路面

いるはずもない人が

見える現象か始まってから

およそ2週間ほどが経った。

先々週、先週、と

頻度は格段に高くなっている。

見えるたびに追っては

途中で消え去る。

それを何度も繰り返す。


このままでいるわけにもいかず

どうしようかと思っていると、

どうやら西園寺いろはも

同じ現象に遭遇しているらしいと

インターネットを通じて連絡をもらった。

学校も学年も一緒なのに

彼女とは何故か全く出会わない。

体育など隣のクラスとの

合同授業も違うので、

少し離れた教室にいるのだろう。

最近は美術室に住まなくなっているのは

少し前に湊と出会ったあたりで

それとなく察していた。


ひとつひとつ教室を見て回ると

自席だろう、友達と話している姿があった。

声をかけようと教室の中に入ると、

元よりこちら側に顔を向けていたこともあり

すぐに気づいて目を丸くした。

彼女の友人らも話を止めて

こちらを見ているのがわかる。

盛り上がっていたところ申し訳ないと

思いながらも足を進めた。


いろは「あれ、珍しいー。」


杏「話してるところごめんね。ほんの少しだけいい?今日の放課後空いてる?」


いろは「うんー。何かあったのー?」


杏「ま、いろいろ話そって感じ。帰りこっちの教室来るね。」


いろは「りょーかいー。」


杏「んじゃ!2人ともごめんね、お邪魔しましたー。」


ぺこぺこ浅くお辞儀をして

教室を後にする。

後ろでは「友達?」「どういうつながり?」と

嬉々として話している声がした。

古夏先輩みたいに

うちに対して初めましての時から

嫌悪感を抱く人は抱くから、

今回はそうでなかったらしく

ほっと胸を撫で下ろす。


午後の授業を終え、

荷物を慌てて詰めていろはのいる

教室へと向かう。

いろはのクラスでは既に

帰りの会は終わっており、

彼女は席についたままスマホを触っていた。


杏「ごっめーん!先生の話が延びたー!」


いろは「あ、杏ちゃん。ぼーっとしてただけだからあっという間だったよー。」


杏「結構待ったでしょ。いやー、ほんとごめん!」


いろは「あはは、私の言葉裏ありそうー?本当に待った感じしてないから大丈夫ー。」


そんな切羽詰まって謝らなくても、と

言っているかのようににかっと笑った。


いろは「どこで話そうねー。」


杏「あー…人いない方がいっか。空き教室とか。」


いろは「最近勉強してる学生多いしあるかなー。」


杏「テスト近いもんね。なかったら食堂でも。」


いろは「杏ちゃんがよければ帰りながらでもいいかなーって思ってて。もしその時見つけたら見つけたで追えるし。」


杏「あぁ。…ってそりゃ話す内容くらい見当つくか。」


いろは「そりゃあー。」


話したいことがある程度にしか

伝えていなかったはずだが、

話したかった内容は

当然の如く伝わっている上に

いろはけろっとして

追う気満々でいる。

今から走る準備をしているのか

夏セーターを脱いで半袖になった。


杏「いろはって運動できるの?」


いろは「もちろんー。」


杏「へえ、意外。」


いろは「通学くらいは余裕でできちゃう。」


杏「あぁ…運動…?」


いろは「体育は微妙だねー。」


杏「やっぱり。」


いろは「でも歩けるよー。」


杏「走れなさそう。」


いろは「持久力はないねー。」


杏「シャトルラン何回?」


いろは「シャトルランだなんて嫌な行事思い出させないでよー。もう行こうー。」


うちもシャトルランは嫌だけど、と

口にする前に

彼女は鞄を持ってふらっと

教室から出て行った。

その背中を追い、下駄箱、そして校門を通る。

長く話すかもなんて話が出たので

先週琥太郎くんを追った先の

公園を通る回り道をすることにした。


いろは「涼しくなったねー。」


杏「今年暑すぎたよね。6月で30℃行ってたっしょ。」


いろは「ずっと秋ならいいなー。」


杏「でも寂しい感じがしない?」


いろは「そう?」


杏「後寒くなるだけだなーとか、今年終わるなーとか思うと元気萎むわー。」


いろは「確かにね。暗くなるのも早いしー。」


杏「そーそー。」


秋は他のどの季節よりも

すぐに消えてしまいそうだと

毎年のように思っていた。

春は桜が咲く。

夏は暑い。

冬は雪が降ったり

寒くなったり

