾?」


「露骨にならないくらいにはね。郁弥、あまりやりすぎて台無しにするなよ?」


「わかってるって。恋愛のことなら俺が一番よく知ってるぜ」


 郁弥には高校3年生の恋人がいる。

 彼女をバイクに乗せて町までデートに行った話を何度か聞かされたことがある。

 彼女とはもう5年も付き合っている。

 確かに、恋愛のことを熟知していなければ年上と五年も続かないだろう。


 紫月は頬を赤らめながらはにかんだ。


「み、皆、ありがとう。でも、やっぱり好きな子がばれるなんて恥ずかしいな。もしかして、ずっと前から気付いていたの?」


「当たり前じゃん。俺たち、生まれて間もない頃からの付き合いなんだぜ? 何を考えてるかなんて一発でわかるって。これが以心伝心っつーの?」


「慶吾先生、以心伝心ってなーに?」


「瑠璃、中学校の国語で習ったよ。文字や言葉を使わなくても心が通じ合うってこと」


「ふーん、なんかいいね。瑠璃たちも以心伝心?」


「そうに決まってるだろ。特に瑠璃はわかりやすいからな」


「はいはい、瑠璃は単純ですよ! じゃあ、瑠璃は今何を考えているでしょうか?」


「どうせ弁当のことだろ?」


「えっ、すごーい! 今日はハンバーグだから早く食べたいなーって思ってたところなの。郁弥って、超能力者だったの?」


「そんなわけねぇだろ。だから、瑠璃は単純なんだって。いっつも食べることしか考えてねぇだろ」


「失礼な! それ以外のこともちゃんと考えてますぅー!」


 瑠璃が再び頬を膨らませると、教室のドアががらりと開いた。

 紫月は礼佳の登校を期待したが、教壇に上がったのは担任の先生だった。


「おはよう、皆。礼佳は今日も欠席か。よっぽど肺炎がひどいんだな。皆も気をつけろよ。温度の高低差が激しいと風邪を引きやすいからな。さて、ホームルームを始めようか」


 先生は教卓の上に両手をついた。


 今日も礼佳のいない1日が始まる。

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