「お前を愛する事はない」と言われたけど、政略結婚の相手がモフモフの可愛いニャンコだった

戯 一樹

第1話



愛莉あいり様、こちらでございます」



 獣王様の従者で、狼族の獣人でもある琥珀こはくさんの案内の元、わたしは板敷きの長い廊下を静々と歩く。



 今日、わたしは獣王様の家に嫁ぐ。

 獣王が統治する東方連合国との国交を結ぶための、政略結婚として。



「──緊張されていますか?」

 黙々と歩く私に、琥珀さんが後ろを振り返って声を掛けてきた。

 見た目はわたしたち人間と大して変わらない。年齢はたぶん、十六歳とわたしとそんなに大差ないように見える。

 真っ白な髪に、鼻梁がはっきりした綺麗な顔立ち。黙っていれば女性に見えそうなほど体の線が細いけれど、琥珀さんはれっきとした男性だ。

 それは上下黒のぴっちりとしたスーツからしてわかるし、意外と骨張った手足と喉仏からして歴然としている。

 何より目立つのは頭の上にある真っ白な犬耳(狼耳って言うべき?)とフサフサとした尻尾だけれど、この部位を見ただけで、



 ──ああ、わたし、本当に獣人の国に来ちゃったんだなあ。



 と、思わず感慨に耽ってしまうものがあった。

 なんて無言で考え込んでいたのを緊張していると捉えてしまったのか、琥珀さんは依然としてわたしに顔を向けながら、

「まあ無理はありませんか。獣王といえば、我が国を攻めてきた何百という敵兵をひとりで薙ぎ倒したという逸話があるくらいですから。人間である貴女なら、なおさら緊張してしまうかもしれませんね」

「え? あ、はい……」

 そんな逸話があるの、獣王様って……。

 お父様の言い付けで、ほとんど有無を言わさず嫁がされてしまったけれど、まさかそこまで怖そうな人だとは思ってなかった。

 嫁ぎに行く前に知りたい事が山のようにあったのだけれど、どうしてかお父様は、わたしに何も教えてくださらなかった。

 たぶん、余計な情報を耳に入れさせて恐怖させるよりは無知のまま行った方がマシって考えたのかもしれないけれど、せめて見た目だけでも教えてくださってもよかったのに……。

「その様子から察するに、愛莉様は獣人と接するのも初めてといった感じですか? 愛莉様は水の国……人間ばかりの国の姫様でもいらっしゃいますし、人間としか関わった事がないとしても不思議ではありませんが……」

「い、いえ。何度か社交界で顔を合わせた事はあります。ただ社交辞令程度で、そこまで会話した事はありませんが……」

「なるほど。だから私と話す時もどこか強張った顔をされていたのですね。心配せずとも別に取って食ったりはしませんよ。獣人と言っても人間より身体能力が高いというだけで、別段それ以外は人間と何も変わりませんから」

 見た目だって大して変わらないでしょう? と微笑する琥珀さんに、わたしは「す、すみません!」と謝罪を口にした。

「決して悪意や嫌悪感があって接しているわけではないんです! ただ、獣人の事をそこまで知らないものですから、つい萎縮してしまって……」

「そうでしたか。こちらこそ勝手な思い込みで発言してしまい、申しわけありませんでした」

 立ち止まって深々と頭を下げる琥珀さんに、わたしも慌てて「いえいえ、そんな!」とかぶりを振る。

 まだ会って間もないけれど、琥珀さん、真面目で誠実そうな人で少しホッとする。

 獣人の中には人間を毛嫌いしている方も多いと聞くから、こうして友好的に接してくれる人が間近にいてくれるというだけで、多少なりとも気持ちに余裕ができる。

「人間は獣人を怖がる傾向にあると耳をしていたのですが、愛莉様はそうではないようで安心しました。私のような従者で怖がっているようでは、獣王様と対面された時はどうなってしまうのかと気を揉んでいたものですから」

