お前、本当にプッイの人間なのか
二人は適当な店に入る。もちろんクリプトンが選んだ店だ。今日はネオンが控えめな、暖色の照明が照らす飲み屋にした。なぜなら、少しでも心の憂さを晴らしたような気分になりたかったからだ。
何でもないように飲み食いするハイドロを見つめる。
「どうした? 酒、進んでないじゃん」
両頬をいっぱいにしてハイドロは問う。
クリプトンは決断した。
「お前に聞きたいことがある」
「えー、何? ニンジン嫌いは生得だぜ。別に今晩に始まったことじゃねえ」
ハイドロが皿の端に避けたニンジンを串で指し示す。わざととぼけているようにクリプトンには見える。酒を飲む気にもなれず、唾を飲み込んだ。
「前から気になってたんだ。ハイドロが『今晩』って言葉を使うのを。この街で『今晩』なんて使う奴はいないんだよ。ずっと夜なんだから」
ハイドロの動きが止まる。
「お前、本当にプッイの人間なのか」
飲み騒ぐ客の中、二人の空気だけが異常だった。まるで、その場だけ葬式のよう。
「……アルゴンに何を吹き込まれた」
全て喉の奥に押し込んでからハイドロは呟くようにして聞いた。
「ハイドロはプッイの戦闘員だけど、誰の味方もしないって。それなのに、何で俺に限っては教育してるのか聞かれたんだ。他国の戦闘員がお前に近づかないのも、お前が『何を目的に戦場にいるのか』が不明だからだと」
ハイドロは固まっている。口の端さえ動かない。こんな時、ゴーグルの下が見えれば、目が泳いでいるのを確認できたかもしれないと思う。今世紀、類を見ないであろう真白な時間。
「なあ、何で俺を戦場に呼んだ? お前の本当の目的は何? お前がくれた俺の夢を、本当はどう思ってるんだよ」
クリプトンにハイドロを責めるつもりは一オームもない。しかし、信じたいが故に、誰にも覆せない完璧な論証式が欲しかった。
やっと、ハイドロの身体の一部が動く。指をテンプルに当てている。そのまま数秒すると一呼吸して、観念したように彼の方から喋り始めた。
「真実を言うと、戦争は終わらない。お前が頂点に立とうが、他の奴がお前を引きずり落とす。反対に、お前が死んでも次がくる。そいつが死んでも、また次が」
「それに、エポックがいきなり発生することは稀だ。その時代が過ぎて、初めて認識される。クリプトンがクリプトンのままで叶えられるとは思わない方がいい」
ハイドロの声は冷や水だった。クリプトンは冷や水を肝に浴びせられる。言葉が根から氷になって、喉に詰まる。
「こんなに人間が好き勝手してんのに、この惑星はそれほど安普請じゃないみたいだ。皮肉なことに。終わってしまえば楽になるのにな」
独り言のような説教をハイドロは続ける。全てを悟っているようで、諦めたような。諦めているのに、希望を手放せないような。
「……騙したんだな」
クリプトンは氷を砕いたような硬い声で、それだけ発した。熱いも冷たいも麻痺して分からない。
「それは悪かった。でも、ああする他なかったんだ。今更やめるか? ここまで戦争に関わっておいて。人をあれだけ殺しておいて。それに、お前がまた一般人になりすましたとして、今度こそ野垂れ死ぬだろうな。次はどこを売る?」
クリプトンは、とうの昔に売り飛ばしてしまった右目が“あった場所”を手で覆う。自分の瞳は今、どこで、誰の目に落ち着いているのだろう。この瞳がないせいで、今まで危なかったことは何度もあった。しかし、一番後悔したのは、
人工的に埋めた右目を解放し、ハイドロを捉える。意外なことに彼の顔は、悲しみを笑顔で伝えていた。ゴーグルの下は見えていないにも関わらず。
そこでクリプトンは合点がいった。自分がいきなり、理由もなく仕事を解雇されたのはハイドロが仕向けたことだと。どこへ行っても雇ってもらえなかったのは、ハイドロの企てがあってのことだったのだと。だが、そこに悪意はたった一原子分だって見えない。
「ただ、これだけは信じてくれ。俺はお前たちの敵じゃない。他国の戦闘員でもない。俺は、あいつの意思を繋いでやらなきゃいけないんだ。そのために、俺はお前を見つけた。お前たちのために」
ハイドロが何を言っているのかクリプトンには分からない。密度が濃すぎる彼の言葉に、脳が追い付かないのは議論の余地がない。だが、自分でない“自分”は、魂は、核心に触れようとしている。
小さな肩が、優しい髪が、溢れるほどの差し込む光に包まれる。こちらを振り返るのは……
左目から、温もりを溶かした何かが溢れてきた。“自分”の左目から。
「あれ、なんだろ……何か出てきた……」
拭っても拭っても、足りない足りないと魂が震える。胸を焦がされ、壊れて制御不能になったアンドロイドの気分だ。アンドロイドに気持ちがあるのかは、分からないが。
「アンドロイドよりは持ってるものが多いだろうよ。いつかは必ず理解できる。でもな、俺が全てをここで語ってやったって意味がないんだ。お前たち自身が目覚めないと……」
また心を読んだかのようにハイドロは喋り出す。今度は母のように温かな声で。
「俺……アルゴンに、会わないといけない」
プッイのクリプトンにとってアルゴンは敵だ。しかし、“自分”にとって、“愛しい彼”は……
「それでいい。いつかは分かる。生きていればな」
目の前のハイドロは自分に話しかけているのに、目の前の自分には話しかけていないように見える。クリプトンは、人間や時空を超えた何かを自分の中に感じる。
初めて、ハイドロのいる次元を垣間見た気がした。
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