手垢のついた思い出ね

@nanadan

第1話

手垢のついた思い出ね①


「引っ越すの」

三月のある日、そう、言葉を洩らした。

わたしたちを照らすのは目がやけてしまう程の落陽。まるで、千秋楽の幕引きを照らすスポットライトのようだった。


「あなたも、あぶれもの?」

「おかげさまで」

私たちの初めての会話は、そんな話だった。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

先週まで、お気に入りの公園があった。

木陰のベンチに腰掛けると、頭の上でさわさわと木の葉が擦れる音が心地よかった。秋になると周りの田は蘖になって、澄んだ空とそよ風がちょうどよかった。

本当に静かなもんだから、読書にうってつけで。私の唯一の居場所だった。


六年生に進級してからは、放課後はいつもその公園へ重い重いランドセルを振り落としてしまうような勢いでダッシュして、公園に向かうのがルーティンだった。


ある日を境に、そこは嫌いな女子グループの溜まり場になった。


何度か懲りずに公園を尋ねた。

あいつらはミーハーだから、多分ここもすぐ飽きるだろうと思って、いないものと知らんぷりして、ベンチに座って、顔を埋めて、本を読んでいた。


ああ。一向に退いてくれる気配がない。

今日も今日とて、それなとかヤバーとか、感嘆詞だけで成り立っているもどかしい会話を繰り広げ、甲高い声できゃんきゃん喚いている。


三日目からは、私に小突いてくるようになった。

読んでいる本を取り上げて、なにこれー!と言って、適当にめくったページの一文を馬鹿みたいな大声で読み上げては、意味わかんない〜!と嗤ったり。本当に鬱陶しい。


きっと、あいつらはもう公園なんてどうでもよくて、私にちょっかいを掛けるのにハマってしまったんだろうな。


さようなら、わたしの孤島。居心地の悪いところにわざわざ行く理由もない。

七日目、私はバリカーの前で公園を一瞥し、その場を去った。


てきとうな漂着場所を探すとしよう。


家に帰りたくない。

その情動だけが、わたしの歩を盲目的に動かした。


今日の業間休み、学校の裏山にお化けが通う学校があるという噂を聞いた。机に突っ伏して寝ている時に盗み聞きした。


ただ閉鎖されたまま放置されているだけの廃校舎のことを、おばけの学校だなんて、ああ面白い。普段は嫌いな同級生たちの飛躍した想像力に、この時ばかりは素直に凄いなと尊敬してしまった。


まもなく、寝ている(ふりをしている)わたしの耳元で、ガキ大将がカスタネットを手に持ち、下ッ手くそな三連符をノリノリで叩いてきたことで、上がりかけていたお前らの評価は帳消しにされたが。


コンクリの小道がじゃりんこになったところから、だんだん草木が鬱蒼としてきた。

植物たちは伸び放題。落ち葉は落ちたまま。蔦の隙間からはカラスウリが覗いている。自然だ。

カシャッと落ち葉を踏むと、時々ギギッとなんの虫かも分からない鳴き声がする。


私はビビリだから、今までこんな所怖くて来る気にはなれなかった。あー今までというか今も怖いよ怖い!

