共闘

 物質同士がぶつかる音が聞こえる。聴覚が戻ってきた。

 酸素不足で狭まった視界は一人の背中に焦点を当てる。

 ぶつかる音がしていたのは、誰かが武器を蹴っているからだ。正体は、その背中。


「クソ、全部壊された。またアイツか」


 初めて聞く声。初めてなのに、どこか馴染みのある声。しかし、冷酷を染み込ませた声。

 どんな感情なのか、その声で泣きたくなった。

「誰だ!」

 声を発する人物が振り返った。


 小さな肩が、優しい髪が……




 自分は今、何を見た。現実か。夢か。


「……あ」

 全ての力が抜けた。名付け難い大きな、いくつもの感情が自分を飲み込んでいくように思える。溺死のような体感。言ってしまえば、沼で死ぬよりもたちが悪い。

「敵か」

 冷たい声が耳に入った瞬間、小さな身体が弾丸のように飛んできた。

『何やってんだクリプトンッ!』

「は」

 土壇場で避け、その腕を掴む。今度は反対の手から拳が襲い掛かる。その手も掴んでしまう。思い出した力で重さをかけると、その男は食いしばった歯の隙間から獰猛な威嚇の声を発した。その顔を間近で直視する。

 ポートレートで見た、小さな身体。表情を失くした瞳。無表情を象っていた口は、今は野獣のように歪められている。牙のごとく尖った歯が見える。それはまるで獣そのものだ。

「あ……」

 喉に嫌な石が詰まって、声が上手く出ない。


 出せ、出せ!


 身体の中にいる自分は言葉を押し出そうとしている。それを押さえようとしているのは……自分かもしれない。

「あ」

 もう少し。


「アルゴン!」


 一つ言葉が出てしまえば、自分の身体は金縛りから解かれたように柔らかくなった。

「俺はクリプトン! 話を聞いてほしい! 俺はお前を殺しに来たんじゃない!」

 聞こえていないのか、色のない瞳で、歯をむき出し、威嚇を続けるアルゴン。

「俺は、お前を救いたい! 聞いてくれ!」

 抵抗をやめない細い腕をさらに押さえる。

「俺は平和を望んでる! そのためにアルゴンの協力がほしい、本当なんだ!」

 大きな瞳に語りかける。届くと信じて。

「アルゴッ……」

 アルゴンのつま先がクリプトンの顎にヒットした。体格の違いからあまりダメージはないものの、猫だましに驚いて手を離してしまった。

「あ、アルゴン!」

 クリプトンから全速力で離れたアルゴンは湿地に向かって走り出した。武器なしで勝てる相手ではないと決断したのだろう。小さな背中が遠ざかっていく。

「待って!」

 あとを追いかける。走る先は沼の海。アルゴンなら数分も保てずに沈んでしまう。

 額に汗が浮かぶ。敵を助けていいのか。隙を見せれば自分が狙われる。しかし、丸腰の人間を見殺しにするには、なけなしの良心がしくしくと泣く。そもそも罠かもしれない。

 アルゴンは腰まで沼に浸かり、まだ奥に逃げようとしている。

「バカ、死ぬぞ!」

 隙? 良心? 罠? 全てが空っぽの偶像に思える。人間が作り出した、無意味な有象無象。

「アルゴン!」

 今はどうでもいい。自分が助けたいから、助ける。理由はハイドロにでも後付けさせよう。


「離せ!」

 掴んだ手を引き寄せる。頑なに抵抗する細い腕をしっかりと握る。足は泥に引きずられていく。

「離さない!」

 泥が飛び散り、暴れる二人を沼は飲み込んでいく。クリプトンは焦り始めた。このままでは、アルゴンはおろか、自分まで自然の肥やしだ。

「俺はお前を殺さない! 頼むから死なないでくれ!」

「うるさい! はな……」

 ゴゴゴと地鳴りが聞こえた。クリプトンがそれに気づいた時、二回目の地鳴り。そして二人が動きを止めると、三回目が襲ってきた。音は徐々に大きくなり、揺れは吐き気を催すほど地を揺さぶった。

「わ……っ」

 地が盛り上がる。隆起した二人の足元は二メートル、三メートルと上がり、どんどん昇っていった。

『動物だ! 沼の下にいたんだ!』

「動物!? こんなとこにも!?」

 傍観しているハイドロからの情報で、自分たちが湿地の主の上にいることが分かった。

「っ!」

「あっ」

 アルゴンが暴力的に腕を引き剥がす。手を離してしまった。

「お前のせいだ! お前が暴れるから……!」

「アルゴンが暴れるからだろ!」

『喧嘩してる場合か!』

 冷静になり下を見ると、地上はみるみる内に下へ離れていいった。それでも主は上昇をやめない。クリプトンは揺れに耐えるため、手を付いた。


 んもももおおおおおおおぉぉぉ……


 聞いたこともない鳴き声が響き、二人は揺れる。立っていたアルゴンは左右に振り回され、バランスを崩した。

「アルゴン!」

 背中から落ちそうになったアルゴンの手を掴む。クリプトンに掴まれたアルゴンは間一髪、その手にぶら下がることができた。クリプトンの強い腕一本で、アルゴンは生命を繋いでいる。