 言いながら、琥珀さんは柔和な微笑みと共に歩を再開した。

「ところで、愛莉様は動物が平気という事でよろしいのでしょうか?」

「そう、ですね。好きか嫌いか言えば好きな方です」

 特に猫には目がない。

 わたしが住む城にも何匹か飼っているし、庭に迷い込んできた野良猫につい餌をあげてしまうくらいには猫が大好きだ。



「それを聞いて、いっそう安心いたしました」



「え……?」

 どういう意味だろうと首を傾げるわたしに、琥珀さんはとある大きな襖の前で立ち止まった。



「こちらが獣王様──黒曜こくよう様のお部屋でございます」



「ここが……黒曜様の……」

 思わずゴクリと喉を鳴らした。

 この城の主であり、獣人の王でもあるお方が、この襖の奥にいる──。

 そう考えると胸の鼓動が早くなって、手に汗が自然と滲んできた。

 早鐘を打つ心臓を少しでも落ち着かせるように深呼吸しつつ、身なりをチェックする。

 嫁ぐ前に有名な職人さんに仕立て頂いたシルクのドレスは、どこにも汚れやほつれはなく、出窓から差す陽光に照らされた純白の布が美しく輝いている。

 お母様譲りの栗色の髪は、念入りに鏡の前でセットしていたのもあって、こちらも問題はないと思う。今は鏡がないから、わからないけれど。

 問題は、黒曜様の反応だ。

 黒曜様に気に入って頂けないと、わたしがこの国に来た意味がない。

 水の国は今、他国による侵略の危機に晒されている。

 だから東方連合と国交を結んで、いざという時に守ってもらおうというわけだ。



 そのためには、黒曜様に好きになってもらう必要がある。

 水の国を救うために、嫁いできたのだから。



 顔も人柄も何もわからないけれど、責任重大だ。絶叫に成功させなきゃいけない。

「準備はよろしいですか?」

 呼吸を整えるわたしに、琥珀さんが穏やかな声音で訊ねてくる。

 そんな琥珀さんに「はい……」とぎこちなく頷いたあと、わたしは意を決して前を向いた。

「もう、大丈夫です」

「わかりました。黒曜様、愛莉様をお連れいたしました」

 琥珀さんがそう声を掛けた瞬間──



「入れ」



 一言。

 そのたった一言に──とても重低音のある威厳に満ちた声に、わたしは思わず身震いしてしまった。

 この奥に、獣王様がいる。

 その当たり前の事実を、今ようやっと理解させられたような気がした。

「では、失礼いたします」

 と。

 つい棒立ちしてしまったわたしに、琥珀さんが楚々とした手付きで襖を静かに開ける。

 とうとう獣王様と対面する日が来てしまった……!

 なんて緊張が限界を迎えそうになる中、琥珀さんの手によって、ついに襖が開けられた。

 果たして、そこには。



 ──黒いニャンコがいた。



「ん? んん?」

 思わず、両目を擦って二度見する。



 やっぱり、モフモフの黒いニャンコがいた。



 いや、普通のニャンコよりとても大きいし、背丈だけならわたしよりも高いけれど、それでも緋色の小袖を着た黒いニャンコが、キセルで煙をふかしながら二足歩行で立っていた。

 なんていうか、うん。これは──



 か、可愛い……!

 もう、めちゃくちゃ可愛い!!



 ウソ! 本当にこの可愛いのが獣王様なの!?



「あ、あなた様が獣の王……黒曜様でいらっしゃいますか……?」

 茫然とした心持ちで問いかけるわたしに、黒曜様はキセルをそばにある灰皿に置いたあと、

「そうだ」

 と端的に答えた。

「で、お前が水の国の姫……愛莉で合っているか?」

「あ、はい……」

「そうか」

 頷きつつ、黒曜様が悠然とこちらに歩んできた。

 あ、こうして近くで見てみると、お髭がピンピンしてる。可愛い。お鼻がほんのり濡れてる。可愛い。瞳の色が綺麗な金色だわ。可愛い。尻尾も長くてフサフサのフリフリで可愛い。



 ああもうダメ! さっきから可愛いしか出てこないわ! なんでこんなに可愛らしいの! 今まで見てきたニャンコの中でもダントツに可愛いが過ぎる!!



