末男(五十五歳)③

「ただいま」

 しさくの小径におそらく含まれている地点から、横へ少し行った場所にある、我が家に到着し、私は玄関を開けて言った。

「おかえりなさい」

 奥にいた妻が、顔をこちらに見せて返事をした。

「ご飯作りますから、待っててください」

「うん。ありがとう」

 私は居間に移動すると、すぐにテレビの電源スイッチを押した。今日は総選挙が行われ、どこのテレビ局も選挙特番をやっているので、映った画面の番組も当然そうだった。

 座布団に腰を下ろし、一通りチャンネルを変えて見た後で、やはりとりあえず公共放送の番組にして、リモコンを置いた。

 ふー。やれやれ。

 今回も無事に選挙が終わった。ひとまずその点を喜ぶとしよう。

 というのも、今度の選挙で私は投票立会人をやったのだ。それは簡単に説明すると、不正などの問題がなく、きちんと選挙が行われているかを監視する仕事だ。市で公募されたものに申し込み、選ばれてやったのである。

 これまでも、投票立会人に限らず選挙に関わる役割を幾度も担ってきた。そのことを知る人は、私が選挙をお祭りのようなイベントとして好きなのだろうと思っているかもしれない。

 しかし、それは違う。趣味や娯楽を楽しむごとき目的ではなく、主権者である国民が政治に意見表明する選挙というものを真剣に思い、大げさではあるが使命感に近い感情で行っているのだ。報道といった間接的な情報ではなく、ちゃんと自らの目で選挙の現実を確認したいというのもある。

 そのくらいでなければ投票立会人をはじめ選挙に関わる仕事などやるべきではないし、そもそも任せてもらえないんじゃないかと思っているが、おそらく現在の日本において私のような人間は、変わり者や天然記念物のように見られてしまうことが多いのだろう。ニュース等で言われている通り、近年選挙を行うたびに投票に足を運ぶ人が減少しているのは何度も携わって思い知らされている。今回は珍しく一番乗りで来たのが二十歳前後であろう若い女性だったから、知らないところで若者たちの政治熱が高まっていて、投票所に大挙して訪れるような動きが拝めるんじゃないかと期待したけれども、結局その後はいつもと変わらず若者の姿はわずかしかなかった。

 とはいえ、よく政治に対する無関心などを批判されるが、若者のみを責めるべきではないだろう。割合が高いといっても、上の世代もましなだけで、ちゃんと選挙に行っていると胸を張れるほどではない。そして、嘆いてばかりでなく、考えるべきなのだ。なぜ投票率が下がり続けているのかを。

 問題点を挙げればキリがないが、まず思うのは、この国の政治家の政党というものに対する意識の低さがひど過ぎるだろう。本来あるべき理念がまったくなく、単なる互助会や肩書目当てで所属しているのではないかと疑いたくなるくらい、選挙に有利そう不利そうと簡単に別の党へ移ったり、党自体がすぐにくっついたり消滅したりして、国民からすれば比例や政党を考慮しての一票を投じるのが馬鹿馬鹿しくなる。

 それから、当選を重ねてそろそろ大臣にという待望組議員がいて、選ばないと政権の足を引っ張りかねないから処遇したものの、無知な分野の大臣になってしまったために、国会で質問にろくに答えられなかったりするという、よく目にするくだらない光景が政治への失望を増幅させている。大臣になりたい人間は、どの大臣をやりたいか立候補させるかたちにでもしたらどうなのか。

 あと、どこの政党も、選挙前の公約では多少の違いを見せるものの、実際に考えている政策は似たり寄ったりなのが見透かされているがゆえに、どこに票を入れても一緒だから、わざわざ選挙に行く必要はないと多くの人に思われてしまっているのだろう。

 ただ、そうはいっても、政治にどうにかしてもらいたいと思っている切羽詰まった状態の人はたくさんいる。お金に困っていれば数円の差でも大きく感じるように、政策的にわずかな違いしかないとしても、どこも赤点レベルの結果しか出してくれないとしても、自分が一票を入れる最善のところがわかりさえすれば、今をかなり上回る数の人が投票へいくはずだ。

 つまり、政治不信が原因とよく言われるが、誰に、そして、どの政党に投票すべきかわからないことが低投票率の最大の理由だろう。街頭インタビューなどマスメディアの調査では、大の大人が「誰やどこへ投票したらいいかわからないから行かないんです」とは口にしないだけだ。

