hepta
アルゴンが、この先にいる
ハイドロの地を揺らすようながなり声に、クリプトンは耳を塞ぐ。
「お前、前回の戦場でたったの0.1も得点してないの!?」
自分たちよりも騒がしい客が犇めくバーで、ハイドロとクリプトンは飲んでいた。ハイドロがこれほどヘルツを掻き乱す中でも、誰も見向きもしない。
「しょうがねえじゃん。敵が強かったんだから。死なないだけましだったよ」
それに、口には出さないが、点数よりも大きなものを得たとクリプトンは自負している。
「……まあ、お前がいいならいいけどよ。一戦一戦を無駄にはするなよ」
クリプトンの満更でもない表情を読み取ったのか、ハイドロは口から飛ばす周波を抑えた。椅子を引いて再び座る。
「こんなに清々しい0点ってあるんだな」
酒を喉に流し、クリプトンは微笑む。
「そういうことは、ゼロと零の区別がつくようになってから言うんだなあ!」
言い放ち、骨付き肉に嚙みつくハイドロ。若干頬が赤いように見えるが、怪しく照らす明かりのせいだろう。
「お兄さん、良い男だねえ。サービスしちゃう」
化粧の濃い男性からクリプトンにアルコールのサービスが入る。
クリプトンは最近このようなことが増えてきた。無職時代には誰も振り返ってくれなかったのに、戦闘員だと知れば皆、手の平を返して寄ってくる。正直、心地よくはないが悪くもない。例え、金で寄ってきていたのだとしても。
「こいつ、恋人いますよ」
「ええー、そうなのお? ざーんねん! じゃあフラれたら、いつでも待ってるわ」
「え、ちょ、え」
ニヤついて骨をしゃぶるハイドロと、去っていく化粧の濃い男を交互に二度見した。
「嘘つくなよ! 俺に恋人はいねえ!」
ハイドロに抗議する。
「その内できるかもしれないだろ。それに、早くフッておいた方が相手のためだ」
猫背のハイドロはさらに背を曲げてクリプトンに顔を寄せる。
「あの男は、クリプトンの好みじゃないだろ」
「なぜそれを……」
固唾を呑むクリプトン。
「お前は顔で判断する人間じゃないからだ! ふははは」
答えになっているようでなっていない、いつもの返しだ。
ハイドロは椅子の背に戻り、似合わないブラックスーツで足を組む。足が短いせいで様になっていない。
「鍛えてる分、身体が洗練されて外見にも魅力が出てきたんだろ。お前が誰を選ぶのか俺は楽しみだよ」
褒めているようで、どこか上からなハイドロにクリプトンは慣れ始めている。
「ハイドロ……」
今のハイドロの言葉で、自分が戦闘員という身分だけで飾り付けされているわけではないと自信を持った。ハイドロを見つめて口を開く。
「少なくとも、お前は選ばねえよ」
「こっちだってごめんだわ」
売り言葉は即買された。
店を出て、いつものビルへ向かう。その途中でハイドロがある作戦を持ちかけてきた。
「この前言ってた、アルゴンに遭遇した時のマニュアルだが」
来た、とクリプトンは思った。ハイドロが彼についての説明を始めるということは、遭遇確率が高いということだろう。またもや喉仏を上下させる。
「俺がアルゴンを殺すなと言ったのは、仲間に引き込みたいからだ」
衝撃だった。ハイドロが、あの殺人鬼を仲間にするという作戦を立てていたなんて。
「コイオリードの戦闘員がされてきた仕打ちは知ってるか?」
アクチノが説明してくれたことだ。クリプトンは頷く。
「戦闘員らは国のために戦っている表面で、裏では自分を守るために戦ってる。それを逆手に取るんだ」
「どうすんだよ」
「俺がアルゴンの武器を全て使えなくする。その隙にクリプトンが説得に入れ。お前の夢を話せば、あの魔物も心を動かすだろう。要は、自分が助かればいいって思考なんだから」
