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吹雪

 ダンベルを持ち上げ、痛めつけられる筋肉を感じる。自分にこのような細胞があったなんて。クリプトンは感動すら覚える。思えば、ハイドロに出会うまで、クリプトンは何を考えて生きてきたのか思い出せない。戦争の動向、政見、永遠に変わらない明日の天気。考えていたようで、考えていない。用意されたパッケージを、パッケージとして受け取っていたに過ぎないのではないか。


 俺は、何も考えちゃいなかった。


 自分は何を教わり、何のために教わっていたのか、答えを共に考える友さえいない人生。ハイドロに出会わなければ、自分はこの街で、この街という概念すらあやふやなまま、死ぬのを待つだけの一生になっていた。それを平和だなんて、今のクリプトンには戯言に感じる。もっと早く気づいていれば、もっと早く彼に出会えていれば、提供した身体の一部も犠牲にせずに済んでいたかもしれない。今になって、失った一部が恋しい。金と引き換えに、軽い気持ちで闇に売り飛ばしてしまった部品は誰の手に渡り、何をしているだろう。

「ふう」

 ダンベルを置いて、顔の右半分に手を当てる。

 もう後悔はしたくない。

 息を整え、クリプトンは再びメニューをこなしに立ち上がった。


 トレーニング室を出ると、そこにはハイドロが立っていた。今来たようで、待ち構えていたようでもある。

「熱心なこった。お疲れさん」

「おう」

 ハイドロは何も言わず、ひたすたにクリプトンの身体を見つめている。

「段々、お前らしくなってきたよ。その調子だ」

「お前、本当に俺の母ちゃんか何かか?」

 自分らしさをハイドロに語られることに一種のおかしさを感じるが、嫌な感じはしない。それは、ハイドロがハイドロという男だからだと、クリプトンは思う。

「お前を産んだ覚えのない母ちゃんかもな」

「お前に産んでもらった覚えのない子供かもな」

 そう返せば、満足を得たハイドロの笑みが返ってくる。もちろん口元だけ。

「お前が俺の母親なら、何で俺を産んだの」

 ハイドロとの出会いは、そもそも偶然なのか。

「俺が産みたいから産んだんじゃない。お前が生まれたいって言ったから産んだ」

 答える口角は引きつっている。この会話の奇妙さがツボらしい。

「何も考えてなかった俺が、そんなこと言ったのか」

 クリプトンはわざと目を開いてみせる。

「言ったわよ。全く、仕事が増えて大変だったわ。あたし、後悔したんだから」

 子を抱くような仕草をするハイドロ。声を高くして自分の母を演じている。


「でも、後悔したことに後悔はしてない」


 急に声を戻し、身体をこちらに向ける。クリプトンは度肝を抜かれた。

「クリプトン、必要な後悔ってあるんだよ」

 真っ直ぐな声で彼は伝えた。それはどちらに向けた言葉なのか。先ほどまで後悔していたクリプトンは、その言葉を自分事として頂く。

「忘れないでくれ。それは決して正当化とか、自分騙しとかじゃない。必要だから、お前の身に起こったんだ」

 ハイドロはクリプトンの手に触れる。低い声で、確かに伝えてくる。

「忘れないで」

 目の前の男は何を伝えたいのだろう。言葉の通りで、言葉以上のものを感じる。そこまで自分に伝えようとするのは、誰のためなのか。

「母親にしては、恐ろしく諭してくるな」

 言葉を探し、それだけ返した。言葉探しだけで脳の奥が鍛えられたかもしれない。

「親子ごっこは終わり! 今からは戦争ごっこに行くぞ! 準備しろ」

 パッと振り返り歩き出したハイドロに、クリプトンは「おお!」と言葉で追う。

「ごっこができるのは、考えられる奴だけだからな」

 その声の調子だけで、ハイドロが笑顔でいることがクリプトンには分かった。







 次のフィールドは吹雪が荒れる雪山だった。枯れた細い木々をこれでもかと氷で叩く風は、オーバーキルのように見える。一寸先は白の山々。人の気配は感じない。クリプトンは普段見られない雪に目を奪われていたが、次の瞬間には、それどころではない寒さに身体を丸める。