「ちょうどいい。お前と正式に夫婦になる前に、伝えなければならない言葉がある」

 と。

 可愛いの大洪水で溺れかけているわたしに、黒曜様はビシッと人差し指(前足?)を立てて言った。





「お前を愛する事はない」





 黒曜様がわたしに告げる。依然として淡々とした口調で。

「元より、お前との婚約は我が国を今より繁栄させるためのものにすぎぬ。水の国は海で囲まれた島国……こちらの水運が活性化すれば、我が国の経済発展にも繋がるからな。ゆえに、お前に価値はあっても愛でる理由は微塵たりともない。お前はただ、お飾りの妻として品位ある振る舞いだけしておればよい」

 そう語る黒曜様の瞳は、道端に生えている雑草でも見ているかのような冷淡な光が宿っていた。

 そんな黒曜様に、わたしは──



「あ、はい。でもわたしは大好きです!!」

「にゃあ!!?!?」



 黒曜様が驚いたように両目を見開いた。

 ていうか、今「にゃあ」って言った! 絶対「にゃあ」って言った!

 さっきまですごく王様っぽい喋り方をしてたのに!

 なんて、つい素直な気持ちを吐露してしまったわたしに対し、黒曜様は「にゃんだ、こいつは!?」と語気を荒げて

「我の言った事がわかっていないのかにゃ!? それとも頭のおかしい奴にゃのか!?」

「無理ありませんよ黒曜様」

 と。

 それまで廊下に控えていた琥珀さんが、部屋の中に入りながら口を開いた。

「黒曜様のお姿を見て、その魅力的な姿に目も心も奪われない者などおりませんよ、ねぇ愛莉さん?」

「はい! とても可愛いです!」

「はあ!? 我は『お前を愛する事はない』って言ったのが聞こえなかったのにゃ!? それなのに、なんで大好きなんて言葉が出てくるにゃ!?」

「それは可愛いからです! 見た目はもちろんですけれど、さっきから『にゃあにゃあ』言っているのも、本当にたまらなく可愛いです!!」

「ああ、黒曜様は興奮したり感情的になったりすると語尾に『にゃあ』と付いてしまうんですよ。可愛いですよねー」

「琥珀まで何を言っているのにゃ! じゃない! 何を言っているのだ!」

 慌てて言い直してる! 可愛い〜!

