私、口説かれてる?
朝。
学校の入り口で、中を覗き込んでいる芦立千尋がいる。目線を泳がせて、行き交う人を確認しながら、ある人がいないことを確認した。校舎に入って何メートルも歩かないうちに、千尋を呼び止める声が、校舎中に響き渡る。
「チーちゃーん!
駆け寄って、千尋に抱きつく。
「おはよう。チーちゃん」
「おはよう」
「あれ? なんか表情、暗くない?」
「別に、そんなこと、ないよ」
「じゃ、行こうか」
「澪ちゃん、講義、別じゃない?」
「そうだー。うっかり」
テヘペロ。
「それじゃ、教室の近くまで一緒に行こう」
彼女は、千尋の腕に手を回して、校舎の中へ歩いて行った。
どうしてこうなった?
腕の中で、
「お姉様」
意識の回復した彼女は、大学の医務室で寝ている。あの後、朦朧としている彼女を抱えて医務室へ運び、寝かせた。少しの間、寝息を立てて、目を覚まして彼女は言う。
「助けてくれてありがとうございます」
あの時のことを覚えているの?
「お姉さま、名前を教えてください」
「わ、私の名前は…」
「ごめんなさい。あたしから名乗るべきでしたね。鈴木
「
「はじめまして」
うるうると瞳を潤し、鼻声の澪。
「あたし、なんであんなこと、しようとしたんでしょう」
悲しみと困惑と、戸惑いと苦しみを混ぜたような、かすれ声で言った。
「だいじょうぶ。あなたに憑いていた嫌な奴は、私がやっつけたから」
「やっぱり! 夢じゃなかったんですね」
夢にしておけば良かったかな。
「あたし、彼に振られて、落ち込んでて…」
「そう」
「千尋さんはあたしの救世主です!」
「救世主だなんて、大げさだよ」
「あたしの命を救ってくださったのです。是非! 友人に、学友に、恋人にしてください」
千尋の手を強く握りしめて、澪は、頬を紅く染める。
「恋人はちょっと…。ノンケなので」
「それじゃあ、恋人候補に」
う~ん。この辺が妥協点か?
「わかった」
「それじゃあ、これから、チーちゃんって呼ぶね」
「お、おう」
「あたしのことは、澪って呼んでください。そうだ! 連絡先、教えてください」
生気を失ったさっきまでの姿と打って変わって、突然、元気になる。なんか、不思議な娘に好かれちゃったな。断ると悪いので、連絡先を交換した。
失策だった。かといって、あの場で断るのは、女の子と付き合ううえで、避けることはできない。
毎晩、SNSに怒涛の如くメッセージが届き、既読スルーすると、翌日、問い詰められる。あまりにも学校でのエンカウント率が高いので、登校時間をずらしたり、教室へ行く道を替えたりしたが、あっという間に見つかって、まず腕を組んで、SNSでの塩対応を叱責され、帰りまで待ち伏せするので、さすがにこれは、命の危険を感じた。
弁財天の神域で、鈴木澪について相談した。
「以上が事の顛末です。弁財天様」
「良かったな。彼氏ができたじゃないか」
「彼氏じゃないし!」
「それは冗談として、破魔の力を覚えられていたのはまずかったな」
「ですね」
「だが、これからおまえの男性恐怖症を治してゆく過程で、避けて通れない」
「はい」
「彼女がなぜ、おまえに好意を寄せているのか、考えられる可能性は二つだ」
「ひとつは?」
「女性として恋をしてしまった」
「勘弁してください」
「ふたつ目は、振られた彼の代替としてだ」
「心の隙間を埋めちゃった的な奴ですか?」
「霊に憑かれ闇落ちした原因が解消されない限り、いくら霊を払っても、また、憑かれる。その原因を解消してやることだな」
「自分の彼氏すらできないのに、他人の娘に彼氏を作るなんて、無理ゲーです」
「よく考えてみることだ」
千尋はその足で、宮司の元を訪れた。
「佐藤さんは、どうして悪霊に憑かれるほど、落ち込んでいたんですか?」
「いきなり、ストレートな質問ですね」
「弁財天様に、悪霊は祓ってもその原因を解消しないと、また憑かれると聞いたもので」
「その理由は、親との確執です。私は宮司を継ぎたかった。親は良い学校を出て大会社に就職して欲しい。何度も言い合いをしました」
「珍しいですね。普通、家業を継ぐと言えば、親としては嬉しいことだと思うんですけど」
「神社の収入ってわかる?」
「お賽銭ですか?」
「おみくじとか、結婚式とか、あるけど、うちみたいな小さな神社の収入なんて、たかが知れてる。宗教法人だから非課税だけど、それでもギリギリ生活できるレベル」
「へー、そうなんですか」
「うちの父も会社員と宮司の兼業だし、母も巫女とパートの兼業だ。そんな大変な思いを私にはさせたくなかったのでしょう」
「でも、神社に宮司は欠かせませんよね」
「小さな神社は、複数の神社の宮司を兼業していることもあるよ」
「それで、跡継ぎ問題は解決したんですよね?」
「今は宮司と在宅でプログラマーの兼業してます。親もそれで納得しました」
「そうですか。良かったですね」
「ところで、改めて私を救ってくださったお礼をしたいと思っていまして…」
「そんなの、別にいいですよ」
「食事でもどうですか?」
え? 私、今。もしかして、誘われてる?
「はい」
「良かった」
千住の街に夜の帷が降りて、店のネオンが輝き出す。
千尋は、生まれて初めて、男性のお誘いを受けて、食事へ行こうとしている。これって凄いことだよね。生まれて18年と10ヶ月。私に初めての彼氏候補ができました。弁財天様ありがとう。
宿場町通りを歩いて、ふと路地を右に折れる。創作洋風料理を食べられるお店に入る。薄暗い店内だが、ヨーロッパ風のインテリアに和風の敷居が調和していてる。料理も、パスタやピザ、サラダにおしたし、漬物や煮物もある。
「芦立さんはお酒飲めませんよね」
「一応、法律的には」
「私はお酒をいただきます」
「どうぞ! どうぞ! 私はウーロン茶で」
グラスを合わせて、キンと鳴らす。
「改めて、助けて頂いてありがとうございました」
「どういたしまして」
「その力はいつ頃、覚醒したんですか?」
「物心ついた時には、既に使えてました」
「天賦の才という訳ですね」
「宮司を継ぐことに、すごいこだわっていたそうですが、何故ですか?」
「子供の頃から神社が遊び場でしたから。あそこが好きなんですよ。私はひとりっ子ですし、家業は継ぐものだと、子供の頃から思っていました。だから、親の反対は意外でした」
「良かったですね。丸く収まって」
「そうですね」
千尋と巌のテーブルのはるか後ろで、鈴木澪が食事をしていた。二人の姿を見ながら、嫉妬の念で生ハムを口へ入れる。
「その男誰よ」
恋の願いは七福神では叶わない! おだた @odata
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