影面

ゆっくり、ゆっくりと

ぶつぶつ呟きながら

アオイはうちらのことを案内していた。

劇場からさら行ったことのない方向へと

迷いなく進んでいく。

途中美術館らしき場所や公民館、

大きな市民体育館など

さまざまな施設を素通りしていく。

街観光ではなく

あくまで帰り道でしかないことを

思い知らされる。

遠く、山の上の方に

学校だろうか、

横幅のある建物があるようだった。


いろは「アオイちゃんは小学生なのー?」


アオイ「そうだよ!」


いろは「制服かわいいねー。」


アオイ「でしょ!お勉強頑張ってじゅけん?して、がんばったの!パパとママが褒めてくれてね、お勉強もっと頑張るんだー。」


杏「小学生受験したんだ。すごいね。」


アオイ「うん。みんなするんだって。でね、もっとかしこくなるために頑張ってみようってなったの。」


杏「みんなするもんではない気がするけど…。」


アオイ「そうなの?でも、幼稚園もか学校のお友達みんなしてるよ?」


彼方「受験して小学校入ってんだからそりゃそうでしょ。」


いろは「幼稚園のみんなもしてたんだー。みんな頑張り屋さんですごいねー。」


アオイ「うん!すごい!」


杏「彼方、彼方。もしかせずともアオイっていいとこのお嬢さんだったりする?」


彼方「うちに聞いたってわかるわけないじゃん。」


杏「えぇー…。」


彼方「京都あたりだと私立の小学校も多いから受験する子は多かったりするけど…それ抜きにしても私立ってだけで学費諸々はかかるからそこそこいいご家庭なんでしょうよ。」


杏「詳しい。」


彼方「おっさんの自慢話から抜粋。」


知り合いなのかも特に言及せず

そっぽを向いて景色を眺めた。

前ではいろはとアオイが並んで

楽しそうに話している。

いろはがこれはどうなの、

すごいねー、と

話題を引き出したり褒めたりするのが上手で

アオイも話していて

楽しくなっているらしい。

時々スキップするように

ととん、ととんと跳ねた。


彼方「愛されてていいね。」


隣で彼方が呟く。

確かにアオイを見ていると

どうやったらこんなに

天真爛漫で素直な子に

なるのだろうと思う。

後ろで手を組み、

「うちは」と口を開く。


杏「あんまそう思わないかな。」


彼方「そ?」


杏「経済的に余裕もあるしこんな素直だから相当愛されてるだろうなってのはわかるんだけど、親の期待を背負ってるように見えちゃってちょっと苦手意識感じる。…いや、ほんと偏見でしかないんだけどさ。」