木が丸裸になったり。

目で見える変化が多い。

けれど秋だけはいつも

夏に侵食されて

葉が落ちる頃になったかと思えば

気づけばがくっと気温は下がり

冬になってしまっている。

辛うじて蜘蛛の巣が多くなれば

秋だなとは思うものの、

やはり年々短くなっている気がする。


いずれ秋はなくなって

長いこと経てばそもそも秋があった頃すら

忘れ去られてしまうのだろうか。

そんなことを思っていると

「最近さ」といろはが口を開いた。


いろは「最近、何を見たの?」


杏「急に来るじゃん。」


いろは「本題に入ったよー。」


杏「まさかの事後報告。えーっと…シノジョの学校あたりで見えたのことが何回かあって、でもみんな知らない人だったな。」


いろは「ほうー。」


杏「あ、そうだ。髪が長い人を一回見たんだけど…」


それからシノジョの音楽室で

声が聞こえたのに

扉を開いたら誰もいなかったこと、

シノジョ前で見た人を追うと

見知らぬ路地裏へ、

駅前と下校中で見かけた琥太郎くん

…いろはにはうちの知り合いの男性と伝えた…

は、それぞれ観覧車とこの先の公園へ

向かったと伝えた。

そして、1番最初のこと。


杏「美術室にいろはがいたのを見た。」


いろは「私?」


杏「そう。見間違いではないと思う…けど、だいぶ経ってるから正直自分で記憶作っちゃってるかも。自信はない。」


いろは「でも、ありそうだねー。」


杏「そこにはいなかったんだよね?」


いろは「うん。授業以外では行ってないよー。」


杏「そっか。」


いろは「これは私の話なんだけどね、夏休み明けごろから「美術室には行かないのー?」って何回も言われたんだ。」


杏「そりゃあ夏前あんだけこもってればね。」


いろは「やっぱりそうなんだー。」


杏「ん、どういう…?」


いろは「私ね、絵は描けないよ。描けたなんて記憶がない。」


何を言っているのか、と思った。

冗談だと思って

笑い飛ばそうとしたけれど、

ふと横にいるいろはを見ると

目を伏せ、下を向いて歩いていた。


それからぽつり、ぽつりと話してくれた。

絵を描けた記憶は本当にないのに

周りは皆揃って

「いろはは絵を描いていた」と言っていること。

いろは自身記憶はないので

最近では適当に話を合わせていること。

きっと自分の記憶が間違っていること。

もしくはここにいる

いろは本人が別の彼女であること。

それらを受け入れた上で、

のらりくらりと過ごしていると語った。


嘘のような話に言葉を失う。

あれだけ美術室に篭っていたのに

そのことを欠片も覚えていないのだ。

いろははゆっくり顔を上げ、

悲観的な表情、声色になることなく

いつも通りに話した。


いろは「だから、杏ちゃんが見たのは絵を描く私じゃないかなー。」


杏「絵を描く…。」


いろは「もうなくなった人やその他が見えてるんだよ、私たち。」


もうなくなった。

死に限らず、もうここに

存在しなくなってしまった数々のことを

指しているのだろう。

妙に納得できる言葉だった。

これまでに見えた人影も

死んだ人たちとは限らない。

現に、音楽室に消えた女子高生は

もしかしたらいろはの従姉妹の方かも

なんて情報もネットで

教えてもらっていた。


それに、琥太郎くんは死んでいない。

だから幽霊だとは断言できなかった。

けれど、今はきっと

外を歩き回れるような彼ではないはずだ。

おかしかった。

彼が外にいることがおかしいかったのだ。


杏「ん…?なくなった人はわかる。その他って?」


いろは「あのね、私の家で飼ってて数年前に亡くなった猫を見たの。だからその他。」


杏「なるほど。どんな人を見たとか、どんな頻度でとか聞きたい。」


いろは「先週はほぼ毎日かな。飼ってた猫やお姉ちゃんっぽい人、知らない人。そうだ。あと、彼方ちゃん。」


杏「え。」


彼方。

その名前を聞いては

かっと胸が熱くなった。

なくなった人。

いなくなった人。

話によるとどうやら

修学旅行先で消えてしまったらしい。

その彼方がいた、と。

それが意味するのは一体なんだろうか。

救える、なのか。

それとももうなくなったのか。


いろは「学校内にいたの。でも追ったら消えちゃった。」


杏「そっか…。」


いろは「その先にね、道があったの。」