 だいたい、おそらく多くの人が、自分の投じる一票がどうせ外れだろうという以上に、当たりだったのか外れだったのかすらわからない現状にまず絶望している。

 それはどういうことかというと、例えば自分の選挙区で当選して議員になった人が総理大臣や閣僚にでもなれば、当たりだったか外れだったか、要はその人に票を入れて良かったか悪かったのかを感じられて、最低限の満足感は得られるだろう。だがほとんどの場合、投票した人物が期待通りに活躍しているのか、またそれ以前に、真面目に仕事をしているのかどうかもわからないのだから、投票することに意味を見いだせないのは当然とも言える。比例は内閣や政党を支持する・しないという理解しやすい基準で票を入れられるものの、そうはいっても比例の個々の議員たちも税金から給料を払って国民の代表として働いてもらうのだから、一票を与えることにして良かったのか、当たりだったのか外れだったのかがわからなければ、やはり消化不良の気持ちは大きいだろう。

 だから、選挙が終わったらまるでなかったようになってしまう、いいかげんさが際立つ公約などよりも、選挙の後、国会でどういう法案がどこの政党や議員から提出されて、それに対して各政党や議員がどういう行動をとったのかといった、結果の部分を有権者にもっと伝えるべきなのだ。

 大抵ニュースは重要法案に関する報道ばかり、それも各党の駆け引きなど政局的な内容が中心で、成立した法案でさえ施行段階で初めてその法律を多くの人が知ることになったり、施行されてもなお知らない人が多いケースがよくある。国会のテレビ中継のときに目立っていた等の印象ではなく、自分の選挙区を中心とした各議員や政党がそれぞれの法案にどういう関与や賛否行動をとったのかというところをもっとはっきり伝えてもらえれば、間違いなく参考になって投票する意欲は増すだろう。

 さらに、そうした法案絡み以外の行動や発言なども知れ得る限りまとめて、国民に提示する。とにもかくにも、前回の選挙の結果を有権者にわかりやすく伝達することが重要だ。「予算」よりも「決算」に重きを置くスタンスになるべきなのだ。

 新人候補にはそうした実績はないのだし、選挙前には、特に争点になっている事柄をどうするのかという部分も、もちろん大事ではある。その点に関連して、近年メディアは難しい問題を噛み砕いて説明することをよくやり、それは良いと思うけれども、どうも近頃は単に雑学を紹介している状態になっていることも少なくない。多くの国民は、知りたい、あるいは、知っておくべきだろうと思いつつも理解できない、事柄やポイントをわかりやすく説明してほしいと思っているであろうに、どうでもいい内容についての詳細な情報を延々と伝えるようなものもよく見かけるのだ。それに、わかりやすく説明しているふうにしているだけで、まったく噛み砕けていない場合も多い。本気で誰しもにわかってもらえるようにするんだという気概がなければ駄目だ。どうもメディアの人間、特に新聞などは、わからないほうがいけなくて、理解したければ自分で努力しろという気持ちがあるように思えてならない。国民がわかろうと自ら勉強するのは望ましいことではあるが、だったらマスメディアやジャーナリストの存在価値は何なのだともなってしまうはずだ。例えば、高学年の小学生に見てもらって、それくらいの年齢以上ならばほぼ理解できるまでわかりやすくしたものを出すようにし、選挙では有権者がきちんと争点の中身を把握して、投票先を決められるよう手助けをするべきだろう。

 なんなら、そうした「現職議員の結果」と「小学生でも理解できるほどわかりやすく時事問題を説明したもの」などを一冊の本にまとめ、選挙前に出版したらどうだろう? 今はインターネットがあるし、そっちのほうが手っ取り早くて影響力も大きいかもしれないが、何にしても選挙前に世間に伝え広めることができれば、投票率の低下に歯止めをかけられるのではないだろうか。

 実は、今回の選挙も目を覆いたくなるほどの低投票率であったならば、私がそれを実行しようかと考え始めている。現在までの数十年に及ぶ長い期間、選挙に関心を持ち続け、自然と少しずつ増えていった、膨大な資料が私にはあるのだ。

 その考えはけっこう前から頭をよぎっていたものの、選挙を大切に思っているからこそ、私なんかの資料や文章で人様の投票先を決定しかねないことをしてしまってよいものかと躊躇する気持ちがあったし、他の誰かが投票率を上げてくれればそれで構わないと思っていた。

 だが、「選挙に行こう」というかけ声ばかりで、いつまで待ってもその望みを実現してくれる人物は登場しそうにない。私なら間違いなく投票率を上げることができるなどとうぬぼれているわけではないけれども、何もやらないよりはましではないか?

