penta

バケモノ

 一週間後、ハイドロは約束通りクリプトンを迎えにきた。クリプトンはハイドロを信じ、いつもの部屋へ共に向かう。

「準備はいいか」

 ベルトを締めた二人は向かい合う。

「ふう……よし!」

 クリプトンの不安に輝く目。それでも、信じることを恐れない目。それを受け止めたハイドロは笑みで答える。

「ヌ・パルトン!」

 ハイドロの掛け声は、最後の怖気を吹き飛ばした。




 瞼を開く。広がる視界には、暗い空。クリプトンたちの住む街と変わらない漆黒だが、空の広さだけは段違いだった。現在、視界の二分の一は空だ。地では森が、アウェーな二人をはやし立てている。ザワザワと内臓が浮き上がる感覚。

「せっかく自然の中なのに、いやーな感じ。何が来るんだ?」

 目の隙間を精一杯使い、クリプトンは標的を探す。全方向では森が嘲笑っている。その間にもハイドロは戦闘機に乗り込む。今だけは、隣にいて欲しいと思うクリプトンなのであった。

「どこだ……」

『俺は攻撃を受けたくないから、上がるぞー』

 ハイドロの無線。次に、戦闘機は浮かび上がった。

「そんなの俺も受けたかねえよ」

 そこで、ピンときた。ハイドロは攻撃を受けたくないから上がったと言う。“上がった”ということは……


「下からか!」


 クリプトンがジャンプした途端、地割れが起きた。クリプトンは大きな木の上に飛び乗る。地割れの先を見ると、惑星を分割するようなヒビがメキメキと進んでいた。追いつかれた木々がバキバキと叫び、倒れていく。あちらに飛んでいれば、確実にあの地割れの中へ落下していただろう。クリプトンは息を飲み過ぎて咳き込む。

 絶句していると、その地割れから大きな頭が顔を出した。毛むくじゃらの身体から鼻だけが尖り、さらに爪のような手も現れる。


 ギギギギッッ!!!!


 開いたバケモノのような口から牙が現れる。空気も割れそうなほどの、耳を防ぎたくなる錆びた鳴き声が響いた。空気の揺れで振動が起こる。

「で、デカすぎね?」

『体長百二十四ギガキロメートル、体重五十六万ライト、胃の大きさ八マイルハロンってとこだな。ドデカハンドレッドウェイト級の大物だ』

「これだけ情報があって、一つも情報がねえ」


 ギギギーーーーーッ


 重力が唸る音が聞こえる。あの生き物は全ての空気を食べ尽くしてしまわないだろうか。鳴き声一つで飛ばされそうになったり、吸い込まれかけたり、クリプトンは木にしがみつくのに必死だった。

『いつまでも掴まってるだけじゃ、咀嚼されて終わるぞ』

「分かってる! 考えてんだよ!」

 とは言ったものの、どう手を付けたものか。クリプトンは頭を痛める。近づいただけであの牙に飲み込まれそうであるし、あの爪で一振りされれば一瞬で身体が引き裂かれるだろう。考えただけで震える。気絶してしまった方が楽だとも思う。

