界面
放課後のチャイムが鳴り、
同級生たちは部活に行ったり
すぐさま帰宅したりと
各々の予定を消化しに向かう。
高校1年生で時間はある一方、
遊んだり部活動に勤しんだりと
高校生は忙しいのだ。
とはいえ高校生の生活も
半年を終えたもので、
慣れて放課後を過ごす人ばかりになった。
うちの場合は帰宅部のため
すぐ帰ってだらだらと過ごしたり
たまにダンス教室に通ったり、
気ままに見つけた動画を元に
手芸やハンドメイドなどを齧り
ハマってしまう前に引き上げたりと
あってもなくてもいい日々を過ごしている。
杏「…っと。」
たまには違うこともしたい。
そう思った矢先、
学校の廊下の奥に視線が引き寄せられた。
鞄を鳴らし、大股で歩いていく。
薄暗くてひと気がない。
校舎の構造上、左右の端に曲がり角があり
そこにある2、3つ程の教室。
どれも使われていないのか
扉の奥は眠るように灯りを落としている。
確か4月に人狼ゲームのため
閉じ込められた時に
ふらふら探索した以来じゃないだろうか。
あの異空間と言っても過言ではない場所は
成山ヶ丘高校と似ている部分が多かった。
だから入学して以来
校内は授業で行った場所や購買などのみ。
好んで時間を使ってまで
歩いて散策することはなかった。
杏「あの時はスマホもなくて暇こいてたしなー。」
中学時代に同じ部活に
所属している先輩だった蒼と
長いこと一緒に過ごしていた記憶がある。
蒼はしっかりきっちりしていて
まるで機械のようとすら思っていた。
今でもその考えはさほど変わっていないけれど、
自分を律する能力に
恐ろしく長けていると
見ることができるようになった。
だからこそ、うちのなあなあな態度や言動が
目について仕方ないのだろう。
蒼は自分の中での基準が高い分、
他人に求めるラインも高いのだ。
演劇部の助っ人として
舞台の練習に参加していた時だって、
演技以外の部分を何度も指摘された。
それこそ、何かにつけて
あと数回口を出されていたら
堪忍袋の尾が切れていたかもしれない。
杏「そういえば。」
人狼ゲームでもし謎が解かれずに
自分のいる陣営が負けたとしたら、
隠したい秘密を暴かれる…
と言ったものがあった。
うちの隠したいものは
相変わらずあれだろうなと
思い当たるのだが、
他の皆はどうだったのだろう。
既に人知れずその片鱗や全貌が
露呈した人はいるのだろうか。
隠したい過去など誰にでもある。
うちだってもちろんそうだ。
忘れてしまいたいくらい心の痛む、
そして自身を恨み呪いたくなる
数年前の出来事が脳を掠める。
振り払いたくて頭を弱々しく振る。
そして意味もなく
行き止まりの窓にスマホをかざす。
写真を撮るわけでもないのにどうして。
目の前の真っ暗な画面には
自分が反射して映っている。
その奥には。
杏「…?」
その奥に、見覚えのある影が見えた気がして
咄嗟に振り返った。
横髪がはらりと舞う。
長く続く廊下の方へと
誰かが走っていく。
舞う髪の毛。
ふたつ結びのように見えた。
杏「……いろは?」
何度かは話したことがあるからわかるが、
うちのことを見かけた瞬間
逃げるようなシャイな人では
なかったように思う。
それとも、うちのことを避けているのか。
気になって廊下に出ると、
また曲がり角でふたつ結びが
見切れる瞬間を見た。
まるで猫がこっちにおいでと誘っているよう。
杏「…。」
気になってまんまとついていく。
階段の前で姿が消え、
追うとさらに上へと消える。
階段を上がる髪の毛の先が
見えなくなったと思えば、
廊下の方へと走っていく。
どれだけうちが早足で歩いても
少しばかり走ったとしても
全く追いつくことはない。
いろはらしき人影は
うまいこと人影を縫って
すいすいと歩いていく。
一体どこまで。
そう思った矢先、
ついに人影は見えなくなった。
はっとして顔を上げる。
油絵具特有の香りが鼻を擽った。
杏「美術室…。」
夏前だっただろうか。
いろはが1人美術室にこもって
ぼうっとしていた姿を思い出す。
ちら、と扉の窓から覗く。
そこには、手前に靄が
あるかのように見づらいのだが、
確かにいろはが椅子に座り
何か書いているのがわかる。
もしかして絵を。
そう思って扉を開いた。
しかし。
杏「…!?」
扉を開けた瞬間、
いろはは元からいなかったかのように
