地面

杏「あ、いたいた。おーい。」


授業と授業の間の休み時間に

彼方を探していると、

棟の間の渡り廊下で

スマホをいじっている人影があった。

2つのお団子から垂れた髪の毛が

ゆわりと揺れている。

静かに隣へ向かい壁に凭れる。


彼方「…?あぁ。」


顔を上げ、うちのことを認識しては

言葉少なくまたスマホに視線を戻した。


4月もこうして

2人で話した記憶がある。

うちらが会う時は

大抵ここらしい。

人通りもそれなりにあるが、

話し声や馬鹿をしている男子生徒らの声に

かき消されていきちょうどいい。


杏「あれからどう?調子とか、身の回りのこととか。」


彼方「それ昨日も聞いてた。」


杏「だって気になるし。」


彼方「そんな昨日今日じゃ変わらない。」


杏「そうだけど。」


彼方「だけど?」


杏「今日は調子以外どうなんだろうって思ってきた。」


彼方「あー。」


杏「戻ってきてから大変そうだったじゃん?」


うちといろは、彼方は

数日前に忘れ去られた街から

帰ってくることができた。

が、戻ってきて驚愕した。

テレビをつければ、

最後に家にいた日から

なんと1週間が経っていた。

そんなに長くあの街にいたらしいが

なんとも実感が湧かない。

しかし、翌日登校して

「久しぶり」と言われたり、

頻繁に見ていたYouTuberの動画が

数件更新されていたりと、

1週間空白だったのだと

信じざるを得なかった。


うちといろはに関しては

1週間の休みということで

学校に行く気が起きなかった

程度の誤魔化しで済んだ。

現にいろはは夏休み前も

1週間ほど休んだことがあるらしく、

その時もこれで通ったのだとか。

空いた期間分の授業ノートを貸してもらい

埋めていく作業には骨が折れたが、

それも昨日まででひと段落ついた。


うちは学生マンションに住んでため

通報されることはなかった。

朝は一叶と途中まで

通学することが多かったのだけど、

1週間毎日寝坊しているなとしか

思っていなかったらしい。

違和感を持って欲しいが、

今となっては通報されずにすんで

よかったと思っている。

いろはは実家で暮らしており

何と説明したか聞くと、

祖母の家に1週間泊まっていたと

伝えたと言う。

怪しくないかと聞くと、

「1週間消息不明を

デフォルトにすればいいんだよー」と

とんでもないことを呟いていた。

本気かどうかもわからないが、

こちらも通報されずに

事なきを得たらしい。


が、彼方はそうもいかない。

何せ行方不明だった期間が

半年もあるのだ。

学校や家庭双方にて

多くの手続きやら調査やらがあったと聞く。


杏「何せ5、6ヶ月もいなかったんだよ?夏休みを挟んだとはいえ、出席日数とか気になるって。」


彼方「それはぎりぎり。」


杏「何とかなるって?」


彼方「3分の1休んだらアウトらしいじゃん。実質4ヶ月…長期休暇もあるだろうし3ヶ月くらいまるっと休んだら留年もしくはその他の選択。」


杏「え、じゃあ…」


彼方「でも今回は特例にしてくれるらしい。長期休暇に補講行ったり追試受けたりしたら、何とかしてくれるって。」


杏「よかった…けどよくないか。」


彼方「長いこと生きるのを休んだらこれ。倍速で生きなくちゃいけない。」


杏「勉強、わかんないところあったら言ってよ。」


彼方「2年の範囲を教えられんの?」


杏「無理。」


彼方「適当話すな。」


杏「すんませーん。」


彼方のスマホがちらと見える。

メモ機能を開いており、

やるべきことや

何かしらの提出期限、

今後の日程の相談など

細かに並べられている。


杏「結局警察には何て話したの?」


彼方「話してないよ。」


杏「……え?」


彼方「弟が警察を呼ばなかった。」


杏「何で…?」


彼方「あの子は賢いから。もし警察を呼んだらどうなるかわかってただけ。」


杏「ごめん、全然話が見えてこなくて。ご両親が外に出ていて彼方と弟くんの2人で暮らしてるのかなってくらいはわかるんだけど。」


彼方「逆にそこまでわかってるんだ。」


杏「駄菓子屋前で再会した時、いろはと話してなかったっけ?」


彼方「言ったかも。…警察に相談したら現在の家庭環境が透ける。ネグレクト判断で施設引き取り、最悪うちらは一緒に暮らせない。」


杏「……だから、いくら心配でも相談しなかったの…?」


彼方「って言ってた。」


一緒に居たいと思うほど

大切な人なのだ。

そんな大切な姉が居なくなっても、

