*11 思いがけない人物の思い掛けない出自の話

 月夜の晩に忌一の名を知る手がかりを得たことにより、翌日から忌一と慶光は書室でどのようにして忌一の名を知るかという策を練り始めた。

 人喰い様に差し出した忌み子のことなど、きっと家の中にその痕跡を残すようなことはしないだろうから、もしかしたら幟はもう処分されているかもしれない。そうなってしまったら、もはや忌一の名を知るすべはないと言える。


『とは言え、どこぞへしまい込んで忘れていることだってありうる。まだ可能性がなくなったわけではない』


 名がわからないかもしれない、と言う話に目に見えて肩を落としていた忌一に、慶光が励ますように声をかける。『そのために、神通力を使うのだからな』とも言われ、忌一はハッと顔をあげ安堵したように小さく笑ってうなずく。


『神通力を使うとするならば、その幟のありかを探るか、それを引き寄せるか、のどちらかになるだろうな』

「どちらか、なんですか? 両方はできないんですか?」

『出来ぬわけではないが……忌一のいた場所では、神通力を使うには、この屋敷よりもかなり気力体力を要する。そのため、正確に引き寄せたり探り当てたりすることが難しい。なにより、この件は儂の私用だからな、人間たちから願いをかけられてもいないのに、長々と人の世界に干渉するわけにはいかんのだ』

「そうなんですか……」


 思っている以上に難しいことになっている事態に、忌一は申し訳なさが先立ち、すぐにうつむいてしょ気てしまう。策を練る話し合いを始めて、もう幾度もそんな顔を見せる忌一に、慶光は困ったように微笑んでその頭をやさしく撫でてやるしかできない。大事ない、完全にやり遂げてみせる、と言い切れぬのが世の常であることは、神の使いとされている慶光であっても例外ではないようだ。

 それを忌一もなんとなく察しており、何が何でも神通力で解決してくれ、とは言いだせないでいる。


「まあまあ、難しいお話はその辺にしませんか。お茶にいたしましょう」

『馬食』

「忌一様も、何か甘いものを召上りませんか?」


 書室に馬食が顔を覗かせ声をかけたかと思うと、大きな盆にいっぱいの菓子を載せて入ってくるところだった。

 皿に盛りつけられているのはいずれも栗を使用した菓子で、きんとんに甘露煮、焼き栗もある。香ばしくも甘い香りに忌一も慶光もたちまち皺を寄せていた眉間をほどいていく。


「美味しそう!」

『気が利くな、馬食』

「いえいえ。たくさんありますからね、いっぱい召上ってください」

「じゃあ、馬食さんも一緒に食べよう」

『あ、おい、馬食には……』


 忌一の提案に慶光が待ったをかけようとするより早く、「いいんですかぁ?!」と、馬食が目を輝かせて食い気味に返事をしてくる。

 前のめりな反応に忌一がおずおずとうなずくが早いか、馬食は、「いただきまーす!!」と言いながらきんとんの皿を手に取った。すると、馬食は普段穏やかに微笑みを湛えている口を大きく開き、十個近くあったはずのきんとんをぺろりと平らげてしまったのだ。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった忌一が唖然としているのも構わず、馬食は次に栗の餡が入ったまんじゅうの載った皿を手にしている。

 馬食がまんじゅうの皿を抱え上げようとしたその時、一瞬早く慶光がそれを取り上げて阻止した。


「うわーん、なんで取り上げちゃうんですかぁ、主様ぁ」

『ちょっとは落ち着け、馬食。お前、忌一の前で食事をしたことがないだろう?』

「あ、そう言えばそうですね。いつも厨で取ってますから……」

『……そうであろうな』

「え? どういうことで……あ、すみません……」


 慶光が言わんとしていること――馬食が桁外れな大食いであること――にようやく馬食自身も気づいたらしく、慌てて菓子を頬張った口許を抑えるも、すでに遅い。その口許にはきんとんにされた栗がついていたり、頬もパンパンに膨らんでいたりするからだ。その様子は冬ごもり前のリスのようでもある。

