断面

この街に来てから

長いこと時間が経たように思う。

アオイを探し、琥太郎くんと出会い、

戻ってきては過去のいろはの話をする。

なくなったものに囲まれていると、

段々と自分ももう

なくなっているのではないかとすら

錯覚してしまいそうだ。

たった今、見知らぬ人から

「あなたは死んだからここにいる」

なんて言われてしまったら、

狼狽えたのちに受け入れるのだろう。


アオイを探したり

もう1度琥太郎くんと話したり

情報がないか街の人に聞き込みしたり

いろはともっと話したりなど

できることは数多あれど、

これから何をすればいいのかわからず

ぼうっと駄菓子屋を見つめる。


そうだ。

うちら帰らないといけないのだった。

この街を歩き渡り、

その中でできることばかり見ていたけれど

1番大切なのは

元の世界に戻ることではないか。


杏「おばあちゃんと彼方って奥にいるって言ってたよね?」


いろは「うんー。」


杏「ちょっと話してくる。」


いろは「はーい。」


杏「いろははどこかに行く予定はある?」


いろは「モカと一緒にいるかなー。」


杏「猫の気分でいろはもどっか行っちゃうじゃん。」


いろは「じゃあひと声くらいはかけるよー。」


杏「お願いね。」


いろは「はーい。」


いろはは道端でごろんと伸び

そのまま眠りについてしまいそうな

モカを穏やかな目で見つめていた。

こちらのことを気にする素振りもない。


駄菓子の並ぶ土間を進み、

段ボールの詰まれた横の段差で靴を脱ぐ。

腰をかけるには低いが

上には少々高い段差を超え奥を見やる。

和室が横に3つほど連なっており、

襖で区切ることもできるようだが

今は開け放っていた。

ブラウン管のテレビに

分厚い木でできた重厚感のあるテーブル。

そして左右を見やれば

階段やキッチン、

反対には縁側が見えた。

外から見ただけでは

それほど大きくなさそうだったが、

背の高い柵のせいで見えなかっただけで

庭もついているらしい。


縁側にはおばあちゃんと彼方が

座布団を敷いて座っている。

近くに麦茶が置いてあり、

その一角だけは

見ただけで夏だと感じた。


足を踏み出すと

ぎし、と床が軋み、

その音で彼方が振り返った。

今度は機嫌が悪くないのか

睨んでくることはなかった。


おばあちゃん「あら、おかえり。」


杏「ただいま…?…です。」


おばあちゃん「結構長い間どこ行ってたんだい。アオイちゃんを追いかけてから見かけなかったけども。」


杏「アオイとは途中で逸れちゃいました。」


おばあちゃん「まあまあ。あの子はいろいろと熟知してるからねえ。相手も知ってるていでするする歩いていっちゃうのよ。おばあちゃんも何度も迷ったわぁ。」


杏「それから…昔、よくしてもらった人に会って…一緒にアオイを探してまして。それで戻ってきて今って感じっす。」


おばあちゃん「随分旅をしてきたのねえ。」


杏「そうすかね。」


おばあちゃん「大きな街どころか学者さんのところや病院に行くのだって大変よ。」


杏「学者さん…?」


彼方「街の人からもそう呼ばれてるんだって。」


おばあちゃん「そうなのよ。みんな学者さん学者さんって。1番物知りなのよ。」


杏「病院のお医者さんじゃなくて…?」


おばあちゃん「それは別なのよ。学者さんはこの街にものすごく詳しくてちゃんと説明してくださるの。それで言うとアオイちゃんも詳しいけれど、説明のベクトルがうまく合わなくて難しいのと、道の熟知の方面についてと言った形で…また違う詳しいだわねえ。」