戻ってくることを信じて

1人で耐えていたと思うと心が痛くなる。

こうして彼方は戻ってきたからよかったものの

もしもの話があれば

どうする予定だったのだろう。

いろはの手助けもあったようだが、

それでも超えがたい壁は

いくつもあったはずだ。


杏「弟くん、彼方が帰ってきた時もうてんやわんやだったんじゃない?」


彼方「ん。信じられないって顔されたあと泣かれた。」


杏「そりゃあ安心するでしょ。」


彼方「いろはが定期的に見に行ってたらしい。だからその辺りは安心してるし…少しは感謝してる。」


杏「本人に直接伝えてあげなねー。」


彼方「助かったとは伝えた。」


杏「え、意外。」


彼方「助かったのは事実だし。」


杏「そっかそっか。」


彼方「ってか意外って何?うわ、にまにますんな気持ち悪い。」


杏「ちょ、ひどいひどい。言葉強っ。」


彼方「とにかく…今回の出来事は、うちは学校はただただ怠惰で3分の1休んで、家から半年弱出てってふらふらしてたくらいの処理ってわけ。」


杏「へぇ。なんか…なんかだなぁ。」


彼方「報われないって?」


杏「何も言ってないけど。」


彼方「あんたこそどうなの、今回の件は。」


杏「どうなのってそんな広義な。」


彼方「報われたからそうじゃなかったかで。」


杏「割には合わないよね。」


彼方「答えをすり替えない。」


杏「へいへい。…まあ……報われるわけなくない?」


彼方「根暗。」


杏「えーっ。言わせといてそれー?」


彼方「じゃあ何。」


杏「もういいもういい、学校でくらい明るくしときたいしー。」


ふらっと彼方の元を離れ

背を向けて片手を上げた。

彼方は既に興味なさげに

またスマホへと顔を向けていることだろう。


今回のことももちろん、

きっとうちは報われなかった。

が、もしももっと琥太郎くんと

話していたらと思うと怖い。

昔のことをなぞるように思い出す他

なかっただろう。

彼とはもう会えないし

会わないつもりだけど、

ほんの少しだけでも

幸せに、波なく生きていれば良いなと思う。

うちの分までとそんな

大層なことを言うつもりはない。

もう離れたのだ。

もう他人だ。


これからもうちは

なくなった彼を背負って

罪の意識に苛まれながら生きていく。





***





久しぶりに帰宅した自分の家は

匂いが全く違うように思えた。

いろはについてきてもらおうと思ったが

家族水入らずの時間を過ごして欲しいと

1人ぱっぱと帰ってしまった。

半年ぶりに帰ると

大地がうちのことを見ては

呆然と立ち尽くしていた。

それからおずおずと近寄り、

本物かと何度も聞かれたのち、

ぼろぼろと大粒の涙を流し泣き出した。

修学旅行のトンネル先で迷い、

そこでアサヒを置いてきた時のことを思い出す。

また母親と同じことをしたのだ。


けれど、あの時ほど

親と似てしまった絶望感はなかった。

優しくと思っても

意に反して強く大地を抱きしめる。

少し痩せていたような気がした。


泣き止むと、

いろはが定期的に来てくれて

話したり最近ご飯食べたか

聞かれたりしたこと、

通帳は自力で見つけたので

お金のおろし方を教えてもらったこと、

受験勉強を頑張っていること、

ご飯を作るのは難しいこと。

1人で生活するのは初めてで

怖くて寂しかったこと。

けど、1人でも少しは生活できること。

少し大人になったから

うちにちょっとだけ安心して欲しいこと。

それらを波のように

全て一気に話してくれた。


大地が1人でも大丈夫だ

なんて言った暁には、

うちはいらないも同然だと

この世の終わりのような気分に

なると思っていた。

しかし、案外そうでもなく

大地の言葉をありのままに受け止め、

大人になりつつあるのだと納得した。

半年前のうちのままなら

ずっとうちに任せとけばいい、

だから離れないでくれと

懇願したのかもしれない。

ここまで落ち着いて話を聞けたのは

紛れもなくあの街の

見知らぬおばあちゃんのおかげだった。


一叶に「休憩の意味を知ろう」と言われ

その日は確かそのまま眠ってしまった。

次に起きると、そこはあの街の

どこかにあった公園のベンチに

寝転がっていた。

わけもわからず一叶の名前を叫ぶ。

そこでおばあちゃんと出会い、

そのまま家まで上げてもらった。

行く場所がないと話すと

ここにいればいいと

快く迷いなく言ったのだ。


初めは不信感ばかり募り、

何度も口汚い言葉を使った。