「しょうがありませんよ。まぎれもない事実なんですから」

「お前はほんと、昔から変わらんな! 仮にも主人で獣王でもある我に可愛いとか、不釣り合いな言葉であろうが! もっと自重せい!」

「何を仰いますやら。黒曜様はご自身の魅力を何もわかっていないのです。そんな事では愛莉様に黒曜様の可愛いらしさが十分の一も伝わらないではありませんか!」

「いるか、そんなもん! 王は威厳だけあればよいのだ!」

「え、黒曜様の魅力ってまだあるんですか?」

「よろしい。では特別に愛莉様にだけお見せしましょう」

 言って、琥珀さんはおもむろに懐から猫じゃらしを取り出した。



「そ〜れ、黒曜様〜!」

「にゃ〜ん♡ って、いきなり何させるにゃ!!」



 バシン! とその可愛いお手々で猫じゃらしを力強く叩いた。

「ご覧になりましたか!? あの猫パンチを! 猫じゃらしを見ると思わず飛び付かれずにはいられない猫の本能を! とてもプリティーとは思いませんか!?」

「はい! 最高にプリティーです!!」

「お前らは、さっきから何を言っているのにゃ!? バカにゃのか!?」

「何って、黒曜様がいかに可愛らしいお方なのかを存分に語っているだけですが何か?」

「『何か?』じゃにゃない! 我は可愛くなんてないにゃ! いい加減にしろにゃ!」

「やれやれ、黒曜様は本当にご自分の事を理解されてない……」

 と首を振りながら、琥珀さんは語を継いだ。

「いいですか? 黒曜様はキャワイイんです」

「キャ、キャワイイ……」

「めちゃくちゃキャワイイんです!!」

「こいつ、二回も言いやがったにゃ……!」

「だからこそ、黒曜様の可愛さを全世界に伝える責務が、従者である私にはあるのです。むしろ宿命と言っていいくらいです!」

「心の底からお前は何を言ってるのにゃ……?」

 と呆れ混じりに言ったあと、黒曜様は聞こえよがしに盛大な溜め息を吐いた。

「はあ〜。もういい。我は少し城を出る……」

 言って、襖を開けて廊下に出ようとする黒曜様に、

「黒曜様、おひとりでどちらに?」

 と琥珀さんが呼び止めた。

「城の周りを散歩するだけだ。お前は付いて来ずともよい」

「ですが、もうすぐお食事の時間ですよ? せっかく愛莉様と親睦を深める良い機会ですのに」

「食事はあとで取る。それに我はそこの人間と馴れ合うつもりはないと再三言っておろうが」

「そうですか、それは残念です……」

 廊下に出て、後ろ手で襖を閉めようとした黒曜様に対し、琥珀さんは意味深に呟きを漏らした。



「せっかく愛莉様のお付きの人が運んでいただいた海の幸で、シェフが腕によりをかけてフルコースを振る舞う予定ですのに、黒曜様は後回しでいいと仰るわけですか。まこと残念です。あーあ、まずは誰よりも早く黒曜様に味わってほしかったのになあ……」



 ああ勿体ない。実に勿体ない──

 と嘆くように言葉を発する琥珀さんに、黒曜様はピタッと襖を途中で止めた。

「ま、まあ? ちょっとだけなら付き合ってやらんでもないにゃ」

 そう言って、黒曜様は。



 尻尾をピーンと真上に立てながら、襖を閉めて自室を後にした。



「ぷぷぷ。黒曜様、めちゃくちゃ楽しみにされているじゃありませんか」

「やっぱり! あれって猫が喜んでいる時にする仕草ですよね!? 海の幸が大好きなんですね!」

「ええ。見た目通り、お魚が大好きな方なんですよ黒曜様は」

 そこまで言って、琥珀さんはわたしを見ながらクスリと微笑んだ。

「それにしても、だいぶ緊張もほぐれたようですね」

「あ、そういえば……」

 黒曜様と琥珀さんの愉快なやり取りを見ていたら、いつの間にか緊張なんて無くなってしまっていた。

 もしかして、琥珀さんはわたしのために、あえて黒曜様と戯れ合うようなやり取りを──?

「大抵の方は黒曜様の姿を見て安堵されますが、中には恐怖心を抱く方もいらっしゃいますからね。そこだけ心配していたのですが、愛莉さんの反応を見るに、どうやらいらぬ杞憂だったようです」

「昔からニャンコは好きだったので……。でも、どうして黒曜様だけあのようなお姿なのですか? 琥珀さんも含めて、他の獣人の方は人間と変わらない見た目ですのに……」

「黒曜様の家系は特殊でして、先祖代々、獣の血が色濃く出てしまうようなのです。それゆえ、何かと苦労も多かったのですが……」

 言って、不意に琥珀さんがわたしをじっと見つめてきた。

「あの、なんでしょうか……?」

「いえ、愛莉さんならば何も問題なさそうだな、と」

「問題、とは?」

 そう質問したわたしに、琥珀さんは口元を綻ばせながら、



「愛莉様なら、心から黒曜様を愛していただける……と、そう思った次第です」



 そう答える琥珀さんの顔は、まるで春の陽だまりのような、温もりに満ちた笑みだった。

 その笑顔を見て、わたしは思った。



 琥珀さんは本当に黒曜様を慕っているんだなあ、と──。



 そんな琥珀さんに慕われている王なら、きっと悪い方じゃない。

 わたしは、そう信じてみる事にした。

「では、私達も参りましょうか。あまり黒曜様を待たせるにもいきませんから」

「あ、はい!」

 と、襖を開けて先を促す琥珀さんに、わたしは軽く頭を下げてから、ひとり廊下に出る。

 それからふと、出窓から見える空を眺めた。

 最初は獣王様との結婚なんてどうなってしまうのだろうと不安でいっぱいだったけれど。



 今はこの澄み切ったような空のように、晴れ晴れとした明るい心持ちだった──。



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