男性恐怖症治ってないじゃん!

 目が覚めると、そこは見知らぬ木目の天井。襖に障子。寝ているのは、布団? 布団で寝るなんて、修学旅行か温泉旅行以来かな。障子は白く光っている。畳から、い草の爽やかに香りがする。昨夜、宮司さんを助けて、神社まで運んで、ここは?


 障子の向こうに人影が落ちる。

「おはようございます」

 千尋は、ハッと起き上がった。

「おはようございます」

「障子越しで失礼します。昨夜は助けていただき、どうもありがとうございました。私、仲町氷川神社で宮司を務めさせていただいております、佐藤いわおと申します」

「どういたしまして。私は芦立千尋といいます」

「昨夜は遅くにございましたので、社務所にお泊りいただきました。ご気分はいかがですか?」

「すっごく良く寝ました」

「この障子戸を出て左へ廊下を進みますと、トイレと洗面台がございます。身支度がお済になりましたら、社までお越しください」

「はい。わかりました」

 障子に落ちていた影が立ち去る。


 ポケットからスマホを取り出す。午前10時になろうとしていた。

「やっば。ずいぶんと、ゆっくり寝ちゃったな」




 社へ行くと、佐藤さんがいた。

「どうもすみません。こんな時間まで寝てしまって」

 彼は、深くお辞儀をする。

「私こそ、命を救っていただき、ありがとうございました」

「覚えてるんですか?」

「いえ。まったく覚えていません。弁財天様に教えていただきました」

「宮司さんも弁財天様が見えるんですか?」

「昨夜、初めてお目にかかりました」

「私とおなじですね」


 どうしたんだ? 私。いつもなら緊張して話すどころか、顔を合わせることすらできないのに。男の人と、目を合わせて、普通に話せてる。


「芦立さんは、千住に越してこられたとか」

「はい! 東京電機大学に入学して、春から通学するため引っ越して来ました」

「わざわざ、千寿七福神を巡ったとか」

「氏神様に、ご挨拶をと思いまして…」

「理系の大学へ通う方が、神頼みとはめずらしい」

「科学で解明されていないことなんて、山ほどあります。神もそのひとつです」

「願いは叶いましたか?」

「叶えてくれたのかも知れません」

「朝食、まだでしたね。ご用意しましょうか?」

「いえ、今日は帰ります」

「そうですか。またいらっしゃってください」

「はい。よろこんで」




 芦立あしだち千尋の大学生活が始まった。


東京電機大学千住キャンパスは、2012年4月に開設した、比較的新しい校舎だ。北千住駅東口徒歩1分のところにある。校舎は白く四角くく鋭利で、太陽の光を反射し、レーザー光線の様に地を這う人を射貫く。直視するには専用のサングラスが必要だが、千尋はそんな校舎を、興奮して見上げた。

 校内は、新しい壁。新しい天井。綺麗で清潔なのは、埃を嫌う精密機器に配慮したものなのかも知れない。

 電機大学という理系の大学だから、圧倒的に男性が多いのかと思ったら、意外と女の子も多い。サークルに入ったら、きっと友達もできるんだろうなあ、と思ったが、女性だけのサークルってないなかぁ。それよりも彼氏ができるかな? 男性恐怖症は治ったんだし。




 教室に入って、その希望的観測は打ち砕かれた。


 男性をただ見ているだけなら問題ない。それは街を歩いていても、電車に乗っていても、日常の風景として溶け込む。ひとたびコミュニケーションをとろうとすると、緊張してなにも話せなくなる。電機大学だから生徒の男女比は圧倒的に男性が多い。それもわかった上で入学した。私には、完全人型ロボットを創る夢があるのだから。




 教室の一番後ろの、出入り口に近い角に座って、授業を聞くようにした。なるべく、男性とかかわらないように。


 ふと、足元に消しゴムが転がってきた。隣の席の男子だ。これは無視しよう


 そう決めて、授業に集中していたが、隣の男性が、やたらと消しゴムを探している。もう、しょうがないな。千尋は消しゴムを拾って、彼の前にそっと置いた。

「拾ってくれたんだ。ありがとう」

 千尋は顔を合わせることなく、言う。

「いえ、どういたしまして」

 緊張の極限から、なんとか言葉を絞り出した。なんだよ弁財天様。男性恐怖症、治ってないじゃん。




 授業が終わると、隣の男性が声を掛けた。

「消しゴム、ありがとう」

「ど、ど、ど、どういたしまして」

「もし良かったら、お昼でも一緒に食べない?」

 プツン! と緊張の糸が切れて、千尋は教科書やノートを慌ててバッグにしまい、逃げるように教室を出た。


 無理無理無理無理。


 やっぱり、男性と話すのは無理だよ!




 千尋は弁財天の神域に駆け込んだ。

「男性恐怖症、治ってないじゃん!」

「治す力になると言っただけで、治すと言ったわけじゃないんだけどな」


 千尋は、弁財天に詰め寄った。


「だったらその力とやらを発揮してくださいよ」

「残念ながら、あたしはそっち方面の神ではないから」

「安請け合いですか?」

「すまん」

「他にいないんですか? 男性恐怖症を克服する神様。あなたたち七福神でしょう?」

「寿老人に訊いてみよう。あいつは長寿の神だから、男性恐怖症を克服してくれるかもだぞ?」




 寿老人が奉らているている元宿神社は、荒川にかかる西新井橋の近くにある。弁財天とともに神域へ入る。神域は、ぬいぐるみやフィギア、ドールハウスなどの可愛いモノであふれている。

 可愛いに囲まれた中心に、小学生ぐらいの女の子がいる。

「寿老人じゃ。よろしくの」

「あの、伝承だと老人の姿ですよね?」

「お主が男性恐怖症と聞いてな、小学生に女体化してみた。合法ロリ。ロリババアじゃな。可愛いモノが好きであるがゆえ、ちょうど良い。最近の世の中には、可愛いモノで溢れているからの」

「はあ」

「さて、お主の男性恐怖症じゃがな、治す方法はあるぞ」

「どうすれば良いんですか?」

「破魔の力を使って、悪霊に憑かれている人を救え」

「それで良いんですか?」

「悪霊に食われる危険と背中合わせだ。やるか?」

「やります! それで私の男性恐怖症が治って、取り憑かれている方の悪霊を祓うことができるなら、お互いにWin-Winじゃないですか」

「その意気やよし。ならば、さっそく祓って欲しい悪霊がいる」

「わかりました!」




 北千住駅西口のペデストリアンデッキに千尋と弁財天と寿老人がいる。

「あの、ここでなにをしろと?」

「行き交う人を見よ。悪霊の憑いている人が見えよう」

「はい。見えます」

「片っ端から悪霊を退散しろ!」


 こんな往来の白昼で、そんなことできるかー!

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