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ふたり

 プッイの街を見下ろす。ギラギラとワラワラと、光がうるさい。焚書坑儒はこの瞬間も猛威を振るいつつある。跋扈する街の未来は手に取るように分かるが、それだけに気をつかっている暇はない。


 今晩も、探している。


「俺、どうすればいいんだろうな」

 ゴーグルの下から、乾燥した景色を見通す。ハイドロはため息交じりに笑った。

「お前なら勢いで何とかしそうなもんだ。ぶっ飛んでるもんな。お前の思考回路。あん時みたいにさ」

 どんな未来も計算して組み立ててしまう自分の脳が歯がゆい。完璧だったはずの蓋然性が血迷って疲弊している。

 自分が人間だったなら。

「人間は矛盾を持ってるから、予測外の未来を創造できる……羨ましいよ」

 非対称性が美しく対称してしまった人間の世界。それに、少しでも近づけたなら。

 ゴーグルを首に下ろす。瞳が世界に、直接触れた。


「分かってるよ。行くしかないよな……――」

 幾度となく口にしてきた名前は、今夜も無慈悲なノットに飛ばされていった。







 深い意味はない。本当に気まぐれで、クリプトンは外気に当たるべく部屋を出た。強くもないが、弱くもない風に遭遇する。生まれつきの形状記憶パーマが絡まった。

 整える前髪の隙間で、信頼に足るゴーグル男が歩いてくるのを見る。彼は何も変わらない。自信に満ちた堂々たる雰囲気が街の雰囲気から浮いている。目に見えるも否も、万物流転を超越したような、ハイドロが。

「奇遇だな、クリプトン」

 ゴーグルに街の明かりを反射させ、ハイドロは笑う。

「運命かな」

 同じように笑顔を返す。

「じゃあ行くか」

 一連の奇遇も運命も、全てはハイドロの思い通りなのかもしれない。




 黒一色摩天楼のようなビルの中、ポートレートの並ぶ廊下を歩く。空気と物質しかない部屋に入り、準備を始める。いつも通りだ。

 いざ、という時になり、ハイドロが口を開く。

「次に降りるフィールドにはコイオリードが多い。もちろんアルゴンもいるだろう」

 派遣されるフィールドはランダムだ。なぜハイドロがそれを知り得るのだろう。だが、クリプトンは疑義を持たない。

 彼だから分かるのだ。ハイドロだから、分かるのだ。彼の圧倒的な計算能力がこれ以上ない証明材料になる。吞舟の魚は、万有をどこまで把握しているのだろう。

「フィールドに降りたらモタモタしてる時間はない。奴らはすぐに向かってくるはずだ。俺はアルゴン以外の戦闘員を引き付けるから、その間に話を片付けろ」

 迷いなく作戦をまとめるハイドロを見て、クリプトンは今までの戦いを一から思い出した。

 何が起きても「知っていました」の顔でさばいていくのに、時にはわあわあ騒ぎ出す子供のようなハイドロ。なんだかんだ言って、最終的には自分を守ってくれていた母のようなハイドロ。全てを教えてくれているようで、実は、未来に繋がる謎を増やしているだけのハイドロ。何事にも本気であるが故に、片手間で生きているようなハイドロ。

「信じてるぜ、ハイドロ」

 ハイドロは「分かってる」と言わんばかりに張力を突き破った笑顔を見せる。

 溢れる笑みを受け取ったクリプトンは、ベルトのボタンを押した。




 降り立ったフィールドは夜だった。朝がくるのかも分からないが、クリプトンは朝の概念を知っている。もう一度、朝が見たい。“愛しい彼”の隣で。

「今度こそ説得してやる」

 パシッと、拳を手のひらに打ち付ける。

「アルゴンは武器の供給がなされたみたいだ。油断せずに全力を尽くしてくれ」

 ゴーグルの位置を調整しながらハイドロが留意を促す。

「まあ、クリプトンなら大丈夫だな」

 見上げてクリプトンと目を合わせるハイドロ。すると、クリプトンは目を合わせて頷いた。

「俺自身が望んだ平和にできなくても、俺がしたことは後世に繋がるから」

 その言葉を聞いたハイドロは、自分のしたことは間違っていなかったと理解する。示唆に富む発言だと、ハイドロは感心したのだ。出会いたてのクリプトンは一方通行の言葉しか知らなかった。しかし今は、意味のある抽象をものにしている。


 それでこそ、“お前”だよ。


 きっといつの時代も、どこにいても絶縁などできない。それは、約束も運命も凌駕した何かが二人を出会わせようとするから。関わらないことは可能でも、磁力より大きな力で心は引き寄せられてしまうだろう。煩わしいが、それでいい。それが惚れた弱みだとハイドロは知っている。己にもそれが適応されるのかは実験の余地があるが、今はまだ不明でもよかった。思い知らされるのは侵襲後の、幸せな死後でいい。


「じゃあ、俺は乗るぞ」

 戦闘機に手を掛ける。

「いつも、わざわざ言わないじゃん」

 ゲラゲラ笑うクリプトンを見ていると、何だか離れ難く感じるハイドロ。

 計算ミスが起こってくれればいいのに。

「……死ぬなよ」

 最後に正面からクリプトンを眺める。一度、彼へと踏み出した足を迷わせた挙句に引っ込め、ハイドロは遂に戦闘機へ乗り込んだ。


「待ってろよ、アルゴン!」

 クリプトンの掛け声ともとれる声で、ハイドロは戦闘機を浮上させた。彼に覆い被さるように頭上を飛ぶ。

 クリプトンが見つめる先には地平線が広がっていた。




 ハイドロの計算行路一直線でクリプトンは進んだ。走るのは、一刻も早く会いたいためだろう。あの人に。

 ハイドロは深く、息を吸った。

『近づいてる。作戦通りいくぞ』

 無線を通じて声を掛ける。

「頼んだ!」

 クリプトンの勇ましい声が返ってきた。懐かしきも馴染んだ彼らしさに、自分の感情が高ぶるのが分かる。

『また、あとで……!』

 走る彼の背を愛おしく眺めると、ハイドロはグリップを強く握り、進路を変更した。クリプトンから離れていく。直流に交流していた命から、離れていく。レバーを最大限まで押し、機体を加速させる。そして、クリプトンに繋がる回路のスイッチを、切った。


