小春(二十三歳)①
ど、ど、ど、どうしよう。
えらいことをしてしまった。ほんと、どうしよう。
私は「ジャパンテレビ」というテレビ局に勤めている。今日は衆議院議員選挙の出口調査で、朝の投票開始時刻から夕方近くまで、東京都A市の投票所の一つであるA小学校の校門の前にいた。そして現在、局の他の人たち数名と、会社へ戻る車の中にいる。
それにしても、本当に私、何やってるんだろう……
……あーあ。駄目だった。汚名返上どころじゃなかったな。
通常はアルバイトに任せるらしいけれど、勉強の一環でやるように命じられた、投票所から出てきた人にアンケートをする出口調査。テキパキ問題なくこなして、今どきの頼りない若者の象徴みたいに会社の人たちから思われている私だって、やればちゃんとできるんだぞってところを見せたかったのに。スムーズにできなかったばかりか、下手したらトラブルになりかねないときまであった。
低姿勢で話しかけたはずなのに、何が気に障ったのか、中年の男性に強い怒りを向けられたり、なぜだか猛スピードで走って出てきた三十代とみられる女性に、一瞬声をかけようかと思ってしまったために、慌てて避けたけれど衝突したりしたし、話を聞けた際も、気持ちよく回答してもらえる状態にはなかなかもっていくことができなかった。
でも、もしかしたら認知症かと思う、ぼーっとした顔つきのご老人や、暗い表情だったり、イライラしてる様子だったりと、言い訳になるだろうが、そもそも頼みづらい人が多かったよな。
ただ、現在の日本の縮図を目にしたようで、出口調査や選挙という枠組みにとどまらず、すごく勉強になった仕事だったなと思う。失礼だが、これといったものが何もなく、負のオーラに覆われているような、A市という場所がより一層、今後衰退していく一方だと言われる日本社会の暗くて厳しい現実を私に見せた感じがする。
あ、都心近くになって、外の景色が一変している。道行く人が格段に増え、その表情は全般に明るく、街は華やかで、ここがA市と同じ都道府県とはまったく思えない。まるで別の国や時代にワープしたかのようだ。
そして、だいぶ暗くなってもいる。秋分の日は過ぎたし、冬至に向けて日がどんどん短くなってるんだ。今日も暑かったから、冬が近づいているなんて嘘みたいだ。
「フー」
それはそうと、なんでなのかな?
出口調査の最中にも思ったけれど、また頭に浮かんできた。
うーん……。やっぱり気になる。
「あのー……」
私は、真後ろに座っている、男性の先輩の宇藤さんに声をかけた。
「ん?」
四十歳手前の宇藤さんは、ぱっと見冷たそうで、話してもその印象は変わらないが、長く接していると、怒鳴られたり、けなされたりすることもなければ、他の誰の悪口も言わないし、じわじわと善い人かもと思えてくる人だ。私だけじゃなく多くの人がそうなんじゃないだろうか、周りからはっきりとした良い評判を聞かない割に、人望がかなり厚いように感じる。
「ちょっと訊いてもいいですか?」
「あ? いいけど、何だよ?」
「思ったんですけど、なんで選挙番組の放送開始直後に、出口調査による議席予測を発表しちゃうんですかね?」
「え?」
宇藤さんは固まった感じになった。
「言ってる意味がよくわかんないけど。そこで発表しないで、いつするんだよ?」
ああ、そうか。そうだよな。
でも。
「普通、テレビって、視聴者に見続けてもらえるように工夫するじゃないですか。CMを面白い場面の直前に入れたり、初めからずっと観てた人ならわかるクイズを最後に出して、正解した人に賞品をあげたり。なのに、最初に議席予測を発表したら、それで満足してテレビを消す人をたくさんつくっちゃうんじゃないですか?」
宇藤さんは呆れた表情になった。