 いつもはすぐに戦闘機へ乗り込むハイドロが、いつまでも戦闘機へ向かわないことについてクリプトンは言及した。

「今日は乗らねえの」

「視界が悪いし、風が強すぎる。バリアは張れるけど燃料食うし。今は燃料代が上がってるから、あんまり消費するのはよろしくない」

「へえ」

「あと、雪下の磁力が強いみたいなんだ。俺の戦闘機は磁場を嫌うから」

 ハイドロが無線ではなく、横で会話しているのが新鮮に思えるクリプトン。

「何だよ。頼りねえとか思ってる? 頭は使えるから大丈夫だ」

「ハイドロが頼りなかったことなんてねえよ。ただ、戦場で隣にいるのが変な感じ」

 鼻がむずむずしてきたクリプトンは会話を止める。

「は、は、ぶっふぇくしゅぅん! うう、寒いな」

 両腕を擦って気休めの暖を取る。

「……熱、出すなよ」

 ゴーグルに付いた雪を手で払いながら、ハイドロは忠告した。

「お、ここら辺はホウ岩の群衆地じゃねえか? レーダーが反応してる」

 クリプトンはレーダーに気づく。いつもより反応が大きい。

「まだ採掘者が少ないのかもな。こんな厳しい環境だったら、収穫する前に死ぬもんな」

「やめろよ縁起悪い」

 クリプトンは身震いした。


 しかし、そのフィールドは凍死の危険を除いて、天国だった。雪に埋まったフキノトウのようにホウ岩は見つかるし、視界が悪い故に敵が寄ってこない。ハイドロの助言も借りながら、クリプトンは小さなホウ岩を見つけ出していった。

「……って、こんなに見つけても1.875点!?」

 クリプトンは思わず音を上げる。

「小さすぎんだ。数は多いが、一つが米粒なんだよ」

 これでは日が暮れてしまう。タイムリミットまでホウ岩を集めても、とてもレベルというレベルが上がるとは思えない。そう考えたハイドロは新たな提案をする。

「敵を探そう。吹雪で視界が悪いから見つけづらいが、同様に俺たちも簡単には見つけられないだろ」

「それもそうだな。作戦変更!」

 二人は敵を探して歩くことにした。




 数時間後。

「ガチで何もいねえ! 寒い! 腹減った!」

 歩けども歩けども、敵どころか味方も見つからない。このフィールドにいるのは二人だけなのではないかとすら考える。クリプトンは荷物から何かが入った袋を取り出した。それをハイドロは眺める。

