平面
アオイを探すも見つからず、
一旦休憩しようと言われ
琥太郎くんの隣に座って数分。
居ても立っても居られず
すぐにその場を立った。
のんびりしすぎている気がする。
何もしていないことに
罪悪感を感じられるくらいには
気が早っているのだ。
いつまでも街の人や琥太郎くんが言った
「忘れてしまって」という言葉が
引っかかっている。
そしてこの街に来る前に
いろはと話していた、
なくなった人たちが見える現象。
もしうちらがこの街の人たちと
同じになってしまったら、
なくなってしまうなんてことが
ありえるかもしれない。
たった今何かを忘れている意識はなく
通常通りだと感じているが、
うかうかしていられず
琥太郎くんの方を向く。
琥太郎「…?もういいの?」
杏「あまりゆっくりしてられないかも。…アオイを探すのは一旦やめて、友達がいるところに戻ろうと思う。」
琥太郎「友達と来てたんだ。」
にこ、と安心するように笑った。
中学時代のうちは
一緒に遊んだり過ごしたり
するような友人がいなかったからだろう。
改めて閉じた交友関係だったと思う。
琥太郎「じゃあここで待ってるよ。」
杏「え。」
琥太郎「あはは。え、って。」
杏「てっきりついてくるかと思ってた。」
琥太郎「ついていきたいし話したいことももっとたくさんある。けど、あんちゃんずっと緊張してたでしょ。」
杏「それは…。」
緊張なんて生優しいものではなく、
もっと黒い染みのようで
形を保っていない感情だったが、
ともかく普段と違うことは
見破られていたらしい。
昔から人に気を遣い、
不調や違和感を感じとれる人だった。
琥太郎「だから少し個人個人で動くのもいいかなって思う。」
杏「…。」
琥太郎「この辺にいるからさ。また戻ってきたら声かけてよ。」
杏「ごめん。」
琥太郎「何にも謝ることはないよ。」
杏「琥太郎くんのこと…怖いわけでも……嫌いになったわけでもないの。本当だよ。」
琥太郎「わかってる。ほら、友達さん待ってるんじゃない?しばらく歩いちゃったから、きっと首を長くして待ってるよ。」
杏「……うん。」
琥太郎「行っておいで。」
まるで別れの言葉のように思えた。
行っておいで。
帰ってこないで。
帰ってくるな。
そう言っているように聞こえて。
また会えるよね。
また会ってもいい?
またここに来てもいい?
どれを聞こうとしても
何故かしっくりこない。
この町でまた会ったとしても
元の世界に戻ったらきっと会わない。
会ってはいけない。
恨まれているから。
だからこの街が最後の希望。
もしも彼がうちのことを
忘れた時が来たのなら、
その時は初めましてを重ねてもいいな。
杏「うちのことは全て忘れて。」
琥太郎「どうして?そんな寂しいことしないよ。あんちゃんを1人にはしないから。」
杏「全部忘れて。」
琥太郎「理由を聞かせて。」
杏「…忘れてくれたらいいよ。」
琥太郎「無理なことを言うね。」
杏「どうしても無理?」
琥太郎「きっとね。」
彼は優しいから
彼に襲いかかった過去のことを
全てを話せば、
聞いた上でうちのためと言って
覚えたり忘れたり
してくれるのだろう。
それを知っている上で、
これ以上彼に甘えるのは怖く、
そしてするべきではなく
頭を力無く振った。
琥太郎くんは何を思ったのだろう。
ゆっくり瞬きをして
小さく「待ってるね」と言った。
その言葉を耳にし、
振り返ることなく
その場から走って距離を取る。
いろはと歩いた時のことは
まだ覚えている。
どのような道だったか、
どんな店の前を通って
どのような話をしたか、
危ういが朧げながら記憶に残っている。
辛うじて残ったそれを頼りに
住宅街の方へと走る。
走る。
走る。
振り返らないように。
たまたま人の波の隙間から
彼のことが見えないように。
彼がうちを見失うように。
肩で息をし、足が棒のようになった頃。
ようやく例の駄菓子屋が見えてきた。
にゃーん、と声がする。
駄菓子屋の前ではいろはがしゃがみ、
どこからきたのだろう、
猫の喉を撫でていた。
いろは「あ、おかえりー。」
杏「ただいま。」
いろは「無事に戻ってこれたねー。」
杏「何とか。」
いろは「走ってきたのー?」
杏「そう。疲れた。」
いろは「お疲れ様ー。」
いろはは深入るような質問をすることなく
うちから視線を外し
また猫の方を見た。
杏「彼方は?」
いろは「奥でおばあちゃんと話してるよー。」
杏「彼方も人に懐くんだ。」
いろは「懐くよー。心許せる人だったんだろうねー。そう言えば女の子はー?」
杏「逸れた。」
いろは「そっかー。」
杏「その猫は?」
いろは「死んだ猫。」
杏「…死んだ……?あの、前話してくれた飼ってた猫?」
いろは「そう。モカって言うの。さっき歩いてて、その道中で会ったんだ。」
杏「…そう。」
いろは「ついてきても何もないよって言ったんだけど、私のこと覚えてたのかな。ひょいひょいってついてきちゃって。」