それはとても素晴らしい作戦に思える。だが、そう簡単にバケモノが牙をしまうとは考えにくい。
「俺にできんのかな。色んな人が殺されてんのに」
「簡単に落とせない奴こそ、落とした後は心強い味方になる。大丈夫。クリプトンにしかできないから、俺はお前を選んだ」
ふざけているようには見えない。ハイドロは本気だ。彼の計算ならば九十パーセント以上は間違いがないだろう。いや、九十九パーセント以上かもしれない。
「ハイドロは、一人で何十人分の脳みそを持ってんの」
彼を信頼しすぎている自分が何だか恥ずかしく、言の葉で照れを隠してしまう。
「一つに決まってんだろ」
口元で笑顔を見せるハイドロに、曇りの色は一つも見えなかった。
いざ戦場へ向かおうとベルトに手を伸ばした時、ハイドロから視線を感じた。
「何だよ」
「え? 何でもねえよ」
「見てただろうが」
「やだー、自信過剰」
ハイドロは一人で楽しそうにクツクツ笑う。
「ちゃんとしてくれよ。アルゴンに会うかもしれないんだ」
アルゴンの名前を出すと、ハイドロは笑いを引っ込める。
「クリプトンなら、大丈夫だよ」
何度目かの背中を押してもらった気がした。
降り立ったのは、洞窟のような空間だった。
「いつも似たような所だな。岩々しいとこばっか」
「岩々しいとは?」
何の変哲もない、ただの洞窟に見える。クリプトンはまず敵がいないか見渡した。次に、ホウ岩のレーダー反応がないか確認する。
「特になし。とりあえず歩くか」
『おい、ここから南東に行くと出口があるぞ』
いつのまにやら戦闘機に乗っていたハイドロが情報を提供した。
「おお、じゃあ出口を目指そうぜ。時間帯によっちゃ空の光を浴びられるかもしれない!」
最近治った足首を軽やかに上げ、クリプトンは走り出した。戦闘機は後ろを付いていく。
暗く長い洞窟を抜けると湿地であった。
クリプトンは広がる景色を視界に取り込む。水浸しでも、歩きにくい土地であっても、人間以外の生命を感じることに感動を覚える。プッイの街では珍しいものばかりだ。
「でも、空は暗かったな」
期待の空振りは否めないが、街ではお目にかかれない星々がクリプトンに目配せしている。意味はないと分かっていながら、ウインクを返してみるクリプトン。
『もっと早く来るべきだったな。今さっき、暗くなったんだ』
ハイドロは何でも知ってるなあ、と素直に感心してから湿地に足を伸ばす。
「うわ、べちゃついてる」
それにすら興奮を覚え、クリプトンはワクワクを隠し切れない。この大自然の中に自分は共生している。
『あーあー、ちゃんと洗えよ、もう』
「母ちゃんか」
そういえば、そんなネタで話したこともあったと過去を思い出す。あれから、いくつかレベルを上げ、ステージ2に立っている。将来はステージ3まで辿り着けるのかと思うと力がみなぎってくる。
いつか世界中、全ての国を平和にして、自然を当たり前にあるものにし、人々が心から助け合える惑星にしたい。クリプトンは自分の夢を再確認する。そして、光の下に立っていた、優しい雰囲気と遊ぶ“あの人”にも、会いたい。この気持ちは何なのか、会ってどうするのか、証明も理由もいらないと何故だか思える。
抱きしめるだけでもいい。
『クリプトン、反応が出てるぞ』
ハイドロの声でレーダーの反応に気づく。ホウ岩が近い。
「本当。こっちだ」
進めば進むほど底が深くなっていく。沼なのか、泥なのか、それでもクリプトンは行ける所まで進もうと決めた。
「これは、俺がデカくなければ沈んでたな。初めて自分の身長に感謝するよ」
泥溜まりの中心まで来た。ここでレーダーは高反応している。
「え、潜るの?」
『やめとけ、二度と出られなくなる』
「じゃあどうすんのよ」