杏「…ん?学校内で見たんだよね?」


いろは「あれ、杏ちゃんは気づいてなかった?」


杏「ごめん、話が見えてこないんだけど。」


道があった。

ちゃんとそう言っていたいろはは

うちの方を見てはきょとんとした。

彼女の中では気づいていて

当然のことだったらしい。


いろは「なくなった人を追ったことある?」


杏「全部追いかけてる。」


いろは「人が急にいなくなるポイントがあるでしょ?」


杏「ある。」


いろは「そこの地点周辺で大体存在しないはずの道が1本できてるの。」


杏「え、何それ。」


いろは「本当だよ。毎回見てるもんー。」


うちはそんなことあっただろうか。

いろはを見た時…美術室あたり。

それに校内ではもう1度、

背の高い女子高生らしき人を見ている。

が、見た場所は双方

あまり立ち寄ったことのない場所だった。

他にも遊園地だったり

行ったことのない道だったり

馴染みのないシノジョだったり…と

見かけた地点全てにて

そもそも地理に詳しくなかった。


いろはだけが見えているのか、

うちの注意散漫と

土地勘のなさが相まってこうなっているのか

判別はつきそうにない。


いろははぐるりと

ゆっくり首を傾けて空を見上げた。


いろは「あの道の先、絶対何かあると思うんだー。」


杏「前向いて歩かないと危ないよ。それに、その道の先に行ったらどうなるかわからないじゃん。」


いろは「でも、このままもういない人がずっと視界に現れてもやだよ。」


杏「それは」


いろは「その度に思い出すの、ちょっと辛いかなー。」


杏「そうかもだけど、でも危ないよ。」


いろは「それに、知りたいんだー。」


杏「知りたいって…」


いろは「彼方ちゃんや他の人たちが生きてるのかどうか。連れ戻せるんだったらこんなチャンス2度とない。」


いろはは顔を戻して

車が来ていないのをいいことに

くるりと1周まわった。

スカートがふわっと持ち上がる。

パニエのように広がり、

やがて蝶が羽ばたくように

静かに閉じて行った。


いろは「私は次見かけたら行くよ。」


杏「…。」


いろは「杏ちゃんも来て欲しい。」


杏「…うちは…迷ってる。」


いろは「私は彼方ちゃんを探しに。あと飼ってた猫がいるのなら見つけたい。杏ちゃんは?」


喜怒哀楽の強弱のない声が

今は高圧的に聞こえた。

不思議と責められているような

気持ちになっていく。


いろは「会いたい人、いない?」


杏「…!」


いろは「もしかしたら彼方ちゃんももうなくなってるのかもしれない。でも、会えるのなら会いに行きたい。それだけ。」


杏「会えるのなら。」


会えるのなら。

あの。

あの、元気な頃の。

琥太郎くんに。

もう戻らなくなってしまった

どこか壊れたままの彼ではなく、

数年前の、朗らかで優しく

笑ってくれる彼に。


会えるなら、会いたい。

そう思ってしまった。

もう明るい彼は記憶の中にしかいない。

この記憶を忘れぬよう

閉じ込めておくことしかできない。

けれど会えるのであれば。

それが叶うのであれば。


いつの間にか落ちていた視線を上げる。

前ではいろはが手を後ろに組んで待っていた。


いろは「どうかなー。できれば無理にでも来て欲しい。」


杏「何で無理にでも?」


いろは「1人だと、もしなくなった人や物に会ったとして…多分、戻ってこようって思えなくなりそうだから。」


杏「…。」


いろは「戻れ!って言ってくれる人が1人は欲しいなーって思うの。」


杏「その割に誘い文句はほぼ詐欺じゃない?会いたい人がいるだとか。」


いろは「実際会えるかわからないもんねー。詐欺かもー。」


杏「…はは、何それ。」


いろは「お願い。」


杏「いいよ。」


もっと考えることがあったはずだ。

それでも、考える前に

言葉が先に出ていた。

いろははにま、と笑って

何も言わずにすたすたと歩き出した。

その背中を追う。

ふたつ結びにされた髪がゆらりと揺れている。


今日、巻き込まれるかもしれない。

なくなった人に会えるかも。

そう思ったものの、

駅に着きいろはと別れ、

家にたどり着いてからもなお

人影を見ることはなかった。

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