彼方「その感性あるんだ。」


杏「えー、どういうことー?」


彼方「金かけられたらかけられただけ幸せだって言うタイプかと思った。」


杏「ひどー。偏見へんけーん。」


彼方「そうだよ偏見だよ。あんた、きらきら満足生活してそうだし、陽キャの類だし。」


杏「そんなイメージあったんだ。」


彼方「雑さはあるけど、陽キャ特有の誰にでもベクトルを合わせられるやつかと思ってた。」


杏「うち視点、別にきらきらはしてないしどちらかといえば陰気臭い方だなって感じだよ。」


彼方「ね。捻くれてて安心した。」


杏「何それ。別にいいけど。」


彼方「髪。」


杏「ん?」


彼方「何で短いの。長い方が似合いそ。」


杏「うちもそう思う。」


彼方「じゃあ何で。」


杏「何となく。乾かすのだるいし。」


彼方「それだけじゃなさそう。」


杏「それだけだよ。」


彼方「つまんな。」


心なしか声が

楽しげなような気がした。

わざわざ過去のことを遡って

理由を説明する必要もない。

自分の横髪をいじる。

1箇所にとどまらない。

その決断が良かったのか

それとも悪手だったのかは

数年経た今でもわからない。


歩いている間も

アオイから聞いたおまけの話が

頭から離れずにいた。

琥太郎くんを、

元気な頃の彼を連れ戻せるのは

今だけだろう。

アオイに連れられる中、

陽はどんどんと沈んでいく。

ひと言断りをいれ、

最悪置いていってくれと言った上で

琥太郎くんを探し出し、

もしも出口まで引っ張って

元の世界に戻したら。

それができたなら。


うちはまた髪を伸ばすのだろうか。

1箇所にとどまることを恐れず、

克服なんていかにも

前向きっぽい言葉を用いて

後退していくのだろうか。


しばらくアオイについて行き

曲がったり戻ったり進んだりをしていると

草花の壁が一面に

広がっている場所にきた。

道沿い全てが緑のカーテンのよう。

1カ所のみ施されたアーチが目に入る。

長い距離があるようで

遠くは明るい場所なのか

白んでいてよく見えない。

アーチを見るに

草花の壁は厚さがあるらしい。

まるで世界を隔てているみたいだった。


アオイ「ここだよ!道、おしまい。」


いろは「このアーチを潜ればいいの?」


アオイ「そう!」


いろは「そっかー。ありがとねー。」


アオイ「どういたしまして!お姉ちゃんたち、お小遣い見つけてくれたお礼!」


アオイは屈託のない笑顔をくれた。

とびっきり明るく、

多少この子に振り回されても

まあいいか、と思えるほどだった。


いろはがアーチに向かう。

踏み込む前、優しく壁に手をついた。

草花は手をくすぐっているはずなのに、

いろはは顔色ひとつ変えず

こちらへと振り返った。

彼女が小さく笑う。

それはうちに向けてではなかった。


視線の先は彼方。

帰ろう、と言っているようだった。


何も言わずにいろはの隣に立つ。

背から木枯らしが吹いた。

外はもう秋になっている。

彼方がいなくなってから約半年弱。

その間に色々あった。

いろはは絵を描かなくなったし

うちは他校にお邪魔して舞台に立った。

他にもうちが知らないだけで、

巻き込まれたみんなにだって

いろいろあったのかもしれない。

それでもうちらは

元の世界で生きている。


きっと生きなきゃいけない。

なくした人のためでなく

取り残されてしまった自分のために。


アオイ「お姉ちゃんは帰らないの?」


彼方「…。」


アオイ「…?そうだ、おまけ、持って帰らないの?」


いろは「私は決めてるよー。」


杏「うちも。」


いろは「彼方ちゃん。」


彼方「猫はいいの?」


いろは「モカは、死んだ。」


空気を切るように

冷酷に言い放った。

誰よりも人に優しく、

何の話でも受け入れて聞いてくれるけれど、

最も心が乾ききっているように見えた。


いろは「もう帰ってくることはないんだー。」


彼方「…。」


いろは「一緒に帰ろ。」


彼方「…やだ。」


いろは「そんなー。」


彼方「…。」


いろは「私も置いてくのはやだなー。」


彼方「…。」


彼方は気持ちが揺れているのか、

自分の袖をぎゅっと握り俯いた。

何が彼方を止めているのだろう。

元の世界が嫌だから戻りたくなく、

かと言っておばあちゃんに

迷惑をかけたくない。

その狭間で揺れ動いているようで、

瞳が灯火のように振れた。


杏「あのさ。」


気づけば口を開いていた。


杏「何が嫌だったの。元の世界の何が。」


彼方「全部。」


杏「そ…っか。でもうちらの全部って狭いじゃん。」


彼方「もっと広いって綺麗事言おうとしてる?」


杏「…それじゃ通じないよね。」


彼方「あんたはそんな明るいもんじゃないんでしょ。」


杏「表向きくらいそうさせて欲しかったけど。」


彼方「きもい。」


杏「あはは、きつ。」


彼方は一切笑いはしなかった。

愛想笑いをする自分が

対比になって浮いているように見える。

誰にでも当たり障りなく。

できるだけ浮ついているように。

ふらふらと彷徨い、最低限に。

それじゃ彼方には通用しない。


深呼吸をする。

どこかから金木犀の香りが風に乗ってきた。


杏「元の世界なんて全部最悪だよ、うまくいかない。」


彼方「…。」


杏「何をしたって何かは悪くなる。よくなろうとしたって片方は落ちる。片方どころかぼろぼろ、全部なくなることだってザラ。」


彼方「だね。そんな場所、生きる意味ある?」


杏「ないよ。」


彼方「なら何で帰るの?」


杏「…何でだろうね。」


彼方「…。」


きっと生きなきゃいけない。

なくした人のためでなく

取り残されてしまった自分のために。


そんなものは表向きだ。

明るい方に体重を乗せた自分だ。

その天秤から手を離す。

作り上げた多面性ではなく、

覆い隠したい2面性へ目を向けた。


杏「うちさ、中学ん時死ぬほど病んでた。」