ごろごろと喉を鳴らしている。
モカはいろはに懐き
安心しきっているようだった。
うちが近づこうと足音を立てると
かっ、と目を見開いて
こちらを見つめていた。
警戒した目つきをさせてしまい、
とりあえずその場で立ち止まった。
いろは「おばあちゃんも「よく懐いてるね」なんて言って。家族だもんね。」
杏「…。」
いろは「でもね、やっぱりもうなくなってるんだよー。」
杏「うちもさっき会ったよ。」
いろは「なくなった人とー?」
杏「部分的にそう。昔の大切な人と会ってきた。」
いろは「今でも大切な人、の間違いだよー。」
杏「そうじゃないよ。」
いろは「そうなの?じゃなかったらこんなに長い時間ほっつき歩かないかなーなんて思ってたんだけど。」
大切だから、離れられないから
戻ってこなかったんでしょ、と
いろははにま、と笑った。
よかったねと言いたげで
勝手な解釈をされて心がざわついた。
そうじゃない。
そうしてはいけない。
わかっていながらも
大切な人と思いたい自分がいる。
図星だったのだ。
これ以上突っ込まれても
また彼に会いたくなってしまう
弱い自分に目が向く。
咳払いをして話題を探した。
杏「そう言えば歩いてきたって言ってたけど、どこまで行ったの。」
いろは「うーん、そこら辺を歩いてたら美術館があって、少しだけ見てきたところだよー。」
杏「美術館…?絵には興味ないんじゃないの?」
いろは「昔の私が絵を描いてたって言うから、ちょっと気になって覗いてきちゃった。」
何事もないようにそう言った。
もしかして今、絵を描くいろはと
話しているのではないかとすら思ったが
どうやら違うらしい。
絵を描かない彼女だが、
気まぐれで立ち寄っただけのようだ。
杏「近くに劇場とかなかった?」
いろは「どうだろう、あまり詳しくは見てないんだけど、あってもおかしくなかったかも。」
杏「そうなんだ。美術館、面白かった?」
いろは「変なものがあったって意味合いでは面白かったかなー。」
杏「どんなの?」
いろは「あのねー、私は知らないんだけど、私が描いた絵があった。」
杏「……えっと…?」
いろは「西園寺いろはってキャプションがついた絵がいくつもあったんだ。」
杏「…それって。」
いろは「うん。多分、知らない過去の私が描いたものだと思う。」
猫に視線を落とし、
口角にはいつも通りやや笑みを浮かべ
何事もないように淡々と話した。
猫はうちを睨むのをやめ、
またいろはの手に体を預ける。
いろは「びりびりに破かれてるような跡はあったんだけど、多分裏から補強して飾ってあったポスターとか、キャプションに知らない名前があったんだけど消すみたいにばってんが書かれてて…その下に私の名前があった油絵とか。それは佳作だったなー。」
杏「…思い出したりしないの?」
いろは「あはは。だからそもそも知らないんだよー。私じゃないんだから。」
杏「…。」
いろは「あとね、ものすごく不思議な絵があったのー。全部白い絵の具で描かれていて、見る方角によって絵が変わるの。なのにタイトルは黒。尖ってるなーって。」
杏「…。」
いろは「杏ちゃん。」
杏「ん。」
いろは「ここは本当になくなったものばかりが集まった街なんだね。」
杏「…そう、だね。」
いろは「私は暖かいなって思う。」
杏「うちも最初はそう思ってた。」
いろは「杏ちゃんはどう。懐かしい?寂しい?」
杏「うちは…。」
初めは商店街で談笑する人々を見て
暖かいなと思っていた。
しかし、きっとその人たちももう
なくなっているのだ。
どのような形であれ、
今元の世界でその人たちを
見ることはできない。
それを思うと、心の奥から腹の底へとぽつんと
小石が深い海へと沈むような
暗い気持ちになった。
杏「怖い。」
いろは「そっか。」
いろはは受け入れるように言った。
それ以上何も言わず、
猫だけが鳴いている。
この猫ももういないのだ。
…その時、不意に
これまで出会った人のことを思い出した。
琥太郎くんにおばあちゃん、彼方。
そして、アオイ。
なくなった時点の人が
ここに来ているのだとすれば、
かつアオイと蒼が同一人物だとするならば
彼女は幼少期で
なくなっていることになる。
蒼は生きているのだし
何かしら大切な心のどこかを
落としてしまった…のだろうか。
それこそ琥太郎くんのように。
なくしたのはあの明るさだろうか。
子供らしいわがままな部分だろうか。
しかし、それを言うのであれば
うちだってそうだ。
彼方やいろは、
皆の子供時代の姿があったって
おかしくないはず。
だから何かが根から欠落したのだろう。
アオイがこの街にいることに
些か疑問と違和感を持ちながらも、
いろはに心を許し伸びた猫を
じっと見つめていた。
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