美術室はもぬけの殻となっていた。
誰かがいた痕跡もない。
1歩踏み出す。
あれだけはっきり見えていたのに
見間違えたのだろうか。
まるで蜃気楼のよう。
目を擦る。
それでも誰もいない。
杏「…絶対いたのに。」
幽霊を見たかのような感想が出る。
しょうもない。
疲れているのだろう。
今日くらいは早めに眠ろう。
そう思って美術室に背を向けると、
どんな偶然か、
湊が目の前を通りかかった。
部活に向かう途中なのか
肩には鞄をかけ、
スポーツドリンクを手にしている。
湊「あんれ、杏ちゃんじゃないですかい!」
杏「久しぶりっすー。」
湊「ひっさしぶりじゃん!全然会わないからもしかして別の学校にいるんじゃないかとか思っちまったよ。」
湊はうちにひょこひょこ近づくと
背中をばしばし叩いた。
陽気な酔いつぶれたおじさんに
絡まれているような気分だ。
こうして湊と対面し
2人で話す機会はあまりなかったからか
とても新鮮に思える。
湊「杏ちゃんはどうして美術室に?も、し、や、授業内に製作が終わらなかったとか?」
杏「ううん、たまたまっすよ。校内ふらつこうかなーくらいで。」
本当のことを言ったって
頭がおかしくなったと思われかねない。
そう考えていたからか
息を吐くように嘘が出た。
湊「そうだったのかー。案外広いから知らない教室いっぱいだっただしょ。」
杏「そっすね!ここなにに使うんだよみたいな部屋結構ありましたね。」
湊「なんなんうちにゃ敬語じゃなくていいよん。それにさ、学校に閉じ込められた時に「仲良くしよう!」って呼びタメ提案したのは杏ちゃんだったじゃん?」
そんなことまで覚えていたのか、と感心する。
発言者であるうちですら
そんなこと言ったっけ、と
忘れているのに。
杏「あー…そうだったっけ?じゃあお言葉に甘えて。」
湊「うむうむ!」
杏「あれ、湊って1つ先輩であってたっけ?」
湊「2年だよん。留年してるから2歳上だけどねん。」
杏「あーすんません。触れづらいところを。」
湊「うちだってネタにしてるからいーのいーの!ダメージ0だよん。」
けろりと笑って
照れるように頭の後ろを掻いた。
うちが言うのもなんだけど
無性に心配になってくる。
杏「湊はこれから部活?」
湊「そー!でもちょいとここに寄ろうかなと思って。」
杏「寄る?」
湊「うん。ここにいろはが来てないかなーって。そんなはずはないんだけど。」
杏「え、でも夏休み前はほぼ毎日いたよね?」
湊「毎日いたよん。」
杏「そういえば最近見てないような。夏休み明けくらいからかな。」
湊「美術室…というか、そもそも絵を描かなくなっちゃった。」
杏「え。」
どういうこと、と聞く前に
湊の無理に笑う顔が目に入って口をつぐんだ。
最近いろははTwitterで
発言するようになっていた。
それこそ夏休みに入った前後頃から。
それまではイラストを投稿する以外で
ろくにツイートをしていなかったのだ。
だからこそびっくりしたと同時に
どこか嬉しさと違和感があったのを思い出した。
その時から絵を描かなくなっていたのだろう。
留年の話以上に
触れてはいけないと察知し、
目線を湊の奥へと移した。
目を合わせていると思われる
テクニックとやらで
この方法が挙げられていた気がする。
杏「そうだったんだ。またいつか気が向いた時に描こーってなるといいね。」
湊「だね。ふー、いい具合に道草むしゃむしゃ油まいどしたし、ぼちぼち部活に行こっかなー。」
杏「何部?」
湊「バレーボール!」
杏「これまた意外な。」
湊「スポーツは大体得意なんだよん!じゃ行ってくるねー!」
杏「はーい頑張ってー!」
近くにいるのに
大きく手を振ってくれたので、
それに応対するように
大きく賑やかに手を振った。
未だ鼻の奥には
油絵具の匂いがこびりついている。
あの匂いに包まれて
放課後を過ごすいろははもういないらしい。
詳しいことはわからないが、
なるようになるはずだ。
だが。
と、ふと美術室を眺む。
杏「…。」
さっき見えたいろはは
果たして何だったのだろうか。
うちが無意識のうちに見たかった
幻の光景だったのだろうか。
判然としないまま
帰路を辿ろうと踵を返した。
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