『とりあえず向こう岸まで行ったら? せっかくここまで来たんだし』
顔を上げると、ゴツゴツした岩が壁のように連なる陸があった。あそこならホウ岩も見つかるかもしれない。
「よし、転ばないよう慎重に行くぞ」
纏わりついてくる泥はしつこく、転べばズブズブと引っ張られて溺死する。志半ばで天に召されるのはお断りだ。
「ふう、服が重い」
時間をかけて泥を抜けたクリプトンは胸から下を見る。泥にまみれて重くなっていた。遊びならば構わないが、この状態で敵に襲われればとんでもない。
『クリプトン!』
緊急を伝えるハイドロの声だと聞き取る。構えて前を見た。
敵国の武器が動く。こちらに焦点を定めている。
「っ!」
撃たれる前に重い身体で走り出す。辛いが、筋トレだと思うことにした。
「サンキュ」
ハイドロに礼を言いながら岩壁の影に隠れる。どうやら敵は一人ではない。
『意外と多いな。どうしてだ』
ハイドロの独り言がブツブツと聞こえてくる。多いというのは敵の数だろう。彼はその理由を考えている。具体的な数字を言わないということは、片手に収まらない五人以上いるということだ。
拳銃を用意する。泥が乾く時間は貰えなさそうだと判断した。人数が多いのなら、隠れている方が不利になる。ここは先手必勝だ。
勢いを付けて走り出す。一発目は予測していた箇所にきたので避ける。弾が放たれた方向へ反撃する。すると次の武器が動いたため秒を置かずに身体を捻り、そちらの敵を撃つ。後ろから地面を蹴る音が聞こえ、しゃがむ。真上を弾が抜けていった。息つく暇を与えず、こちらも弾を返す。避け切れないと見切った攻撃は回転し、ギリギリで通り抜ける。そのまま転がり、陰に隠れた。
恐らく三人撃った。残りは少なくとも三人。いけるか?
「ハイドロ、今何人残ってる?」
数秒しても応答がないため不安になる。ハイドロに何かあったのか。
「くっ!」
銃声の大きさから大まかな距離を割り出し、そちらに向かう。走り出すと弾の雨が注いだ。全てをかわすのは諦め、一発を肩に食らうが根性で走る。弾の飛んできた位置、気配、使える感覚を全て駆使し、二発撃った。銃声時雨が落ち着いたようだ。
「よし」
あと一人。
『もういないよ、その国の奴は』
「ハイドロ」
救いの声が降ってきたことでクリプトンは一気に力みを解いた。自分も、ハイドロも生きている。
『撃たれてるな。平気か』
「かすった程度だから」
『そうか、じゃあ聞いてくれ』
歌でも歌うのかと思った。
『アルゴンが、この先にいる』
自分を包む空気が、五度下がった気がした。かすったはずの傷が今更「重症だ」と喚き始めた。
『クリプトンが狙っていた一人はアルゴンが殺ったんだ。今の敵が多かったのは、アルゴンを集団戦法で狙っていたからだった』
それでは、アルゴンがいる場所はここからかなり近い。クリプトンは震える腕をそれとなく押さえる。
『さっきお前が戦ってる間に奴の武器は全て破壊しておいた。今接近しても、アルゴンは格闘でしか戦えない。お前が頭を叩けば一発だ。力はお前の方がある』
喉が震えて返事ができない。殺戮兵器が、すぐそこにいるのだから。死が隣にいる感覚に怯えている自分がいる。
『ずっと黙ってると精神がすり減るぞ。何か言え』
呼吸を忘れてしまいそうになる。足の動かし方を思い出す方法も分からなくなりそうだ。
「……できる、さ」
思いつきで一歩踏み出すと、足が勝手に感覚を取り戻していた。
ハイドロが何かを呟いたのが聞こえる。しかし、クリプトンの聴覚は緊張で麻痺していた。または、心臓の音で拭い去られた。
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