末男(五十六歳)②
そんなある日、高い場所から街を見渡せる機会があったときに、彼女はふと思った。こうしてちょっとした高さでも上の位置から見ると、住宅はどれも非常にちっぽけだ。そんな小さい家屋に手を加えただけで大幅に揺れを抑えて、被害をゼロ近くまでできる免震の技術が確立されてきているのであれば、あんなにしっかりとした鉄道や商業施設などを地下に造れる技術もすでにあるのだから、地面の中に免震の技術を投入した何らかの仕組みを施すことによって、地上全体の揺れを大きく抑えるのを実現することも不可能ではないのではないかと。
だが、その考えを聞いた彼女の周囲の人々は、本当にできるのならばもちろんいいと思うが、あまりにその免震装置の具体像が見えないし、仮に技術的に現実的なところまで持っていけたとしても、相当な金額がかかるであろうコスト面で実現は無理に決まっているといった、冷めた反応ばかりだった。
その人たちの意見やリアクションのほうが、まともな社会人なら当然と言えるだろう。彼女だってそうした懸念材料は指摘される前からわかっていた。けれども、少しくらいは、誰か一人くらいは、興味を示したり、協力的な姿勢を見せてくれまいかと願って話をしたのだが、それは叶わなかった。なにせ彼女の周りの人間は多くが公務員なのだ。世間のイメージほど保守的な人だらけではないとしても、チャレンジ精神が旺盛ということもないだろう。
でも彼女は諦めなかった。実現のために役に立つかもしれないことは片っ端から勉強するとともに、たとえわずかでも力になってもらえる可能性がある人を探し回り、見つけては足をどこへでも運んで頭を下げ、冷ややかな反応が多かった同僚など周辺の者たちにもできる限りの協力を求め続けた。その結果、試行錯誤を重ね、かなりの時間を要しつつも、実現の見通しが立つところまでたどりついた。
しかし、まだ大きい問題が立ちはだかっていた。日本は全土が巨大地震が起こる危険と隣り合わせで、東京だけ安全になればいいはずはむろんない。そこで国に全国の地中にその免震装置を設置するよう求めたが、現実的な数字になったとはいえ多大な費用がかかることに変わりはなく、財政が厳しいからと渋い態度だった。
が、そこで都は、ならば住民を見殺しにするようなことはできないので都内に単独で行いますけれども、首都圏で大きい地震があった場合、深刻な被害が出ているであろう近隣の県を中心に、国にものすごい批判が起こると思いますが構いませんね、と告げて気持ちを動かし、さらに、全国に設置するとなっても東京の部分は都がすべて請け負うと申しでることもして、日本全土設置のゴーサインを引きだした。都がそこまでやったのは、さまざまな努力や周囲への協力の要請を続けた延岡さんに職員たちが感化されたからであった。
ただ、順調な都に比べ、東京との境から全国へと広げていくことになった国側の設置の進行のペースは亀のごとくスローで、事情によりまったく進まない年もあった。彼女が定年で退職するまでのけっこうな期間に完了したのは、とっくに終わった東京全域と同じ程度の面積しかなかった。
それでも、東京が被災したら国家が立ち行かなくなる可能性まであったのだし、彼女に頼まれて力を貸した人も少なくはなく、それによって免震装置について知っていた各種の専門家の評価は非常に高かった。彼女は弱い立場の人たちを守りたい一心で頑張っていたので、そうした立派な肩書の人々にいくら褒められようと心が満たされることはなかったが。
そして、すでに述べたように地中免震装置は世間一般には伏せられていたけれども、彼女がまだ都の職員で働いているときにその存在を嗅ぎつけたジャパンテレビというテレビ局が、巨大地震が起きて揺れを抑えるのがうまくいった場合、もう隠す必要はないし、どのみちその装置のことは人々の知るところとなるのだからと、放送は成功後に行うという約束で許可をもらい、彼女に密着したドキュメンタリー番組を密かに制作していた。一年前の総理らの会見の後、選挙の結果がほぼ出た段階で、まだ続く予定だった選挙番組を途中で打ち切り、急遽その映像を流したのだ。