この街の人々は

全員がなくなった街である

という前提がある以上、

そんな特異的に

この街に詳しい人が

生まれているとは思わなかった。

それこそ、皆が過去のことを

忘れてしまうのであれば、

詳しい人など存在しないはず。


そこまで思い返してみて、

ふと琥太郎くんの顔が浮かぶ。

琥太郎くんはうちのことを

忘れないでいてくれた。

もしかしたらなくなる前に

一層強く思っていたものを

覚えているなんてことが

あるのかもしれない。

街で話しかけた女性の方は

話しかけた時に忘れたとは言っていたが、

もしかしたら子供のことは

確と記憶していた可能性がある。


脳からパソコンのように

音が出るのではないかと思うほど

うんうんと考えていると、

おばあちゃんが急に

「そうだわそうだわ」と声を上げた。


彼方「どうしたの。」


おばあちゃん「伝えてないことがあったのよ。ここにきてすぐに言おうと思ったのだけど、何でか言いそびれちゃって。彼方ちゃんにはだいぶ昔に話したかもしれないけれどねぇ。」


杏「何ですか?」


おばあちゃん「帰り方だよ。」


もしかして、と

いくらか昔のことを思い返す。





°°°°°





いろは「私たち、彼方ちゃんに一緒に元の場所に帰ろうって言いにきたんですー。」


おばあちゃん「ほぉー。まあまあ大層なことを。」



---



おばあちゃん「元の場所がわかるのかい。」


いろは「多分ー。今きたばっかなんですよー。」


おばあちゃん「そうかい。そりゃあまだ戻れるさ。ただその前にひとつ」


彼方「戻らないよ。」





°°°°°





戻れる、と話したきり

結局アオイがやってきたり

うちもうちであまりここにいなかったりと

話を聞く機会がなかった。

今思えば「まだ」戻れると言っていた。

嫌な予感がしてしまい息を呑む。

「そうだ、その前に座りなさいな」と

おばあちゃんは座布団を用意してくれた。


おばあちゃん「帰り方なのだけどねぇ、どこかにある道を通れば帰れるらしいのさ。」


杏「どこかにって…。」


彼方「そんなざっくり言われてもって感じだよね。」


おばあちゃん「あれ、話したことあったかね?」


彼方「1回聞いたような、聞いてないような。」


おばあちゃん「じゃあちょいと付き合ってくれ。その道ってのは、今のところ1人を除いて誰も知らないと言われてる。」


彼方「おばあちゃんもわからないの?」


おばあちゃん「ああ。もし教えてもらってもすぐに忘れちまうのよ。」


彼方「そう。」


杏「誰に聞けば教えてもらえるんですか。」


おばあちゃん「アオイちゃんだよ。」


杏「アオイが…?あ、さっき道を熟知してるって…。」


おばあちゃん「そう。けどね、安易に教えてもらおうなんてそうはいかない。おばあちゃんも何回か聞こうとしたんだけど、お願いを叶えてくれなきゃ駄目って言うの。」


彼方「あの年齢で条件を出してくるなんてやな子供。」


おばあちゃん「でもあの子のお願いはずっと変わらないんさ。」


おばあちゃんは座り直して

つぶらな瞳でこちらを見つめた。


おばあちゃん「ずっとなくしたお小遣いを探しているだけなんだよ。ご両親からお使いとして、いつもお父さんが飲んでる缶コーヒーを買ってきてって言われたんだと。」


杏「道がわかってるならすぐ見つかりそうですけどね。」


おばあちゃん「道がわかるだけでどこでなくしたかはわからないんだって言ってたよ。おばあちゃんもここにきて長いと思うけど、アオイちゃんはもしかしたら同じくらいか、もっと長いのかもねぇ。」


