帰還

 戦場から戻ったアルゴンはその目を開く。右目は生まれた時と比べ、僅かに色素が薄い。しかし、最初からそこに収まっていたように馴染んだ瞳はアルゴンに懐いている。


 ――アルゴン。

 ――また、会おう。


 無意識で口元を覆う。クリプトンのことを考えると身体がむず痒くなる。心臓が震える。しかし、その震えは憤りでも病気でもない。こんなことは初めてだった。心に、心地よい味をじわじわと感じる。


 部屋を移り、その場にいた仲間たちに合流した。

「Arg18。今回はいくら殺した?」

「今回は人間を見なかった。流星群が――」

 視界が一瞬、白に染まる。

 頬と舌にじわじわと感じる熱。床に叩きつけられた身体が悲鳴を上げたことで、殴られたのだと分かった。口内に広がるのは鉄の味。

「てめえ、自分の出来損ないが分からないか? 前回の人数も覚えてないなんて言わないよな?」

 何も答えられない。前回は、ハイドロに武器を破壊された上に、クリプトンとは言葉を交わしただけ。殺した人間など片手で数えるほどだ。今回に至っては、素人と変わらずの結果だった。0点。

「ごめん。次はもっと……」

「次? 次なんてあると思ってんのか? そんな非力で俺たちの地位に泥を塗るな」

「まあまあ、Arg18は武器も持ってなかったんだし。『大丈夫』って彼の言葉を信用した我々にも責任があるよ。今回はコースNで許してあげよう!」

 爪が皮膚に食い込むほど手を握りしめ、恐怖の力だけで立ち上がる。

 あんな流星群の巣で生き残ってる人間なんていない。それに、自分には武器が供給されていなかった。だが、クリプトンからはプッイの街に関する情報を手に入れることができた。それを国家情報として提供もしている。それでも、自分は誰も殺せなかった。なぜ? 人間がいなかったから? 違う、いただろう。


 初めての朝で笑っていた、あの男を殺せばよかったのだ。


 きつく握りしめた手から赤色の液体が滴る。ポタリと、涙のように床へ落ちた。

「失望したよ、Arg18」

「地雷にされない理由が分からないなあ」

 もはや何を言われても耳には入ってこない。ただ敵に対する飛び散った感情が胸に広がる。

 あの男は、自分を見下ろして笑った。叶いもしない愚かな夢でからかった。自分の大嫌いな海を、悪くないと言った。余計なものを与えようとする侮辱的な姿勢が、自分を惑わせた。大きな腕で自由を奪い、温かい唇で言葉を塞いだ。自分のことを『アルゴン』と呼ぶあの男が、酷く憎い。全てはあの男のせいだ。

 もう一度、今度は肩に衝撃が走る。骨の軋む音が耳に残った。

「っ……」

 ギリギリと、欠けるほど歯を食いしばる。荒く取り込む空気で何とか意識を保った。体内の臓器がずっしりと重くなり、冷たい汗が全身から噴き出す。

「お前が罰を受けるのは何年ぶりだ?」

 戦闘員になって最初の処罰で潰されたのは片目だったと、アルゴンは思い出す。代わりの目を探すのに相当な苦労をした苦い思い出に吐き気がした。あの時は確か、外国から密輸して……

 起き上がるより前に首を掴まれた。

「がッ……!」

 むせ返りながら目の前に浮かぶのは、鉄の臭いがこびり付いた薄暗闇。拷問部屋は地下、左手前から四番目の部屋だ。生まれてから何よりも先に学習した知識を一番上の引き出しから叩き出す。『朝』さえ知らないあの男は、こんなことも知らないだろう。いや、どうでもいい。あんな人間。今となっては。

 深く刻まれた爪の痕からにじみ出る赤は冷たい床に血痕を引きずる。見つめるアルゴンの顔は、無を語っていた。

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