*12 寂しい隣と甘露煮
「それでは忌一様。どんぐりの実が入っているのは右と左どちらでしょう?」
「んー……左かな? 左の、袖の中!」
秋が深まり、庭の樹々が色づいてきた頃になると、忌一は透視のようなことができるようになっていた。目隠しをした状態で物のありどころを言い当てたり、もしくは行方の知れなくなったものの場所を言い当てたりすることができるのだ。
帯で目隠しをした上に後ろを向き、馬食が空の湯飲みをひっくり返してその中にどんぐりの実を隠す。それがどこにあるのかを当てるという遊びが、最近の忌一のお気に入りだ。
透視の力は日に日に高まっているようで、馬食が湯飲みではないところにどんぐりを隠しても、忌一は必ず当ててしまうようになった。
あてられた馬食は目を丸くして驚き、見えないながらも得意げな顔をしている忌一の目隠しの帯を解いてやる。
「すごいですねぇ、忌一様。もう百発百中ではないですか!」
「えへへ……でも、慶光様はもっと遠くのものも見つけられるんでしょう? 俺、それぐらい見えるようになりたいなぁ」
「そりゃあ、主様は神様のお使いですからね。たくさんたくさん鍛錬を積まれてきたから、とてもよく見透かすことができるんですよ」
「うん、だからね、もっと難しくしてもいいよ、馬食さん」
幼子に説くような馬食に対し、忌一がにやっと笑って応えると、馬食もまたおかしそうに笑う。屋敷に来てそろそろ半年が経とうとしているが、二人は随分と打ち解けるようになった。
忌一の神通力は、透視の他に、小さな予言などもできるようになってきていた。例えば、誰それがもうすぐ来る、と言ったことや、もうすぐ雨が降りそうだ、といったささやかな未来予測だ。
勿論その精度は慶光には劣るものの、力を授かって半年足らずでそこまで会得できたことに慶光が驚いていた。
『忌一は元々が賢い上に精進を怠らない。その上、儂からの力があるなら、類まれなる才の持ち主かもしれぬな』
馬食と厨で透視の遊びをしているところに、慶光が現れてそう言い、忌一は恥ずかしそうに照れ笑いをしてうつむく。ここに来てからずいぶんと慶光にも馬食にも褒められてきたが、未だに少し照れがあるのか、言葉をかけられるともじもじとそうしてしまう。
「そ、そんな、俺にはそんなすごいことなんか……」
『へりくだることはないぞ、忌一。お前はもっと我を出してよいくらいだ』
「そうですよ、忌一様。忌一様はおいらが三年かかってもできなかった事をたった半年で出来るようになったんですからね」
『どうしてそんなにお前が誇らしげにしているんだ、馬食』
「忌一様がそれだけすごいってことです」
『それはまあそうだが……とにかく、忌一よ、そんな謙遜しすぎることはないぞ』
慶光と馬食の言葉を受け、何とか忌一はうなずき、頬を赤らめたままようやくうなずく。その様が、どうにも愛らしく、慶光の頬が緩んでいく。
「そう言えば主様。何か御用ではないんですか? お食事でもないのに厨までお越しだなんて」
お茶でも淹れましょうか? と、支度に入ろうとした馬食を制し、慶光は忌一の傍に膝をつく。改まった様子でまっすぐに見つめられ、なんだか忌一は少しドキドキしてしまう。
『実はな、明日にでも忌一のいた村へ行ってみようかと思う』
「え……村に、ですか?」
神の使いである慶光が、滅多なことで人里へ降りてはいけないと言われている中でのこの言葉に、忌一は何かただならぬものを察し、姿勢を正して座り直す。馬食もまたすぐ傍に控え、慶光の言葉を待っていた。
「もしかして、俺の幟のありどころがわかったのですか?」
『うむ……完全にわかっているわけではないのだが、察しはついた。ただ、中身を検分し、本当に忌一の名が書かれているかを確かめぬことには、お前の正しく知ったことにはならぬ』
「じゃ、じゃあ……父さん達に会いに行かれるんですか?」
息子を嫁に出したのに神の使いが直々に訪ねてくる、となると、家はおろか村中が大騒ぎになるのではないだろうか。流石に察しの悪い忌一でも、その辺りの懸念は想像に難くない。
しかし慶光はその辺りも予測済みなのか、首を横に振って苦笑しながら答える。
『いや、今回の件は私用であり、正面切って堂々と行かなくてはならぬような案件ではないからな。そのためだけに個別にヒトの家を訪ねるわけにはいかぬ』
「では、主様はどのように忌一様のおうちへ行かれるのです?」
騒ぎにならぬように家を訪ねるにはどうするのか。忌一と馬食が首を傾げていると、慶光は腕組みをした姿勢で二人を見つめ、『それなんだがな、』と、重々しく口を開く。
『そろそろ収穫の祭りがある頃だ。それのヒトの中に紛れ、家へ入り、透視をして来ようと思う』
「ああ、確かにそろそろ秋祭りの頃ですものね。ヒトが多くなれば紛れやすいし、出入りもしやすそうですね」
『どうだろうか、忌一よ』
