左回りの観覧車

PROJECT:DATE 公式

月面

足元が揺れるたび、

喜びと恐怖の混じった笑い声をあげて

泳いでいるかのように足を交互に持ち上げる。

徐々に高度が上がり、

椅子から立って小窓から下を覗く。

すると、自分たちの乗る観覧車を見上げたり

興味なさそうに足早に去って行ったり

談笑しながら歩いている人々が

胡麻粒のように小さくなっていく。

まるで自分の身長が植物のように伸びて

巨人にでもなったかのような気分だ。


杏「うわあ!高いよ、見てみて人ちっちゃい!」


健気に声をあげる。

振り返ると快活そうに笑う彼の姿。


「そうだね。」


杏「ねーコタローくんも見て!」


「あはは。わかったわかった、あんちゃんそんなせかさんでよ。」


そうだ。

琥珀のこ、に太朗で琥太郎くん。

ワックスも何もしていないのに

適度にくるくるとした髪の毛をした、

目尻が下がっておっとりとして見える

お兄さんのような存在だった。

あんちゃん、と呼んでくれる

彼の声が好きだった。


観覧車の中、2人で外を眺める。

まるで時が止まったような

この瞬間が大好きだった。

観覧車が回り、頂上に向かう。

それを過ぎれば元気に笑う彼の顔が

どこから湧いて出たのか

真っ黒な靄に包まれていく。


杏「…コタローくん?」


細まった目が、上がった口角が、

柔らかい声が、優しい色合いの服が。

全てが上塗りの記憶のせいで

元気な姿が霞み色褪せて消えていく。


2人で乗る観覧車。

そんなものはもう2度と

実現することはできない。


笑う彼を忘れてしまえばいい。





***





杏「ねえー。」


一叶「ん?」


杏「暇。」


一叶「学校があったでしょ。」


杏「そうだけど。」


一叶「もう少しで定期試験だから」


杏「あーあー聞こえないー。」


一叶「秋だし新しい転校生とか来るといいね。」


杏「そんな希望的観測のイベントじゃなくて。」


耳を塞いで一叶の家の

ソファに寝転がり、

足をアームから放り出して

宙に浮いたまま緩やかにばたつかせる。

一叶は勉強をしているのか

ソファの目の前に設置された

ローテーブルでノートと参考書を開いている。

服にふわふわと散った

クラゲヘアの足元が見える。


杏「勉強とかの予定の話じゃないの。」


一叶「最近また来るようになったかと思えばこれなんだから。」


杏「演劇部の助っ人も終わって時間があまりに余ってる。」


一叶「ああ、助っ人。蒼から聞いたよ、アクシデントもあってすごかったらしいね。」


杏「マジでそう。停電しちゃって。でもめちゃくちゃいいタイミングで電気がついたんだよ。一叶も見にこればよかったのに。」


つい先日、横浜東雲女学院、

通称シノジョで文化祭が開催されていた。

夏休み当初、蒼からの誘いで

シノジョの演劇部の役者として

参加することになった。

そこで親しくなった舞波という

同じ1年生の演劇熱心な子と

お盆中も練習したのも記憶に新しい。

舞波は主役を演じる予定だったのだが

古夏の演技を見て猛練習した上で

交代を申し出たり、

文化祭当日では話にも出た通り

短時間の停電があったりと

アクシデントだらけだったが、

無事幕を閉じることができた。


10月や11月に

高校生演劇部の大会があるそうで、

今は皆その方へと

更に完成度を上げているらしい。

うちは元より他校の人間なので

共に練習できるのは文化祭まで。

大会ではうちの役は代役を立て、

最後まで演じることになっている。

もちろん本番は見に行く予定だ。

蒼や古夏が受験生であるのが

心配なところだが、

その2人含め全員

演技に磨きがかかっていくと思うと

既に数ヶ月後の大会が楽しみでならない。


一叶「1日目は見たんだけどね。2日目はクラスのシフトで。」


杏「あーあ勿体無い。」


一叶「もし教室の前に立って声かけくらいだけならまだ行けたのかもしれないけど、キッチン側だったから難しくて。」


杏「代理立てりゃいいのに。」


一叶「他の人の事情も汲んだ上でどうしようもなかったんだ。でも1日目は見たからさ。」


杏「特別メンバーだったんだよ?」


一叶「杏がいただけだよ。」


杏「冷たーい。」


ソファの上で寝返りを打ち、

その反動で落ちそうになりバランスを取る。

クッションに顔を埋める。

一叶の家の匂いがした。

特に9月頭はほぼ毎日練習していたが故に、

これまで当たり前だった予定のない日が

とてつもなく伽藍堂に感じる。


杏「なんか面白い話ないの。」


一叶「最近まで花をたくさん飾ってた。」


杏「1輪もなかった気がするけど。」


一叶「もう必要なくなったから処分したよ。」


杏「…なにそれー。」


声はクッションに吸収されているはずなのに

一叶は器用に聞き取って返事をしていた。


杏「…。」


一叶「…。」


杏「ねー。」


一叶「暇って言うんでしょ。」


杏「それはそうだけど。劇の内容覚えてる?」


一叶「セリフ一字一句は流石に覚えていないけど、大体の内容なら覚えているよ。」


改めて「花道を飾れ」の台本を思い出す。

主人公が迷子になる中