が、その度にこれはいけないあれはいけない、

この意図があるから怒っているなど、

態度ではなく言葉を使って

都度うちのことを説いた。

初めは鬱陶しかったが、

時に気が向いて

指摘された通りに変えてみると

おばあちゃんはよく褒めた。

高校生にもなって

こんなことで嬉しがるなんて

子供っぽいと思いながらも、

おばあちゃんの前ではいいか、と

心を許せるようになっていった。


駄菓子屋の手伝いをしたり、

近所の掃除に一緒に出かけたり。

穏やかな日々だったと思う。

初めこそ大地のことばかり気にしていたが、

「逞しく生きている」「大丈夫」という

おばあちゃんの言葉に

段々と安心してしまったのだ。

怒る時は態度でなく言葉で説明し、

褒めたり人生の先輩として話す時は

言葉だけでなく態度で示した。

たまに自分の体に不都合があることには

愚痴を漏らしたが、

文句は決して言わなかった。

かっこいい大人だと思う。

赤の他人を半年匿い

共に暮らしてたくさん話してくれた。


初めて金の形をしていない

愛の形を見た。


あの街から出たら

もう2度と会えない。

おばあちゃんに感謝してもしきれない。

互いにいつまでも

元気であればいい。


本来ならそこで終わるはずだった。

が、そんなおばあちゃんが

嶋原という苗字だったと聞いた。


彼方「…。」


ざ、ざ、と小石の上を歩く。

手元には先ほど購入した花束がひとつ。

いつもはお線香だけもしくは

手を合わせるだけだけれど

今日は気が向いた。


半年間、誰も来ていなかったのだろうか。

それとも夏を挟んだからだろうか。

お墓周りの雑草は伸び、

墓石には雨の跡がこびりついている。

簡単に掃除できるようなものを

持ってこればよかった。

来週は掃除もするしよう。


目の前には、嶋原と書かれた

墓石があった。


彼方「久しぶり。遅くなってごめん。」


声をかける。

もしかしたらここに

一緒におばあちゃんが眠っていて、

うちの声を聞いていたり

したのだろうか。


彼方「あんたのお姉さん、ちゃんとここ来てる?」


花や線香を設置し、

改めて墓石を見やる。


彼方「月命日くらいしか来ないのかもね。」


目を合わせるようにしゃがむ。

風が心地いい。

紛れもなく夏は終わった。


彼方「うちなんて毎週来てんのに。薄情だね。」


ああでも、と

次の言葉を嘲笑を含めて漏らす。


彼方「うちも半年来てなかったし…薄情か。」


眠ってしまった彼女に

わざわざ全てを話すこともない。

今回の件は全体的に

うちだけが知っていればいい。

学校も家もあなたも、

何もかも知らなくていい。

昔であればそんなことはなかった。

痛みを過剰に痛いと

悲痛な声をすぐに上げた。

うちが苦しんでいることを

誰かに聞いて欲しかった。

その相手のうちの1人があんただった。


彼方「あんた、パパ活始めようかなとか言ってたじゃん?」


実際していたのかもね、と

独り言が風に乗る。

本当にしていたのかはわからない。


彼方「お金に困ってなかったでしょ。」


そう話していたでしょ?

なら、どうしてわざわざそれを選んだの。


彼方「全部捨てたかっただけ?」


それともうちのいる世界を

知りたいなんて

甘い言葉を投げかけるつもりだった?

そんなわけないよね。

あんたの思考じゃどうやったって。


彼方「どこでそんな破滅思考を覚えたの。」


風が花を揺らす。

伸びた髪の毛が風に引っ張られる。

少しだけ切って

短くしてもいいのかもしれない。


彼方「別に、しょうもない人生だったろうけど。うちからしてみりゃそこそこいい生活だったよ。」


金、家、学校、部活。

全部どれをとっても

悪くないものだったでしょ。

そう思いながらも

あんたの決断したことなら

うちは深入りしてまで

止めるつもりはない。


彼方「それでもあんたの守りたいものが守れたのならそれで。うちはあんたじゃないし、あんたは他人だから。」


あくまで他人。

けれど、あんたは初めて

ちゃんと友達だと思えた人。

そして、友達として死んだ人。

もう2度と知り合いには

戻れないことだけ悔やんでいる。

友達。

友達だった人。


彼方「じゃあまた。星李。」


あの街でおばあちゃんによろしく。

そうひと言残して

ゆっくりと立ち上がり、

秋風と共に霊園を後にした。










左回りの観覧車 終

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