記憶の中で、秋ごろは新しい酒を搬入などがあって家に帆が多く出入りしていたように忌一は記憶している。だから、その頃は少しだけ蔵にヒトが多く行き来するため、賑やかで楽しかったのを置憶えていた。それから、極稀に、餡のついた餅の小さなものを分けてもらえることもあり、秋は忌一にとって少しだけ幸せな思い出と結びついていると言える。
だからなのか、この上いよいよ慶光と祝言をあげる手はずを踏むために、名を知ることができるとわかると、胸が高鳴って頬が紅潮していく。この上ないしあわせの予感に、忌一は一も二もなく大きくうなずいた。
「とてもいいと思います! 家ではお酒をふるまうこともあるので、たくさんの人が立寄っていたと思います」
『そうか、ならばますますその時分が良かろう。そこで、馬食』
「はい、なんでしょうか」
『明日から数日、儂は屋敷を留守にすることになる。忌一のことを頼んだぞ』
「はい! お任せくださいませ!」
主からの大きな頼まれごとに、馬食は姿勢を正してうなずく。そこには揺るぎない信頼に基づいていることを誇らしげに思っている、彼の活き活きとした顔があった。
慶光が馬食の頭を撫でて念を押すようにうなずいたのち、忌一の方に向き直り膝をつく。
『忌一、いましばらく待っていてはくれぬか。必ず、お前の名を手に入れ、すぐにでも祝言をあげるからな』
「はい、慶光様。お待ちしております」
まっすぐに見据えて交わし合う言葉は熱く、二人の結びつきを示しているように見えた。慶光は忌一の頭をそっと撫で、『いい返事だ』と言って笑う。
そうしてその翌朝早く、慶光は忌一の村へと向かうべく屋敷を出ていった。
忌一が目覚める頃には、すでに慶光の姿はなく、広い座敷で一人朝餉を取った。普段でも広いと感じるそこは、大きな体躯の慶光がいないだけで果てしなく広がる荒野に見えてくる。そのせいか、忌一はいま一つ箸が進まない。
「……ごちそうさまでした」
慶光が村に向かって二日目の朝、やはり忌一はご飯をひと口二口、汁物をひと口含んだだけで箸を置いてしまった。
慶光の不在時、忌一の食がまた細くなるのではないかと馬食はあらかじめ見越していたのか、膳に並ぶ品数も、皿に盛られている量も普段よりうんと少ない。それでも、忌一には完食はできなかった。
「ごめんなさい、折角作ってくれたのに……」
馬食が心を砕いて用意してくれているのを知っているので、残してしまうのはとても申し訳ないと思っているのだが、どうしても忌一の細い喉を通ってくれない。箸が鉛のように重く感じられ、持つのも億劫になってしまう。
しかし馬食は忌一の胸中を知っているからか、一切怒ったり不機嫌になったりすることはない。それよりも、どうすれば少しでも忌一が何かを口にできるかを考えてくれる。ちなみに今日の昼餉は甘いサツマイモの粥と、塩もみした菜物、それから忌一が好きだと言っていたかぼちゃの煮物だった。
「いえいえ、お粥も煮物も、昨日より召上れたようで良かったです。残りはおいらが頂いても良いですか?」
「うん……本当に、ごめんなさい……」
「おいらのことは気にしないでください、忌一様。それよりも、主様がお留守の間に忌一様の目方が減っているなんてなったら大ごとですからね。お八つに何か食べたいものはありますか?」
たくさん作るので、一緒に食べましょうよ、とにこやかに提案してくる馬食の言葉が、慶光の不在を目に見えて寂しがっている忌一の胸に沁みる。そして同時に、いつの間にこんなに甘えた性分になってしまったのかと我ながら驚きもするのだった。
蔵にいる頃はいつも一人で、表に出れば石を投げられるような日々だった。幼い頃こそ母親に甘えたいという願望こそあったものの、いつの頃からかそれは叶えられるわけがないと諦めていた。
自分は誰からも愛されず、必要とされない。忌み子であるのだからそれは仕方ない。そう、思っていたのに――いまは、ただ向かい合って食事を共にする相手がいないだけでご飯が喉も通らない。しかも、そんな自分を心から慰めて心配してくれる存在もいる。たった半年前までは考えられない状況は、奇跡とも言えた。
有難いいまの状況を噛み締めながら忌一は弱く微笑み、「じゃあ、栗の甘露煮がいいです」と、馬食に申し出た。
初めてと言っていいほど自発的に見せた忌一の食に関するおねだりに、馬食は嬉しそうに破顔してうなずく。
「いいですねぇ! たくさん作りますよ。甘くて大きな栗が貯蔵庫にありますので、それで作りましょう。出来上がるのに少しお時間かかりますが、お待ちいただけますか?」
顔を覗き込んで尋ねる馬食に忌一は強くうなずき、「楽しみに待ってます」と、微笑んで答える。
「たくさん作って、慶光様にも食べてもらいたいね」
「そうですね。ならば腕によりを賭けなくてはいけませんね」
そう言いながら細腕を出して力こぶを作る素振りをする馬食を見て、忌一は声をあげて笑った。
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