 掴まってるだけじゃ、咀嚼されて、終わる。咀嚼されて……

「咀嚼されなければ……?」

 それは、平行世界に自滅が見える恐ろしい想像だと思った。しかし、ハイドロのヒントは、いつだって間違えたことなどない。やってみる価値はある。

「ハイドロ! アイツの気を、俺に向けられるか!?」

『それくらいなら朝飯前よ!』

 戦闘機が急降下して地上に近づく。生物をわざと外し、レーザーを連射した。身体の割に小さな目がクリプトンを捉える。

『そっち行くぞ!』

「おう!」

 超スピードで猛進してきた生き物は、口をガバリと開く。

『今だ!』

「ぐおおおおお!」

 充分以上の力で木の頭を蹴る。梢が何本も落ちていった。

 牙がクリプトンに迫る。この瞬間だけは、満足に健全ではない自分の目に感謝したかった。見えなければ、怖いものも怖くない。

 赤黒い体内へ吸い込まれた。




 目を開くも、何も見えない。身体に纏わりつく肉感が気持ち悪い。壁にしては柔らかい壁が、ペースメーカーに合わせてクリプトンを圧迫する。存在感抜群の湿度が頬をなぶる。

「あんなに大きくてこの狭さかよ。不良物件だな。俺の部屋よりひでえ」

 文句を垂れながら携帯用の明かりを点ける。いかにも体内な、赤色が広がっている。

『おーい、入れた?』

 ハイドロの呑気な声が無線で聞こえる。

「入れたけど狭くて動けねえよ。どうすればいいんだ?」

『そこまで行けたならもう簡単だろ。手持ちの武器で何とでも』

 身体で戦うクリプトンが現在所持している武器は銃、小刀、爆弾。どれも、巨大な身体の主を殺傷させることは難しそうだ。

「ってか、本当に狭……」

 その内、窒息するのではと心配になる。

『うん、窒息するかもな』

 唐突なハイドロの反応。

「心でも読んだのかよ」

『クリプトン。自分の体内だと思って考えろ。お前は、体内をどうされれば死ぬ?』

 体内でされて困ることといえば、内臓を荒らされることや、空気の流れを止められること。

「あ」

 どちらもできれば、このドデカい図体でもただでは済まないはずだ。


「まずは、自分が流動できれば……」

 血液か、唾液かが自分を流してくれればいい。クリプトンは閃く。

 身体を捻り、爆弾に手を伸ばす。

「うおりゃ!」

 主の脈と呼吸に合わせ、体内の道が空いた瞬間に、できるだけ真上へ向けて投げる。自分に当たらないように。

 我慢の限界を迎えた爆弾が弾けた。すぐさま道が広がるのが分かる。クリプトンの身体が、流れ込んできた唾液に流される。

「これで」

 クリプトンは小刀を取り出し、流されるままの勢いで肉の壁にそれを突き刺した。突き刺された傷が、流れるクリプトンによって切り裂かれていく。広がる傷。しぶきを上げる血液。しかし、しばらくすると体液は途切れ、またクリプトンは詰まり物になる。

「もう一度!」

 再び爆弾を投げ、爆発後の唾液に乗る。面白いほど道が広がり、同じ工程を繰り返す。下に移動する度、脈が大きくなっていくのに気づいた。

「心臓が近い」

 その時を待ち、同じ動作を繰り返す。そして遂に、一番熱く、最も脈を感じる部位まで降りてきた。

「ここだああああああ!」

 溜めておいた力を全て拳に集中させる。肉に食い込む腕の先に、核を感じた。

 巨大生物の身体は右往左往に暴れ回り、クリプトンの裂いた体内が傷を広げる。吹き出た赤い濁流がクリプトンを押し流そうとする。

「負けっかよ!!」

 追い打ちをかけ、クリプトンは拳でとどめを刺した。核が破裂する音。


 ギギギギャアァァ……!


 破裂した心臓を追うように、生物の全身も破裂し液体が飛び出した。まるで、風船が割れ、バケツをひっくり返したような体液が爆ぜ注いだかのよう。


「落ちる! 落ちるうううぅぅぅ!」

 体内から投げ出されたクリプトンは手足をばたつかせるが、生身の人間は飛ぶことができないのが摂理。

『クリプトン!』

 飛んできた戦闘機がクリプトンを下から支えた。何かが曲がるような、大きな音を立てて。

『あっ、機体がへこんだ! お前重すぎだろ!』

「あんな高さから落ちたら、誰だって体重過多になるわ!」

『誰が修理すると思ってんだよ!? 今、色々と高いのに!』

「俺の心配は!? 何回も窒息死するかと思ったんだかんな!」

 言葉で水を掛け合いながら、戦闘機はゆっくり着地した。

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