恋の願いは七福神では叶わない!

おだた

悪霊退散!

 春。


 桜がピンクの花をその木にたわわ、咲き誇るとき、芦立あしだち千尋は、東京都足立区千住にある、東京電機大学に入学した。大学進学あわせて、千住に引っ越した。初めての独り暮らしだ。


 パンパン!


 千寿七福神が一柱、弁財天が祀られている、仲町氷川神社に柏手を打つ音が響く。

「彼氏ができますように!」

 手を合わせているのは、芦立千尋。うなじが見えるほど短いショートカットには、メッシュが入っている。大きな胸を揺らしながら一礼をして、神社を後にする。


 鳥居をくぐったところで神社を振り返る。

「これで千寿七福神。全柱、参拝終了~。七福神に彼にお願いしたんだから、できるよね? 彼氏」


 男性恐怖症の芦立千尋にとって、彼氏ができたら、生涯18年10ヶ月に初体験する一大事だ。




 子供頃から、人に憑いている「嫌な」雰囲気を感じとることができた。当時、流行っていた動画サイトにハマって「悪霊退散!」というセリフに合わせて手を振りかざすと、その「嫌な」雰囲気を滅する事ができた。それが理由で男子にいじめられた。すっかり男性恐怖症になった。


 以来、男性とはなるべく目を合わせないよう、接しないよう、話さないよう、振る舞ってきた。新居の内見へ行くときも、女性の従業員を指定して、男性しかいない場合は断った。


 新居で荷をほどいて一息ついた時、千尋は、氏神様へ挨拶をしたいと思った。もっとも、電機大学に入学するぐらいなので、ガチガチの科学教なのだが、神様のことは、なんとなく信じている。信じている、というより、感じているといった方がいいかも知れない。


 七福神なら、私の男性恐怖症を治して、彼氏を作ってくれるに違いない。そう願って、千尋は、神を詣でた。




 仲町氷川神社の社務所から、若い男性が出てきた。神主の服を来たそれは、ここの宮司に違いない。

 その宮司から「嫌な」雰囲気を感じた。まるで、黒いオーラをまとっているような、言葉では言い表せない、嫌な感じだ。


 ふと、頭に直接、女性の声が聞える。

「お主、あの者に憑いている悪霊が見えるのだな?」

 なに? 誰? 周りを見回すが、誰もいない。

「ちと、こちらに来てくれ」


 振り返ると、社の横に細い道がある。あれ? あんな路地あったっけ? 千尋は吸い寄せられるように、その路地へ歩み入った。

 路地は社の真裏まで続いていて、そこに扉がある。千尋は扉を開ける。中は、東南アジア風に飾られた部屋が合った。

「入って」

「はい」

 部屋の中には、やはり東南アジア風の、肌面積の多い民族衣装に身を包んだ女性がいた。




「ようこそ」

「初めまして」

「あたしは、弁財天。七福神を詣でてくれてありがとう」

「どういたしまして」

「さっそくだけど本題に入るわ。あなた、宮司の悪霊を見たわね?」

「悪霊? というのかどうかわかりませんが、嫌な感じは見ました」

「それが悪霊。あなた、悪霊を祓う力を持っているのね」

「よくわかりませんが、悪霊退散! と叫んで腕を振り下ろすと、嫌な感じが消えることはあります」

「破魔の力よ」

「へー、そんな力があるんですね。私」

「今まで、わかって使っていたのではないのか?」

「そんな気がするという程度で使ってました」

「まったく、その力がどれだけ凄いことと知らないとは…」

「私、理系なんで、悪霊とか幽霊とか、今のところ信じていないんで」

「今のところ?」

「科学で証明されていないことなんて山ほどあります。むしろ、新しい科学的発見をすると、それを証明するために、さらなる科学的発見をしなければならない。なので、私の中で悪霊や幽霊は、科学的に証明されていない『何か』という分類です」

「アッハッハッハッハ! 今まで色んな人間と会ったが、おまえのような奴は初めてだ」

「恐れ入ります」

「その理論でいうと、あたしもその何かに分類されるんだな」

「はい」


「さて、本題に入ろう。おまえが見たあれを悪霊と仮定してくれ。おまえが今までやってきた、悪霊退散! で祓うことができる。是非、祓って欲しい」

「お安い御用です」

「しかし、件の悪霊はかなり深く根付いている。もっとも顕現したときに祓わないと効果は薄い。顕現するのは深夜が多い。その時が来たら力を借りたい。協力してくれるか?」

「何時頃ですか?」

「夜中が一番、顕現しやすい」

「寝てますね」

「礼はする。おまえ、男性恐怖症だそうだな」

「はい。よくご存じですね」

「さっき、詣でていたではないか。その男性恐怖症の治療に力をかそう」

「ホントですか!? ありがとうございます!」




 草木も眠る丑三つ時。現代でいう午前二時過ぎ。陽とともに生きるモノが、深く眠っている時。三時を過ぎると夜が明るくなり始める。夜明け前が最も暗い。故に人はこの時を恐れた。ゆえに、人は死を丑の刻にゆだねる。


 千尋も深く眠っていた。耳元で、弁財天が囁く。

「千尋、起きろ」

「う~ん」

 なんとか眼を開ける。

「弁財天様…」

「奴が顕現した。今こそ祓う好機だ」

「わかりまして」




 宮司は社務所を出ると、まるで泥酔した様に、フラフラとしながら、あてどころ無く歩き出した。そのようすを、千尋と弁財天は見ている。

「どこへ行くんでしょう?」

「ついて行こう」


 彼は、千住大橋の歩道を上り始めた。


 アーチ状の鉄骨に、街灯が光って暗闇の元にある道を明るく照らしている。二車線の車道を走る車はもとより、歩道を歩く人影は途絶え、深夜のひと時、静寂に眠っている。橋の下を流れる隅田川は、ほの暗く静かにたたずみ、周りに建ち並ぶマンションの明かりを照り返している。


 彼は欄干に手をかけた。黒いオーラが燃え上がるように立ち上ると、靴を脱ぎ始める。

「まずい!!」

 脱兎の如く走って、彼にむかって手を振り下ろす。

「悪霊退散!」

 白刃の様な閃光が彼を薙ぎ払う。悪霊が、断末魔を叫んで空へ消えて行く。彼は、ふらりと倒れる。


 千尋が駆け寄って、彼の様子を見る。

「もしもし! だいじょうぶですか!?」

 呼吸はしている。

「だいじょうぶ。気を失っているだけだ」

「そうですか。良かった」

「それで、彼の体を揺り動かして、恐怖症はどうした?」

 その時、始めて、自分が男性の体に触れていることに気がついた。いつも沸き起こる、嫌悪感は無い。

「あれ? どうして私?」


「こいつをここに寝かせておくわけにはいかん。社へ連れて帰ろう」

「私、理系なので、男性を担ぐ体力なんてありません」

「安心せい。あたしが担ぐ」


 弁財天が宮司を担ぎ、神社へ帰る。




 彼が目を覚ますと、そこは妖艶な雰囲気の漂う東南アジア風の部屋だった。

「目が覚めたか?」

「あなたは?」

「弁財天だ」

「そうですか。あなたが私を救って下さったのですね」

「救ったのは、あいつじゃ」

 千尋は横でスースーと寝息をたてている。

「この女性は?」

「破魔の力を持つ者だ」

「巫女ですか?」

「宮司のお主なら知っていよう。巫女は宮司のたんなる使い。こいつの位はもっと高い」

「?」

 弁財天は、微笑みながら、安らかな寝顔をの千尋を見続けた。

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