 離れて逸れた戦闘機は目にも留まらぬスピードで地平線に突っ込んでいった。その勢いは流れ星で、遠く向こうへ消えた平行線上からは爆発音。クリプトンもそこに向けてスピードを上げる。


 アルゴン、そこにいるんだな……!


 彼に会いたい一心で走る。全ての自分が協力してくれているようだ。

 次こそ、共に平和を目指す。彼を幸せにしたい。「もういい」と言って笑われるほど、彼に、自分なりの幸せを花束にして送りたい。リボンの色は二人で選ぼう。


 辿り着いた場所は、廃墟を根こそぎ吹き飛ばしたような景色に一変していた。クリプトンが着いた頃には既に人は見えない状態。潜んでいるかもしれない敵に細心の注意を払いながらアルゴンを探す。ハイドロのことであるから、上手くアルゴンだけを残しているはずだ。

 記憶より深い、心の深海に残っているシルエットを探す。小さい身体、細い腕、動物性の笑顔。

 瓦礫の一部、無機物の転がる音がクリプトンの耳に入った。身を潜めて近づく。大きな身体に苦労しながら、一歩。また一歩。曲がりなりにも残った石壁の隙間から音の正体を探る。小さな影が、膝をついて立ち上がるところであった。


 アルゴンだ。


 目に不安のあるクリプトンでもすぐに分かった。アルゴンはこちらに背を向けて、身体にのさばった塵芥を払っている。今、気が戻ったのだろうか。辺りを見回して情報を吸収しているように見える。アルゴンが背負っているために大きな銃が、無機質に擦れる音も聞こえてくる。孤独を体現したような音だった。

 クリプトンはそっと立ち上がる。空で瞬き踊る星々の存在が、名も知らぬ衛星が、両者を暗闇から浮かび上がらせてくれる。

「アルゴン」

 驚かせないように、柔らかな表情で振り返ってくれるように、素の自分で名前を呼んだ。小さな頭が反応する。


 小さな肩が、優しい髪が……


 重なったのはいつかの夢。

 しかし、現実の視覚が受け取ったのは、前回よりも瞳を闇に染めたアルゴンだった。片足のつま先はあらぬ方向に曲がっており、なぜ立てているのか不明だ。片耳は千切られてなくなっている。前髪の分け目から見える額は一部がいびつに潰れ、変色しているのが暗くても分かる。くりくりとしていた目は、どちらも半開きの状態だ。地獄から這い上がってきたかのような体のアルゴンにクリプトンは唖然としてしまった。全ての意味で満身創痍。思わず他人かと考え直したほどだが、理論を超えた次元でそれはアルゴンだった。

「アルゴン……どうしたんだよ、それ」

 半歩踏み出すと、アルゴンはザッと背の銃を構えた。クリプトンは微動を止める。

「コイオリードの奴らにやられたのか」

 表情を一つも崩さず、アルゴンは無言を貫く。

「どうして、そんな酷いことを……」

 固まる足を叱り、もう半歩進んだ。

「近づくな!!」

 静かな夜に、アルゴンが吠えた。クリプトンの全身が強張る。


 あの時のアルゴンじゃない。


 第六感がサイレンを鳴らす。目の前の男は生まれ変わってしまった。ハイドロがクリプトンをそうさせたのとは、反対に。

「俺はお前に危害を加えたりしないよ。ほら」

 記憶まで塗り替えられたわけではないと、クリプトンは半壊の希望を離さない。だが、アルゴンの戦慄きは止まらない。腫れた唇の隙間から威嚇の牙が覗く。食いしばり過ぎた歯茎からは血が滲んでいる。

「もうコイオリードから逃げろ! 俺たちと一緒に暮らそう」

 クリプトンは必死に呼び掛ける。

「戦いたくなければ、ずっと俺の家に籠っていてもいいから」

 あの時のアルゴンを取り戻したい。自分を流星群から救ってくれた彼を。人間だった彼を。

「やめろ! 来るなッ!」

 アルゴンの咆哮が胸に刺さるが、怯まず、ゆっくり足を踏み出す。

「大丈夫だから。俺が守るよ」

「やめろやめろやめろ!」

 銃声の轟き。

 絶叫と共に発射された弾は地面に埋まる。アルゴンは気が動転し、もはや狙いなど定めていない。

「アルゴン」

「イヤダイヤダイヤダ!」

 乱射される音も泣いている。アルゴンの中の何かが、痛いと泣いている。その何かを掻き消すように射撃と発狂が乱れ飛ぶ。


「ずっと、一緒に――」


 その言葉は最後まで響くことなく、闇夜に溶ける。


 クリプトンの言葉を突き抜くように、弾が胸を穿っていた。


 地が迫り、視界が闇に塞がれる。スローモーションでうつ伏せに倒れる。首どころか、指一本さえも動かせないと理解できた時、すでに意識は朦朧としていた。命が「もう限界」だと自分に知らせている。最後に痛かったのは胸ではなく、臨界点に達した魂だった。

「あ、る……」

 聴覚に全神経を使うが、聞こえるのは夜の沈黙だけだった。

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