彼方「うん。」


杏「ほんと、生きる意味あるのって感じ。まあ今もそうだけど。」


彼方「…。」


杏「うち、生きる価値ないんだよ。」


彼方「…そ。」


杏「なら余計何で帰るのってね。」


彼方「何で。」


杏「…恨まれに行く。」


彼方「…。」


杏「あれだよ、死刑よりも無期懲役の方がしんどいってやつ。うちは延々と苦しむために戻る。」


彼方「…いいの?」


杏「罰を受けるべきなんだよ。うちがしたのはそのくらい酷いことだったし。」


彼方「それを生きる意味にしてるんだったらお門違いも甚だしい。」


杏「そう思えるんなら、彼方は人生自体幸せであるべきだって考えがあるんだと思う。」


彼方「…!」


杏「なら、戻ろうよ。」


彼方「…せめて罰を受けて苦しむ以外の理由をつけて。」


杏「じゃあ、たんと落ち込むために戻る。」 


彼方「暗いね、あんた。」


杏「うんと落ち込んで吐くほど泣いて無惨に死んで、死後の世界でたくさん心から笑うことにしとく。」


彼方「救いがない。」


杏「いーの、1人で勝手に沈んどく。」


彼方「頼りもしないんだ。」


杏「それだけは2度とごめんかな。」


彼方「そ。」


やっと彼方は顔を上げ、

同情するように、

はたまた嫌厭するように目を細めた。

根は優しい人なのだと思う。

辛いことを経験した人ほど

人に優しくなれる人は

一定数いるものだから。


アオイは大きな目をぱちくりさせて、

しかし何も言わないままでいてくれた。


杏「彼方は?全部嫌とはいえど何が1番嫌だったの。」


彼方「…。」


杏「お金がしんどいとか?」


彼方「それはもう当分平気。」


杏「なら自由に過ごせんじゃん。」


彼方「そう思ってた。もう楽にしていいんだって。でも、時々すごく寂しい。苦しくなる、昔のことばかり思い出す。暇は暇で辛い。だけど、人と居ても疲れる。言葉が過去を引っ張りだすから気持ち悪くなる。頭からとっくに終わっちゃってる。」


杏「うちも。寂しがりだけど人といると疲れる。1人が好き。けどしんどい。」


彼方「あと、大切な人とか友達とか作りたくない。」


杏「何でか聞いてもいい?」


彼方「死ぬから。」


杏「そっか。」


わかる、なんて安易な言葉で

終わらせたくなくて

ぐっと唾を飲み込んだ。

大切な人ができると、

離れるのが怖くなる。

幸せを知ると

それが終わる時が怖くなるように。

元からなければ良かったと

嬉しかったことすら

否定してしまう時がくる。


杏「じゃあ、うちは友達にすらならないでいるよ。」


彼方「…。」


杏「最初に言い張ってたじゃん。知り合いって。」


彼方「…どうせ苦しんで死ぬくせに。」


杏「哀れな知り合いだよ。死んだって悲しむ義理はない。」


彼方「それがいい。」


こくん、と

うたた寝をしてしまったかのように

小さく頷いた。

彼方にとって大切な人が

この街にいたのかもしれない。

うちの知らない間に出会っていて

言葉を交わした上で

ここに残りたいという気持ちも

あったのかもしれない。

全ては憶測でしかないが、

知り合いでいたいのは

うちだって同じだ。

1カ所にとどまらず無意味を吟味し

流されるまま寂しく彷徨う。

悲しいことだけれど、

うちの根はそういう思考だ。


いろは「私は彼方ちゃんとの関係は友達って言いたいなー。」


彼方「知り合い。」


いろは「じゃあ私は勝手に友達っていっちゃおー。」


彼方「変なやつ。」


鼻を鳴らす。

彼方に必要なのは

おばあちゃんのような

寄り添ってくれる人だろう。

突き放そうとしても

隣に居続けてくれる人だろう。

けれど、彼女もまたそれを捨てる。

苦しむために戻るようなものだ。

うちらは違う人間で

背負う過去も全く違うけれど、

根っこはどこか似たように

伸びていたのだろう。


前向きだのプラス思考だの

進むことに酔うことこそが

良いとされている。

いいとされているだけだ。

なら後ろ向きに、

マイナスに酔っていたっていいじゃないか。

日々寂しくて辛くたって、

悲しさに溺れて少し楽になるなら

それだっていいじゃないか。


言葉なく手を伸ばす。

彼方は目を伏せ、

うちの手を取ることなく

アーチの方へ進んだ。

知り合いの距離感として

紛れもない正解だった。


いろは「…!」


杏「…アオイ、ありがとね。」


アオイ「うん!ばいばーい!」


彼方が光に呑まれ消えゆく前に

彼女の背中を追う。

眩しくて腕で目元に影を作る。

匂いが変わった。

雨っぽい。

湿気ったアスファルトが浮かんだ。

草花のアーチも

やがて終わりが近づいていく。


あの街はなくなって

忘れ去られたものが集まる場所。

そんな一見悲しそうな場所が

あんなに暖かそうだったのだ。

それなら、うちが無機物に

成り果てた先の話も

きっと暖かい時間が

流れていくに違いない。

来世でもない。

死後に期待だけしておこう。


だから死ぬまでは

琥太郎くんのことを主に

罪を携え苦しんで生きることにする。

救いようはないけれど、

最初から最後まで

大切だった人に人生を捧げるようなものだ。


結局1箇所にとどまらないようにしていたとて

根っこは変わらなかった。


ぱっと視界が開ける。

すると、学校の最寄駅の近くにある

裏路地の方に出た。


いろは「…帰ってきた?」


彼方「寒い。」


いろは「もう10月なんだよー。」


彼方「は?えぐ。」


彼方が自分の腕をさする。

先ほどまで雨が降っていたのか

アスファルトが湿っていた。

木々は徐々に枯れだす。

寂しい季節に染まっていく。

彼方に学校指定のセーターを貸した。

今度は何も言わずに受け取ってくれた。


知り合いでしかなかったとしても

たとえ友達だとしても

うちら3人は今冷たい地面の上で立っていた。

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