「あ、これ? ニンジンだよ。俺の非常食。この種類のやつは保存期間長いし、味が強いから食った気になれる。お前もいる?」

 袋から可愛いニンジンが顔を出す。クリプトンはハイドロに差し出した。

「いらねえ。苦手なんだよニンジン」

 顔をしかめて答えるハイドロに、クリプトンは驚いた。

「え! レベル318がニンジンを食えないだと!?」

「レベルは関係ねえだろ。臭えんだよ、近づけんな! 生で食うとか信じらんねえ!」

 鼻をつまんで手で追い払うハイドロを見て彼の新たな一面を知る。彼の、人間らしさを。

「まあ、どんな天才でも、苦手なものくらいあるよな」

「……そうだよ」

 ハイドロは不機嫌そうに頬を膨らます。こんなに面白い彼を見られるなら、またニンジンを出してやろうとクリプトンは心に決めた。

「匂いを消したニンジンも駄目なの?」

「ニンジンは何したってニンジンだから。何本でもニンジンだから!」

 減らず口で駄々をこねるハイドロの横で一口、ニンジンをかじると、クリプトンお気に入りの甘味が舌に染み渡った。


「ん?」

 視界の隅で、白が動いた気がした。

「ハイドロ、これ持っててくれ」

 ニンジン袋と食べかけのニンジンをハイドロに投げ、クリプトンはそちらへ駆けていく。

「うわあ! こんなの持たせんな!」

 ハイドロの悲鳴を耳に入れず、クリプトンは動いた気がしたものに近づいた。

「動物だ! 何か、丸いぞ」

 クリプトンの目に入ったのは、小さくて白い、毛の生えた動物だった。耳が長く、鼻をひくひくさせ、クリプトンにぴょこぴょこ寄ってくる。

「動物なんて街で見かけないからなあ、可愛いな」

 クリプトンは手を伸ばす。

「おい! ニンジンを俺に持たせるな!」

 後ろから来るハイドロの叫びを聞いて、触れかけていた手を引っ込める。やれやれとクリプトンは立ち上がった。

「はいはい、持たせて悪うござんした……」

 その時、どこからか足音が聞こえた。ザッザッザと、こちらに向かっているように聞こえる。

「何だ」

 クリプトンはホルスターから拳銃を構える。手元では引き金の準備。

 足音が止まる直前で発射した。


「ぐ」

 白の視界から声がする。

 その瞬間、足元の雪の中から弾が無数に飛び出した。

「うわ!」

 クリプトンは避けた拍子に武器を手放してしまった。

「クリプトン!」

 ハイドロは手に持っていたニンジンを足元めがけて飛ばす。ガシャッと、機械が潰れたような音。

「あ、手が滑っちゃったあ!」

 そう大声で言い放った後、ハイドロはクリプトンに駆け寄った。

「敵だ。あの動物はギフテの機械。近寄ると、そいつの情報を主に送り、攻撃もできるシステムらしい」

 早口で情報を伝え、ハイドロは離れた。

「俺は手を出せない。これからどうするか、自分でやってみろ」

 自分で考えろ、ではなく、自分でやってみろ。既に考えを巡らせていたクリプトンには、最高の指導だと思った。

「敵の数を把握する!」

 耳は風を察知し、目は白で溢れている。風の動きを肌で感じて、敵の配置を把握するにはまだ経験が足りない。


 今使うのは、第六感。


 クリプトンは走り出した。

 耳じゃない、目じゃない、肌じゃない。どれも使わず、どれもを酷使し、敵を掴む。位置、数、動き。武器を持たない自分にできる攻撃は、最大の防御。

「うおお!」

 クリプトンは拳で空を殴る。避けられたようだ。

「待ってました!」

 空ぶった回転の力で、回し蹴りをする。踵がヒットした感覚。苦しむ息が雪風に漏れたのが分かった。

「敵は……これだけか」

 戦闘態勢をやめ、ハイドロへ振り返る。

「終わっ……」

「あ! 足が滑っちゃったあ!」

 真正面からハイドロの突進が刺さり、クリプトンは身体を二つに折る。

「ぐえ」

 間抜けな声で、二人は雪の上に転がった。空を見上げる体勢になり、クリプトンの目の前に光が通り過ぎて行く。

「油断するな、まだいる」

 ハイドロに引っ張り起こされ辺りを見回すと、一気に敵が増えた気配がする。

「クリプトン、武器は」

「落とした! ない!」

「これを使え!」

 放り投げられた物を掴むと、それは刀だった。上身だけで五十センチはあるだろう。

「何だこれ、使ったことねえよ」

「とりあえず振り回してろ。お前なら、その内覚える」

 言われたそのままに、鞘も付けたまま振り回す。

「いや、鞘は取れよ!」

 言われた初めて、鞘を外した。その鞘は弾に撃ち抜かれた。それが始まりだ。クリプトンは弾かれたように走り出す。

「使いづら! 相手に届かねえ」

 拳よりは届く。銃よりは届かない。その微妙なラインに混乱する。

「おわっ」

 足元に弾が埋まる。先ほどから足元を狙われていると気づいた。


 雪に奪われる足を狙えってか。


「そんなに下ばっか見てると、上がお留守ですよ!」

 弾を避け、見えた敵に刀を振り下ろす。刀は敵の肩に埋まり、止まってしまった。

「あれ、そういう感じ!? 予想と違ったんですけど!?」

 焦って離れる。周囲の敵が弾の嵐を降らした。流れ弾をスイスイ避けながら、ハイドロはクリプトンを見守る。武器なし戦闘機なしのハイドロには、誰も手を出さない。いつものことである。


