ただずっと、自分の話をしている。
「やっぱ、殺しちゃったの」
後ろから声が聞こえた。アルゴンは反射で振り返る。
「やっぱり撃つか。少しは、信じてたんだぜ」
そこに立っていたのは大きなゴーグルを付けた男だった。戦闘機から離れて向かってくる。彼の声色からは、怒りも悲しみも感じない。
「お前の仲間たちをやっつけるのに手こずってな。あれがなければ、俺がクリプトンを守れたのに」
ひゅっと息を呑むアルゴン。
「あれだけの人数を一人でやったのか!? あり得ない!」
「あり得る、あり得ないの話じゃないんだよなあ」
殺せないから手加減しながらの攻撃なんだよ、ああ神経使ったわ。男はそう喋りながらアルゴンに近づく。
「撃つぞ!」
アルゴンは銃を構える。
「僕は、どんなレベルの奴でも撃つぞ。あいつらとは違う」
ゴーグルに標準を合わせる。引き金を引く。
「あ」
弾はゴーグルの端に当たった。手がぶれたのではない。的が自ら動いたのだ。
「おいー、お前らは揃って俺の物、何でも壊すのかよ」
バンドが切れ、顔からゴーグルが外れた。誰も見たことのなかった目が、露わになる。
「お前の目は、そんなだったのか」
戦闘員にしては、優し気な……
「別に隠してたわけじゃねえけどな」
彼はゴーグルを手に取り、バンドの付け根を惜しいように見つめている。
「あとな、いつまでも『お前』って言うんじゃねえよ。ハイドロだ。ハイドロ。まあ、呼び方は何でもいいけど、Hの発音はしっかりしてくれ」
撃たれても落ち着いているハイドロが、アルゴンには気味が悪い。あれほど身軽に銃弾を避ける人間など知らない。まるで、初めからどこに弾がくるか見切っていたようだった。
「……俺の顔を見て、何も感じない?」
急に場違いな声で尋ねるハイドロ。控えめなようで、何かを期待しているような色。遠い過去に知り合いであり、感動の再会を表したような色合い。そんな雰囲気を、アルゴンはますます不気味に感じる。
「僕は、お前と知り合いだったことなんてない」
「……そっかぁ」
目の前の男は相変わらず薄い笑みを浮かべてはいる。だが、どこか消えかけの、ロウソクの灯火を思わせるような息遣いだった。そのまま彼は、永遠に起き上がることのないクリプトンに近づく。動かない首に手を当て、中身が空になっていることを確認した。そこに横たわるのはただの肉体だ。
ハイドロの目に緑が走った。
「お前はこいつを殺すべきじゃなかった。探すのに必死になって、探し物が見えてなかった。手段と目的が滅茶苦茶になるのが、お前の今後の課題だな。捨象した中に答えが潜んでいたとしても、もう遅いんだよ」
意味の分からない説教を垂れるハイドロを、アルゴンは恐ろしい怪物として眺めた。なぜだか分からないが、彼と話していると闘争心を削がれる感覚がする。全宇宙を前にした人間が立ちすくむこともできず、ぼうっと浮いていることしかできないように。
ハイドロが立ち上がった。
「俺はもう行くよ。やっと一仕事終えたんだ。悔いはあるけど」
「お前は、さっきから何を話してる? 何の話をしてるんだ」
時空がずれている奇妙な意識を、ハイドロを通して感じる。
「その調子だと、何を聞いてもヒントは掴めなさそうだな」
アルゴンの問いには答えない。ただずっと、自分の話をしている。
「何が目的だ。お前は何のために動いているんだ」
不可解な背に叫ぶ。
「あはは、俺をマッドサイエンティストか何かだと思ってる? 俺はただ、探してるものと、知りたいことがあるだけだよ」
――ハイドロの目的は人探しだよ。本人がそう言ってたし……
数分前に自分が殺した人間の言葉を思い出す。
「人か」
「ああ。お前には、覚えててほしかったんだけどな」
先程から、まるで親しい仲のような物言いをする気味の悪い男。その気持ち悪さにアルゴンは思考停止を決める。これ以上話していると、自分の中の“覚ましてはいけない何か”を覚ましてしまいそうだった。
「時間って残酷」
ハイドロが、なき声のように呟く。
「人間は時間と共存してんのか、対立してんのか、どっちなんだ……まあでも、矛盾を抱えるのが人間だって教わったからな。俺たちはそれが面白い」
戦闘機に手を掛け、飛び乗る。
「今回は終わったけど、また次がある。せいぜいアルゴンに囚われて……生きろよな。あばよ」
ハイドロの乗った戦闘機はスイっと上昇し、空の彼方へ消えていった。
しばらく混沌の真空を眺めて、自分の腕に巻かれている画面に目を落とす。クリプトンを失くした分の1点が加算されていた。動かなくなった肉体に再び目をやる。周りには血溜まりの海。紅が広がっている。
「馬鹿な奴。信じるからこうなるんだ」
動かない塊。
「お前はやっぱり、コイオリードでは生きていけない」
返事をしない肉体。
「僕に敵うと思ったのか。関わらなければよかったものを」
二度と、笑顔を見せないクリプトン。
なぜ、自分はこんなことを考えているのだろう。いつも通り任務を遂行しただけだ。一人でも多く敵を殺しただけだ。クリプトンは敵の戦闘員で、それ以上でもそれ以下でもないのに。たった数回、目を見て話しただけの男。
もう、あの笑顔を向けてはくれない。もう、触れてはくれない。もう、「海」も「朝」も特別な現象なのだと教えてはくれない。もう、大きな手を差し伸べてはくれない。それなのに、まだ自分は、朝の海も教えていないし、まだ、求められた手のひらも伸ばしていない。
生きていた証拠である、血の結界を踏む。
最後まで掴めなかった手にそっと触れる。何も変わらないことには変わらないが、自分の中の何かが変わった。
「おんど……」
初めて人の手を温かいと思った。この温もりは、自分が奪った。彼の生きた世界は、自分の記憶で凍結した。
「が……」
魂が熱くなる。熱くなって溶け出すような感覚。溶解したものは溢れ、瞳を通し、頬を伝った。零れた自分の一部がクリプトンを叩く。それを笑いも怒りもする人はいないし、自分にはできない。しかし、今、零れ落ちている感情は何なのだろう。
「あ、る……」
こんなにも強く自分の行為を再考したことはない。自分はとんでもないことをしてしまったのではないか。これらの気持ちに名前があるのだとしても、アルゴンは知らない。
この世に生まれ落ちてから探していた誰かとは、もう決して出会えないと悟った。人生の欠陥を埋めてくれる何かは、永遠に葬られた。
物質としての心臓は凍りつく。自分の中の「生きる意味」がするすると抜けていく感覚。そこでやっと、自分にも「生きる意味」などというものがあったことを知る。
その日、生まれて初めて、アルゴンは涙を流した。
「僕が、探していたのは……」
崩れ落ちるアルゴンと、空っぽのクリプトンを見ている者は、いるのだろうか。
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