 忌一は馬食の食べっぷりに唖然としていたが、やがておかしさが込み上げてきて、肩を震わせ腹を抱えて笑い転げ始めた。


「あははは! 馬食さん、すごいたくさん食べるんですね! びっくりしたぁ」

『馬食、とは大食いのことだ。こやつはな、あまりに喰いすぎるもんだから、家から追い出されたんだ』

「え……そう、なんですか……?」


 思いがけない人物の思い掛けない出自に、忌一は笑い転げるのをやめ、姿勢を正して向き直る。馬食は困ったように苦笑してうなずいてこちらを見ながら話してくれた。


「おいらの家はすごく貧しくて、その上兄弟も多くて……十二人だったかな。もう忘れちゃったな。おいらはその九番目。やせっぽちでチビで、いつも腹を空かせてました」


 食事はいつも争奪戦で、小さくて弱かった馬食はいつも食べ残ししかありつけず、空腹だった。

 そんな折、馬食の村が飢饉に見舞われ、口減らしに棄てられ、息絶えそうだった所に現れたのが慶光だったという。


『“腹いっぱい食わせてくれるなら何でもする”と言うからな、連れ帰って飯を食わせてやることになったんだが……』

「おいら、全然腹いっぱいになったって言わなくて。ようやくお腹いっぱいになったのは、お屋敷に来て三日目の夜でしたっけね、主様」

『ああ……米俵が四つ、味噌が一樽、醤油が一升、野菜や肉や魚は数えておらぬ。兎に角よく食べた』

「だから、馬食、って名付けてもらったんです」

「え? 馬食さんの名前、本当の名前じゃないんですか?」

「ええ。主様につけてもらって、こちらの世界の獣になれるようにしてもらいました。だから、おいらには馬の耳と尻尾があるでしょう?」


 慶光に名付けてもらえば神通力がもっと得られるということなんだろうか? と、話を聞いていて考え付いた忌一が慶光の方を振り返り、気体のこもった目で見つめる。

 しかし慶光はその期待を見透かした上でクビをゆるく横に振って答えた。


『馬食はな、儂と会った時は死んで間もなかったんだ。だから、名を与えることができた』

「え……? 死んで、間もなかった?」

「そう。おいらは一度死んでるんです。だから主様にお願いして、名前をもらって馬の半獣になれたんですよ」


 造作ないような事のように話している馬食と慶光の様子に、忌一は言葉が出なかった。まさか、そんな経緯があっての主従関係だなんて思ってもいなかったからだ。

 話から受けた衝撃で言葉が出ず呆然としている忌一の手を取り、馬食はそっと語り掛ける。


「ですからね、忌一様。必ず、本当のお名前を手に入れて、主様と夫婦の契りを結んでくださいませ。死んでるおいらにはもうできない事なんで」

「馬食さん……」


 いま触れている手は暖かいはずなのに、それは作り物の体温だというのだろうか。忌一にはわからなかったけれど、向かい合っている馬食の微笑みは作り物ではないことはわかっていた。


「さ! お二人とも、どんどん食べましょう! たーくさん作ってますからね!」


 しんみりとしていた空気を払しょくするように馬食が手を打ち、明るい声でそう述べると、忌一は潤みかけていた目許を拭ってうなずいて笑う。


『しかし、馬食がいるならいくらあっても足りぬのではないか?』

「大丈夫ですよぉ。さっきのきんとんもおまんじゅうも、ちゃーんとおかわりありますから」

『そういう事ではなくてだな……』


 馬食の言い分に慶光は苦笑しつつも、早速まんじゅうを頬張り始める馬食を止めようとはしない。


「さ、忌一様もどうぞ」


 馬食から差し出された皿から忌一もまんじゅうを一つ手に取り、頬張る。上品な甘さが口いっぱいに広がり、策の話し合いで疲れた頭に沁みていく。


「美味しい……」

「でしょう? 自信作なんですよぉ」


 微笑みながらリスのような頬になっている馬食の笑顔は健やかで、忌一は一層自分の命の重さを思うのだった。



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