「縦じゃ駄目ってことは……」

 クリプトンは大回りに右へ走り、今度は敵の首へ向け、横に刀を振った。ガシャンと刀が当たる音が聞こえ、頭は雪へ落ちた。

「ダミーか!」

 クリプトンは向きを変え、後ろにいた敵に対抗する。その敵の首を切ると、それもダミーだった。

「偽物多すぎっ」

 どれだけ倒しても本物が出てこない。クリプトンは考える。体力がある内に本物を見つけて叩かないと、自分に限界が来てしまう。恐らく、本物を倒せばダミーは止まるだろう。


 どれが本体だ……


 ダミーをかわし、首を飛ばし、神経を張り詰める。見えない視界、限られる行き場。ふと、最後に見たハイドロの視線を思い出す。ハイドロの顔は……クリプトンを見ていた。じっと、ずっと。

「もしや」

 クリプトンは刀をできるだけ前へ伸ばし、そのまま身体を回転させ始めた。シュンシュンと回転し、世界が白に染まる。クリプトンは風になり、空気さえも切った。

 耳元で無機物が潰れる音。この音はどこかで聞いた。ハイドロがニンジンを投げた、あの時。

 まだあるはずと、クリプトンは回り続ける。刀が弾丸をも弾き飛ばした。誰もクリプトンを止められない。


「俺を見ているとは、な」

 失笑。ハイドロはゴーグルに付いた雪を払う。踊る猛吹雪だけが彼の声を聞いている。彼に触れるのは、許された自然のみ。ハイドロの言葉は氷結し、周囲の機械に届くことはなかった。


「おおおおおおお!」

 クリプトンは回り回り回り、回る。飛ぶほど回ると、次々と機械が壊れる音が聞こえた。同様に、次々と人間に見えていた敵が崩れていく。見えないほど小さな機械が、ずっとクリプトンを付け回していた。その機械が目の前のダミーを引き寄せていたのだ。つまり、この付き纏う機械を全て壊せば、残るのはギフテ本体だけ。

 気配が一つだけ残り、クリプトンは回転を緩めた。

「そこか!」

 回転の残り風で、敵の気配まで一気に押し迫る。残る力を振り絞り、一気に刀を塊へ刺した。機械にはない、細胞からなる有機物へ貫通する感覚がリアルタイムで腕に使わる。今度こそ終わったとクリプトンは感じ取った。


 引き抜くと、既に敵は死んでいた。抜き取った刃を見てみると一部がボコボコにへこんでいる。と、確認する間もなくクリプトンは雪に倒れた。

「やべ、動けね……」

 顔も目玉も動かしていないはずなのに、固定されない世界の上下が分からない。頬に当たる雪の床と、視界を埋め尽くす大粒の白。今、敵が目の前にいても気づけないかもしれない。クリプトンは何とか上半身だけ起き上がると、今度は逆に倒れ込んだ。焦燥で雪を掴む。思ったよりも硬い。

「あれだけ回ったんだ。小脳と三半規管を休ませてやれ」

 真上からハイドロと思わしき声が聞こえる。クリプトンは幻聴を疑った。顔を上げようと試みる。

「幻聴じゃねえよ、ちょっと休め。敵はいないから」

 これが敵の作戦だとしたら、自分は完全にハマっていると鼓動を早める。丸い視界には、大きなゴーグルを付けた男が一人。

「お、れの……ニンジン、持って来い」

「はあ? 誰があんな臭い物持ってくっかよ。動物様にでも食べてもらえ」

「はは、本物だ……」

「だからそう言ってるって。お前、大丈夫?」

 ゴーグル男の手が伸ばされる。手套がない。いつもと違う素手だ。クリプトンに近づいてくる。

 俺、死ぬ……?

 ぎゅっと、彼の手が額に押し当てられる。男の手は冷たくも温かくもない。

「熱! クリプトン、熱あんじゃねえか! だから言ったのに」

 これだけ寒いんだから、熱あった方が、あったかくなっていいんじゃねえか……

 口に出す力もなく、クリプトンは目を閉じた。

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