 もちろん、いざやってみると想像以上に世間に相手にされず、投票率が一向に上がらないなかで、自分の無力さや世の中の人々へのいらだちなど苦痛にさいなまれる羽目になるおそれもある。

 一方で、そう簡単にうまくいかないからこそ、幸せということも考えられる。私は今年で五十五歳になるが、この歳になると本気で残りの人生に思いを巡らせるときがあり、その時間の少なさに愕然となる。おそらく定年を迎えればさらに憂鬱な気持ちは増大し、それまで仕事一筋だったためにやることがなくなってしまった人などは一気に老けて、認知症に至る人も多いのであろう。ところが、私の人生はこれからが言ってみれば本番になるわけだ。多くの国民に参考となる情報を提供して選挙に行く気にさせ、投票率を上げて瀕死状態の日本の民主主義を救う、という大仕事を成し遂げられるように奮闘する、充実した日々が約束されているのだ。たやすくいかないからこそやりがいがあり、たやすくいかないからこそずっと生き生きしていられるのである。

 他の局の番組も見てみようと、私はまたテレビのチャンネルを次々替えた。

 すると、スタジオのキャスターからの問いかけに答える与党幹部の男性議員の顔が目に留まった。十月だというのに真っ黒に日に焼け、連日の暑さのなかでも、また、自分のためだけでなく他の議員の応援なども、頑張っていたんだぞという雰囲気がにじみでている。

 演出や意図的に日焼けをしたのでは当然ないだろうが、国民にそういった一生懸命なところを察知してもらいたいと無言のアピールをしているようにも見える。しかし、もしそうなら逆効果ではないのか? まるで「政治家はやっぱり選挙こそが最も大事なんです」と白状しているようなものじゃないか。

「……今おっしゃられた投票率が事実ならば誠に遺憾ですし、国民の皆さま、特に若い方たちが、投票所へ足を運ばれますよう、我々は今後さらに努力をしていく必要があるでしょう」

 ん? 投票率を言っていたのか。何だ。もう少し早くこの番組に替えていれば、どれくらいだったのか知れたのに。

 まあ、正確な数字ではないだろうし、ちょっと経てばわかるからいいけれども、やはり低かったのは間違いなさそうだな。

 それにしても、「さらに」努力すると述べたが、今現在、特に若者の投票率を上げる努力など、何かやっていたのか? 思い当たることはないけれど。

 そういえば、私も若い頃は選挙に行ってなかったんだったな。

 言い訳になるが、当時はずっと一つの党が政権を握り続けて、政権交代なんて現実味がなかったし、投票する必要性を今以上に感じられなかったのだ。

 そして、そんな私に向かって、父がある日唐突に、「選挙にはちゃんと行きなさい」と口にした。

 父は怖い人ではなく、怒るところを見たことがないほどで、従わなくても平気だろうという気持ちもあって、私はその言葉を無視する態度をとった。それに対して父はやはり怒りを示したりはせず、改めて何かを言うこともなかった。

 ただ、父は非常に無口で、子育ては完全に母任せで、私にしつけや指図といったことをまったくしなかったので、父が私に注意をしたというだけでも驚くようなことであり、その後わずか数年で亡くなってしまってからというもの、その出来事が無性に気になりだした。

 父は戦争を体験している世代だが、それについてしゃべることも皆無だった。当時生きていた人は誰もがそうだったのであろうとはいえ、死んだ後で父方の親戚から聞いた話によると、壮絶と言えるつらい思いをしたらしい。元々控えめな性格ではあったものの、そのせいで口数の少なさに拍車がかかってしまったようだ。

 そうして、私に対して進学や就職や結婚といった重要な場面でも、一度たりともどうしろなどと言わなかったのが、選挙には行けと口にしたのだ。つまり、私への生涯唯一に近い指示や命令の類の言葉がそれだったのである。

 なぜ父は選挙に行くように言ったのだろうか?

 特に深い意味はなく、たまたまそのとき思っていた言葉が口を突いて出ただけという可能性もなくはない。しかし、そうでは決してないと思う。あのとき、言おうとして言ったというはっきりとした意思が感じられたのだ。それに、死んだ後で母から聞いて知ったのだけれども、毎回欠かさず投票にいっていたというし、父はそれだけ選挙を大切なものだと思っていたに違いないのである。

 正常な選挙が行われている民主的な国同士が戦争をすることはないと言われるが、おそらく父は、知識としてか感覚的にかまではわからないけれど、そのことを理解していて、日本が再び戦争をしないように、ちゃんとした民主国家であり続けるために、国民は選挙に行くべきという考えを持っていて、私にも足を運ぶよう言ったのだと思う。それは、だったらいいなという私の願望ではなく、冷静に何度もいろんな角度からも考えて至った結論だ。

 それからというもの、私は毎回必ず投票へいくことはもちろん、選挙に関わる仕事を頻繁に行うなど、深く追求するまでになったのだ。

「ねー、ご飯できましたよー」

 おっと。妻が呼んでいる。

「ごめーん。今行くよー」

 とにかく、多くの国民の投票の参考になる情報を提供できるように、真摯に、愚直に、これから努力していこう。

「トイレに入ってから行くからー」

 さてと。

 私は居間のテレビを消して立ち上がり、トイレへ向かった。

 ん?

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