第3話 私の親友は優しい子なんです
「あああ、消えてしまいたい…」
藤野侑、十六歳と九ヶ月。
初めての恋が終わりました。
何ヶ月も脳内でリピートしていた、展望台の思い出。
私の人生を一瞬で塗り替えた、あの笑顔。
あまりにも衝撃的すぎて、私の頭の中はあれ以来、彼女一色になっていたのだ。
あの瞬間は特別なもので、きっと彼女も私のことを……好きになったとは言わないまでも、いくらか認識くらいはしてくれているのだと、心の何処かで思い込んでいた。
結果はご覧の通り。
あらゆる人脈を総動員して彼女の名前やクラス、通学路から家族構成まで聞き出した私とは違って、一ノ瀬さんにとって私はただの風景の一部だったわけだ。
思い上がりも甚だしい。
天使か妖精か、何にしても上位存在である一ノ瀬さんが私ごときを認知しているわけがないのに。
はぁ。
「ちょっと。鼻息荒くして出てったと思ったら急に帰ってきて、何なのよ」
自虐する機械と化した私の視界に、長い黒髪がちらついた。
放心状態で教室に戻ってきた私を見て、何かあったと察知したのだろう。親友の美月が心配そうな顔をしている。
陶器のような白い肌に浮かぶ鮮やかな唇が不安そうに歪んでいる。
「いまは、ほっといて。ごめんね、みつき」
しかし自己肯定感が地下まで堕ちた私には、彼女の心配を受け止める気力もない。
はやく、はやく鞄を回収して帰りたい。そしてそのまま消えてなくなりたい。
「放っておける訳ないでしょう。その調子で帰ったら途中で野垂れ死ぬか、事故にでも遭いそうだもの」
佐野みつきは義理堅い。等身大のお雛様みたいな見た目通り、正真正銘の大和撫子。
クールな立ち居振る舞いとは裏腹に、心と行動はいつだって情に溢れている。
自慢の親友は、いつもの切れ長の澄んだ眼で、真っ直ぐ私を見つめているんだろう。
でも。
今は、それを見つめ返す気になれない。
「わたしはね、おわったの。だからおわってもいいの」
「文章が意味を成していないわよ。ゆっくりでいいから、わかるように言いなさい」
泣いている幼子をあやすように、優しく語りかけ、そっと頭を撫でてくれる。
比喩ではなく、本当に私が泣いていると気付いたのは、丁度フラれた話が終わった頃だった。
それからのことはあまり覚えていない。
美月が珍しくあたふたしていて。
彼女の腕の中でわんわん泣いていたことだけは、覚えている。
明くる日の朝。
いつの間に寝ていたんだろう。
全く記憶にない。というか、どれだけ頭を捻っても『放課後に一ノ瀬さんにフラれた』の一文しか記憶が存在しない。
どこまでが現実でどこまでが夢だったんだろう。
全部夢だったらいいな。今この瞬間さえも夢で、そのまま眠り続けてしまえればいいのに。
そうだ。寝よう。そしてもう目が醒めませんように。
ずっと、夢の中にいられますように。
ふわっと、いい匂いがした。
なんだったっけ、この匂い。あったかくて、落ち着く香り。
ずっと包まれていたいな。
あ、わかった。美月の髪の匂いだ。
美月とじゃれあっているときにふわっと漂う、ヘアオイルか何かの香り。
美月。
昨日は迷惑かけちゃったから、心配してるかな。
記憶はおぼろげだけど、きっといっぱい慰めてくれたんだよね。
美月と友達でよかった。全部が終わっちゃったような気でいたけど、私には美月がいてくれたんだもんね。
この香りに包まれて、美月の腕に包まれて、いっぱい泣いて。
辛いはずなのに、なんだかあったかくて、少し幸せな記憶な気がした。
ちょっとだけ、もうちょっとだけ落ち込んで、立ち直ったら美月に会いに行こう。
『ごめんね』って、『ありがとう』って言わなきゃ。
「大好きだよ、美月」
「ありがとう。私もよ。さ、起きたならさっさと行きましょう」
朝の静けさに、凛とした声が響きわたった。
びくっと跳ね上がるついでに、布団から顔を出してみると。
真っ赤な紐で結わえたしなやかな髪。
糸を張ったようにピンと伸びた背筋。
ぼやけた視界でも見間違えようがない。
「美月!?!?!」
なんでいるの?いつからいたの??
っていうか今の、き、聞こえてた…?
「な…なんで部屋にいるの…?」
「迎えに来たの。ほら、着替えて」
朝から情報量が多すぎてパニックになった私を、美月が布団から引っ張り出して、制服に着替えさせて。
歯を磨かせて髪をとかして、あれよあれよと言う間に外に連れ出してしまった。
腫れた瞼に、海に浮かぶ朝日が痛いほど沁みる。
ジャージのおばさんが犬とウォーキングしてて。
隣の坂本さん家のお婆ちゃんが猫に餌をやっている。
ちょっとまぶしいけど、いつもどおりの朝。
昨日は、もう自分の人生はもう終わってしまって、あとは全部消化試合みたいなもんだと思ったけど。
世の中はいつも通りに回っている。
多分、皆それぞれにいろんな出来事があって。
それでも、意外と生きていけるもんなんだな、って思った。
前を向いたまま、改めて告げる。
「ねえ、美月。ありがとね」
「当然のことをしただけよ。あなたが元気ならそれが何よりだもの。それにね。わたしを選んでくれたことが、本当に嬉しかったのよ」
「うん……………。うん?」
「『ずっと一緒にいよう』って言ってくれたこと、『美月しか居ない』って言って抱きしめてくれたこと…全部、私の宝物よ」
「うん!?!?」
思いっきり振り返ったものだから、首がゴキッと鳴った。
「ああ、これからの私達は今までの私達とは違うのね…改めて、よろしくね、侑」
いつものキリッとした顔はどこへやら、とろっとろに蕩けた美月の顔。
あの魅惑のアーモンドアイが!完全にトリップしちゃってる!
確かに抱擁していた記憶はあるけれど…どうしよ、ぜんっぜん覚えてない。
え、でもこの感じは多分、”そういうこと”があったってこと…?
「あの、美月?私達って、その……。昨日、何があったんだっけ」
「何よ、照れくさいの?それとも、私の口から言わせたいのかしら?」
ひえぇぇ…何したの、私達…。
「ほら、行きましょう」
美月の白く輝く手が、私の方に差し出される。
何も覚えていない私には、曖昧な笑顔で手を取ることしか出来なかった。
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