その番組で目にした彼女の奮闘する姿は、とても胸を打つものだった。とにかく常に弱い立場の人たちのことを思って頑張り続け、おそらくプライベートを犠牲にした面もあったであろう、ずっと独身での質素過ぎるといった印象の一人暮らしの様子も紹介されていた。
在職中は巨大地震が起こらず成功に至らなかったために、協力に転じてくれた者も多かったものの、周囲から「役に立つか定かでない税金を一人で大量に使った」という声がずっとつきまとった状態での退職となってしまった。
しかし、「どういう事態が発生するかもわからないし、大きい地震がなくてよかったに決まっている」とあっけらかんと言うなど、明るく愛嬌に満ちた性格であり、その点も加わって、彼女は多くの国民のハートをわしづかみにした。
一方、そのドキュメンタリー番組によって、政治家たちのいいかげんさもあらわになった。国民に地中免震装置のことが知らされていなかったのは、防災意識低下の懸念もあるにはあったろうが、財政も大事とはいえ国民の命を守るその装置の設置に消極的な国の姿勢を隠したい意図のほうが大きかったに違いないことは誰しもが感づいたであろうなか、おそらく政治家たちは免震装置の存在は知っていてもそうした事情は把握しておらず、さも積極的に設置を進めてきたような、あの自画自賛と言える態度だったわけである。
政治家たちの駄目っぷりと、延岡さんの頑張りっぷり。その両方を同時に見せられたのがよかったのだ。どちらかだけならば、似た話はたくさんあるし、きっと十分ではなかった。さらに、延岡さんはここA市の住民であることも番組で語られ、それも火をつける材料になったのだろう。私の頭と心にこのような言葉が強くわき上がった。
——私もやるのだ。簡単に諦めたりせずに行動するのだ——。
それまでの私の興味は、選挙でもその大半は国政選挙であった。なので妻に廃棄されてしまっただけでなく頭の中にもほとんどデータはなかったのだが、その日からおよそ一年後に予定されていたA市の市長と市議会議員の選挙に向けて、国政選挙同様に市民が投票する際に参考になるであろうと考える資料を、一から集め、まとめ、冊子にして市内の書店などに置いてもらうとともに、ブログを始めて、そこでも見られるようにした。
市民が役に立つと心底思える中身にするために、また、自分自身納得できるものにするためにも、時間は十分とはいえず苦労したけれども、次の国政選挙前のはこういう感じにしようとかなり具体的に考えていたこともあって、なんとか間に合った。
そして、実施されてからまだ一カ月も経っていないその市長と市議会議員の選挙は、なんと前回の同じ選挙の倍近くになる七十三パーセントという高い投票率だった。
それは、日本中が騒ぎになるほどではないまでも、事前に予測がされていたわけでもなく、驚いた人は多かったようである。有名人が立候補したのでもないし、なぜそれほど上昇したのかいろいろな分析がなされるなか、その投票意欲を導きだした人物として私は一部のメディアから取材を受けた。
けれども、実際に私がその投票率に貢献した割合など、おそらくそう高くはない。私が突き動かされたように他のA市の多くの人たちも、一年前のあの一連の出来事に触発されたのだ。「自分がやれることは簡単に諦めたりせず、できる限り行おう」「だから選挙は、ヒーローのような政治家はいなくても棄権しないで、しっかり候補者や政党を見極めて投票しよう」という意識が強くなっていたのだ。でなければ、新人のために私が冊子やブログに掲載したデータはわずかしかなかった、二十代後半という若さで知名度が高かったわけでもない、市議会議員の男性候補者の棟方悦司氏が、トップで当選することはなかったはずだ。彼は演説で語っていた内容が素晴らしく、それを市民がちゃんと聴いて判断したのである。
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