「ううぅ、滑る……」

 クリプトンは何とかアルゴンの手を掴んだものの、泥のせいで踏ん張る手足が滑ることに気づいた。頭はパニックに陥る。

『そいつのじゃく――』

「刃のある武器でそいつを刺せ! 爆発物は効かない!」

 アルゴンの声が滞りなく耳に流れ込んだ。クリプトンは頷く。

「うしっ」

 片手で小刀を瞬時に取り出し、硬そうな皮膚に突き刺した。


 んんんんももももおおおおおおおぉ!!


 硬いと思っていた皮膚は表面だけで、一度刃が入れば何となしに刀は沈んでいく。溺れるように。

「うわ!」

 障害物を突き刺された主は暴れ、悲痛な声で鳴き叫ぶ。鼓膜が破れそうな暴動に耐え、クリプトンは刀だけで振り落とされないように力を込める。左手には、絶対に離さないと決めたアルゴンの手。

「よく聞け!」

 叫びに混じり、アルゴンが声を上げる。

「このデカブツは攻撃されると毒を噴出する! それに乗って逃げろ!」

「毒!? 死ぬだろ、んなもん!」

「振り落とされるよりは軽傷なはずだ!」

 回る視界の中心でアルゴンの顔が見える。彼を信じてもいいと、クリプトンは信じた。

「分かった!」

 毒が噴出されるポイントを探す。アルゴンの数メートル下に、蠢く地肌が見えた。

「手、離すぜ」

「僕の!?」

「刀だよっ」

 三、二、一……

 クリプトンは、刀から手を離した。


 声にならない声を上げ、見事に噴出された毒に波乗る。二つの身体は途轍もない威力に押し流された。

「っ!」

 毒を入れないように口を閉じるアルゴンの身体ごとクリプトンは包んだ。潰れるほど強く。その時でも、手は離さなかった。


『クリプトン、俺に乗れ!』

 飛ばされて数秒、空に放り出された二人にハイドロからの無線が届いた。

「いやちょっと、バランス取れねえんですわ!」

 急に出した声にゲホゲホと咳き込む。

『突っ込むから背を下にしろ!』

 言われた通りに背を下に、アルゴンを上に抱える。降下する放物線上でハイドロに命を託した。

『後で弁償しろよおおおお!』

 ウルトラスピードで突っ込んできた戦闘機を背でへこませ、三人は一つになって湿地に立つ木々の頭へ突っ込んだ。


 ガガガガと機体が削れる音、ボキボキボキッと何本もの枝が折られていく。数メートル引きずると、戦闘機のエンジンは地上で停止した。あちこちから白や黒の煙がシュンシュンと上がっている。クリプトンはまだ、アルゴンを抱きしめていた。

「……大丈夫か、アルゴン」

「っ! 離せよ!」

 腕の中で暴れるアルゴンを解放してやると、アルゴンはクリプトンの胸を押し、機体の鼻先から飛び降りた。

「僕はお前たちと協力する気なんてなかった! もう二度と僕に関わるな!」

「でもこれで、俺たちがアルゴンを殺さないって分かったろ」

「罠だ。気を許したところで僕を捕えて、国同士の取引に持ち込むつもりなんだろ。無駄だよ、コイオリードはそんな生優しい国じゃない。僕は捕虜の役目を果たさずに地雷になるんだ」

「そんなこと俺がさせねえよ。アルゴンは俺が守るから」

「は……」


「おーまーえーらー……」

 口論する二人の後ろから、ハイドロが這うような声で伸し上がってきた。

「遂にやってくれたなあ!! どうすんだよこれっ! 修理に何日かかるかなあ、え? 修理代はもちろんお前らが出してくれるんだよなあ、お前たちの責任だもんなあ。こんな墜落の仕方は初めてだよ、お前らのせいでなぁ!」

 見たことない剣幕でまくし立てるハイドロを止められる者など誰がいようか。今のハイドロなら、どんな神も、どんな鬼も視線一つで処分してしまうだろう。クリプトンは巨大生物よりもハイドロを恐怖に感じる。

「何でこんな怒ってんの、コイツ」

 アルゴンがポカンとした顔で、噴火中の主を指差す。

「おい、アルゴン……」

「お前はいつまでそこに座ってんじゃワレェ! へこむだろうがっ、どけオスミウム」

「俺そんな名前じゃないんだけど! てか、アルゴンのせいだぞ今の!」

 ギャアギャア言いながらハイドロに引きずり降ろされ、クリプトンはアルゴンに向けて投げ飛ばされた。これぞ火事場の馬鹿力。

「戻ってくんなぶっ飛ばすぞ!!」

 ハイドロにそう言われれば二人は耳を垂れ、その場を離れるしかなくなった。

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