色々な人たちと出会う話かと思えば、

蓋を開けてみれば

多重人格の人の中のようなお話だった。

主人公の漆は主人格、

その他は切り取られた感情や性格たちの役。

切り取られた側は最後、

自分の存在を消されてしまうのだ。


杏「感情たちって…いや、感情じゃなくともさ…死んだはまだしも忘れ去られた後ってどこにいくんだろうね。」


一叶「どうしたの急に。」


杏「もー茶化すなー。」


一叶「本気だって。顔見ずに何で判断したんだか。」


むっとしてクッションから顔を離し

一叶の方を見る。

うちには一瞥もくれず教科書を捲った。


杏「聞いてないじゃん。」


一叶「聞いてるよ。正座で向かい合って話したいわけじゃないとは思っているけど?」


杏「ながらはやだ。」


一叶「出会って半年、わがままを言うようになったね。」


わがままに。

知らずのうちにうちはこうして

一叶に甘えていたらしい。

自分に嫌気がさして

またクッションに顔を埋めた。


杏「やっぱいい。ながらで聞いて。聞いてくれりゃいい。」


一叶「はいはい。それで、どうしてまた急に?」


杏「ずっと考えてた。夏休みの時からずっと。」


一叶「今の杏の考えは?」


杏「…出ないから聞いてるのー。」


一叶「色々あるじゃん。天国地獄大地獄…」


杏「子供の頃やった遊びかって。」


一叶「この世とかあの世とかも言うし。」


杏「それは考えたよ。この世に残ってるとかあの世に行ったとかあっち側こちら側って言うけど…でもそれって根本的には忘れ去られてないじゃん。」


一叶「そうなの?」


杏「うーん、思い出せる可能性が存在しちゃってる感じ?」


一叶「全ての人から本当の意味で忘れ去られた時のことを考えてるんだ?」


杏「そう。とか、うちだけが知ってたことなのに忘れちゃって、実質全人類知らない…とか。」


一叶「なるほど。そもそも存在してないという考えはないの?」


杏「それは…ちょっと寂しすぎない?死んだ後くらいどっか好きなとこ行きたいけど。」


一叶「好きなところ。」


杏「遊園地とか水族館とか、楽しそうなところがいい。」


一叶「ほぼほぼこの世のイメージで話してない?」


杏「確かに。でもあるかもしれないでしょ。」


一叶「そうだといいね。いろんな娯楽が集まってる街みたいな。」


杏「適当話してない?…別にいいけど。たまに霊界に迷い込みました、とかの話は見かけるけど、なんで出てきてるんだって感じ。」


一叶「おお、急に現実的な思考。」


杏「え、思わない?霊界じゃなくて夢の間違いじゃない、とか。」


一叶「夢を見たいんだか現実的に見たいんだか…。じゃあお月様にいるとか。」


杏「十五夜だからってかけてる?」


一叶「ぎりぎり月にいるのなら夢もあるし現実的でもあるかと。」


杏「じゃあ宇宙飛行士の人は会っちゃってるじゃん。」


一叶「会えちゃ駄目なの?」


杏「簡単に会えちゃうと違うかも。」


一叶「簡単に見えるようになったのはあまりに現代的な発想だね。」


だってさ、と寝返りを打ち、

クッションから顔を離して一叶を見る。

紙を捲る音がした。

本当にながらで聞いている。


一叶「要するに杏は、誰もかもが忘れた人の行く果には娯楽が沢山ある楽しい場所があって欲しいし、その場所に行って戻って来れるのはおかしいって言いたいんだね。」


杏「要約がうまい。おまけに戻れるなら方法を教えろって加えといて。」


一叶「忘れ去られた人が集まってるなら、思い出してもらったら帰れるとかありそうだけどね。」


杏「それって迷い込んだ方じゃなくて元から街にいた人が帰れちゃうじゃん。」


一叶「例えばで適当に話してるだけだよ。」


杏「適当すぎ。」


一叶「それとか、未練があるなら手伝って一緒に達成してあげるとか。」


杏「ありがとう、あなたはいい人だからお帰りください…みたいな?」


一叶「なんだか地獄の入り口みたいな話だね。」


杏「門番がいて、善人と悪人を分けるみたいな。あるよね。」


ないもの、知ることができないものを

想像していたって

答え合わせができるわけではない。

死後など特に答えはない。

答えを見ることはできない。

なのに、いつか自分にもやってくるからと

わからないものに不安にさせられている。

道が途切れ、その先には

ブラックホールが蠢いている映像が浮かぶ。

普段こんなことは考えないのに、

何だか突然怖くなって

「この話はやめよっか」と

上体を起こしソファであぐらをかいた。


一叶「結局最初は何の話だっけ。」


杏「暇つぶしー。中身なんて何でもいいの。」


一叶「あ、そうだ。もうすぐで定期試験があるなら一緒に勉強」


杏「あーあー!そう言うんじゃないんだってばー。」


一叶は意地悪が成功して嬉しかったのか

目を細めてくすくす笑った。

近くでこうして笑い合える友人がいるだけ

数年前の自分と比べると

まだいいのかもしれない。


冷房が僅かかかったのかカーテンがゆらめく。

半透明のカーテンの先、

まだまだ夏の光が照っている。

何かを訴えるように、強く、強く。

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