杏「あの、聞きたいことがあって。…街の人たちと話してた時によく「忘れた」って聞いたんです。それって…。」


おばあちゃん「ああ。ここにいればいるほどだんだんいろんなものを忘れていってしまうんだよ。」


杏「…っ!」


彼方「でもうちも割とここにいたけど大丈夫だったよ?」


杏「そうだよ、だって一目見てうちらのことわかったじゃん。」


おばあちゃん「最初は些細なことから忘れていくもんさ。どうでもいいことを忘れて、ふと思い出そうとした時にあれ…ってね。」


杏「どうでもいいこと…。」


おばあちゃん「今日は何日だったとか、お隣さんと最後に話した日だとか、学生さんなら担任の先生はまだしも美術や音楽の先生の顔や名前だとか。」


彼方「…。」


彼方がやや俯く。

その気持ちがよくわかった。


美術や音楽どころか、

比較的会う回数が

多かったはずの国語や数学の

先生の名前を忘れていた。

喉まででかかってるような気もするが、

思い出そうとしても出てこない。

あれだっけ、これだっけ、

頭の中で言葉を捏ねても

どれもしっくりこなかった。

当然の如く何日かもわからない。

この街に来てから

日付や時間の感覚が

狂っている気がする。

来て1分と言われても

1年と言われても

信じてしまいそうなほど。


彼方「…いろはたちが来るまではこんなことなかったよ。」


杏「……うちらのせいってこと?」


おばあちゃん「きっとタイミングが重なっただけよ。地震と同じ。歪みが大きくなって急に弾けて揺れるでしょう?忘れる力が溜まって溜まって、それでちょうど2人が来た時に弾けちゃったのよ。」


杏「おばあちゃん、どうすればいいの?どのくらい覚えてられるの?」


おばあちゃん「ここに来てすぐの人を見かけたことがあるけど、大体2週間はもたないわねぇ。」


彼方「2週間ってどのくらい?ここにいるとわかんなくなる。」


おばあちゃん「2人が来てからだと…あと半分くらいかしら。」


どのくらいこの街にいるのかわからないが

あと同じくらいの時間を

ここで過ごしてしまったら、

うちらは元の世界に

戻れなくなってしまうのかもしれない。

忘れてしまえば楽だろう。

けれど、忘れる未来が見え、

覚えている今は恐怖でしかない。

次に何を忘れてしまうのだろう。

最後に何を覚えていられるだろう。


杏「やっぱりすぐに帰らなきゃ。」


おばあちゃん「あなたたち、生きているんでしょう?」


彼方「…そうだけど。」


おばあちゃん「なら元の場所に戻りなさいな。ここは世の中からなくなったり、忘れ去られたりしたものが集まる場所だから。」


杏「彼方。」


彼方「…。」


杏「ねえ、もう戻れなくなっちゃうかもしれないんだよ?」


彼方「…いいよ。」


杏「…!」


彼方は膝を抱え、

膝に顎を乗せた。

まるで朝会がつまらず眠りそうな時のよう。

これまで彼方とは

数回しか話したことはなかったが、

その度に誰をも寄せ付けない

刺々しさのある人だと思った。

けれど、今ではその片鱗もない。

よく言えば丸くなった。

悪く言えば、正気がなくなった。

生きていこうと、

抗おうとする気力が

なくなったと言えばいいだろうか。


きっとおばあちゃんと話す中で

棘が丸くなっていったのだ。

初めは反発しただろう。

けれど、話すうちに

少しずつ心を許したのかもしれない。

いくら理不尽に当たっても

愛で返してくれそうなおばあちゃんだと

さりげない気遣いからそう感じていた。


おばあちゃんは困った顔をして

彼方の頭を撫でた。


おばあちゃん「おばあちゃん、いつまでここにいられるかわからないからさ。寂しい思いをしないように、生きているんなら自分の場所で逞しく生きていて欲しいと思うのよ。」


彼方「…。」


おばあちゃん「いつでも話は聞くわよ。」


彼方「…うん。」


彼方は猫のように目を細め

そのまま顔を伏せた。

彼方がここまで

優しく話すところを

見たことがなかったからこそ、

彼女にとっておばあちゃんの存在は

たとえ家族でなくとも

大切だったのだとわかる。


このまま引き剥がすのも

忘れ去ってしまうのも恐ろしく、

少しの間緩やかに過ぎる時間が

頬を撫でた。

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