けれど、もう後が無いし、今の漂着候補だとここが一番ましだ。仕方ない。


けもの道を歩いていくと、かつて田畑であったであろう、荒地があった。

今じゃ植物園みたいなところにも、人間が生きていた痕跡がみられて、なんだか面白いなと思った。

私が生きた証も、こんな感じに残るんだろうか…


「わ」

よそ見をしていたら、うっかり柔い泥に足を持っていかれそうになり、慌てて手を馬鹿みたいに広げてバランスを取った。泥の先には雑草に隠れて沼が見える。

危うくもそもそじゅるじゅるの苔だらけになりそうになった。こけて、苔だらけに


蔓を掻き分け、変な虫が鳴く度に怯えて背をまんまるに縮こまらせながら、歩くこと数分。ようやく、ようやくたどり着いた。目指していた、おばけの学校に。


わたしは、がしゃんと重く閉まった正門を乗り越え、堂々と敷地内に侵入した。

とりあえず、校庭をふらふらと歩いてみる。


ここは、わたしが通っている小学校の旧校舎だ。

噂によると昔ここで何か大きな事件があったようだ。はれていわく付きの土地となってしまった旧校舎は廃校になり、今の校舎がある場所へ移転したらしい。


詳しいところまでは分からない。一回考え出すとどこまで真実なのか気になってきた。

今度学校で調べてみよう。


あぁ、思考がうまくまとまる。散らかった部屋のもの達がふんわり浮いて、勝手に後片付けされていくように、息を吸う度にあたまがすっきりしていく。

現実から隔離された感じが心地よい。

ここまで来るのにけっこう険しい道を通って辛かったはずなのに、いまじゃそれも含めてなんだかこの場所に守られている気分だ。


ひとつだけ、座れそうな樺の窓際がある。わたしは自分の背丈よりちょっとだけ高いところにある窓際へ、思いっきり足を使って、一気に蹴り登った。

誰もいない校庭をひとりじめ。かなり…背徳感。まるで、一国の王になって、崖から自分の国を猛々しくみおろしているようだ。


「絶景」だ。

すっかりこの島をテリトリーにしたわたしは、ランドセルから本を出し、六十三ページを開いて別世界に耽った。


五時のチャイムが鳴る。あちこちのスピーカーから「家路」が輪唱のようにこだまする。

いつも思うけど、チャイムの音が少し大きい気がする。まあ、こんなの、気にしたってしょうがないんだけどさ。



「あなたも、あぶれもの?」


「うわああああああああああああ?!」

ぎゃあああああ?!!!


「おばけ?!?!?」

「ちがう」


い、いつから居たの?!

急に話しかけられ、思わず窓枠から飛び降りた。怖いよ!足音ひとつ伝えずに背後に立つなんて!


わたしを驚かせたのはそれだけじゃない。

白い肌、夜霞のような紫苑の瞳。目の下のなきぼくろ。まっすぐで繊細な黒髪。ふいに視界に入ってきたどれもが病的に美しくて、本物の地縛霊と見紛ってしまった。


まるで富江のようなお姉さんが、教室に立っている。


な、なんでこの人は校舎の中にいるんだろう。

思い切って聞いてみる。

「不法侵入ですか?」

「あなたも、わたしも。」

それはそうだな。


お姉さんは、口角を、ふ。と上げる。


「あなたも、あぶれもの?」


なんなんだこの人。

同じ質問を二回以上されるのは嫌いだし、内容もひっくるめて癪に触る。

廃校の来訪者が、迷える子羊であることが、そんなに重要なのか?


「おかげさまで」

せいいっぱい、嫌味ったらしく言ってやる。


「面白い。」

お姉さんは、私が座っていた白い木の窓際から、ぐいっと身を乗り出して、

「おかげさまで、なんてきょうび聞かないわ。」

黒い髪を秋風になびかせながら、わたしに向かって微笑んだ。


だいぶ怖い。適当な理由をつけて帰ろう。

「門限あるので!さようなら!」


「あらあら、またね〜 私はいつでもここに居るからね〜」


また、なんてあるものか!!

不審者が居てはおちおち読書なんてできやしない。仕方ない、別の島を探そう。


あの人、なんだったんだろう。

優しいのか何も考えていないのか、分からない声がする人だったな。


正門に走りながら、正門を乗り越えてから、その都度後ろの様子を伺ってみると、あの人はずっとわたしに手を振っていた。たぶん、わたしの姿が見えなくなるまで。

帰ったフリして草むらに隠れて、もう一回出て見たら、まだ手を振っていた。


わたしからも、手を振り返せばよかった。

悪いことをしてしまったかもしれない。

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