「馬鹿だな。よく考えろよ。ほとんどの番組は、その局だけが放送してんだろ。そんで引っ張ったりできるけど、選挙は全部の局が同時に放送するんだから、出し惜しみしないで冒頭でやらなきゃ、最初にそれをやる別の局にチャンネルを替えられちゃうじゃねえか」
あ、そっか。なるほど。
……いや、待って。そうはいっても、結局それだけ見てテレビを消す人を大量につくっちゃうのは間違いないんじゃないのかな? だったら、申し合わせて、すべての局でやめちゃえばいいと思うけど。
予測した議席数と実際の議席数の開きがけっこうあったら、それなりの苦情が来るらしいし、最初の一分くらいの視聴率のためにずいぶんな労力を使って、結果としてどの局も視聴者を逃がしちゃうんなら、共倒れで何やってんのって感じだし。まあ、どうなるか自分たちはわかったほうが番組を進めやすいだろうから、出口調査をやるのは悪くないと思うが。
だけど、申し合わせてやめるなんて善くないのか。それに、テレビ局がそうしたところで、ネットでどこかしらがやってしまうから、意味ないか。
……。
でもな。それでもやっぱり理にかなってないと思うんだよな。
開票率ゼロなのに当選確実が出るのは違和感があるという意見をよく聞くし、まれにだけどその当選確実が誤りなこともあるらしいし、そんな一刻でも早く結果が知りたいなんて人は、候補者やその関係者以外にはわずかと言えるくらいしかいないんじゃないだろうか。普通に、オーソドックスに、すべて開票し終えてから伝えるので、何ら問題はないんじゃないのかな?
なんか、目の前の利益をひたすら追い求めて、かえって損をしているような気がするんだよな。テレビに限らず、どのメディアも。選挙に限らず、全体的に。
スピードという点において、既存のメディアはインターネットにはかなわないんだし、敢えてテレビや新聞などを見る人たちは、単なる情報じゃなくてその中身の充実を求めていると思うのに、それをわかっていながら昔からの習性が抜けないような、早さやスクープ重視のスタンスだよな。
もちろん今もスクープとなれば、売り上げが良くなったりするんだろう。だけど、そうした目先の利益や成功に最も重きを置いているような態度が、だったら早いネットでいいというのもあるし、少しずつ少しずつ視聴者や読者に自分たちへの興味を失わせる結果になってしまっているんじゃないだろうか。
視聴者や読者の関心を引くために、派手な見出しなどで喜怒哀楽を刺激することもそうだ。既存のメディアはずっとそれをやり続けてきたと言っても、おそらく言い過ぎではない。それが今、ニュースをただわかりやすく説明するようなものが花盛りなのは、ある種そうしたこれまでのやり方に対するアンチテーゼというか、もう視聴者や読者はインパクトがあるものや伝え方ばかりの味つけの濃い報道などは慣れっこで、飽き飽きすらしていて、とにかく普通に正確な情報を提供してほしいという現れなんじゃないかな。
それから、他人の不幸は蜜の味と言うように、喜怒哀楽なら怒や哀の、人の不幸に関連したものこそが人間は大好きで、特に重要だと考えているマスコミの人は多いかもしれない。実際、数ある雑誌のなかでよく売れるのは、購読者に子どもがたくさん含まれる漫画を除けば、そうしたネガティブな内容を報じがちな写真週刊誌だから、当たっているとも言えるんだろうけど、反面、人間は苦しんでいる人に本気で同情する部分も持ち合わせていると思うし、厳し過ぎたり意地悪な伝え方の報道などが、既存のメディアを嫌う人を増やすことにもなっているんじゃないだろうか。
ネットにはもっとひどいことが山ほど書かれているとはいえ、まったく書かれていないものもいっぱいあるわけで、既存のメディアの批判が生温いと思ってネットだけ見る人がいるであろう一方で、既存のメディアがどこも同じようにやり過ぎな批判ばかりで見ていられないから、ネットのストレートニュースで済ませているという人もいるに違いない。「ネットの誹謗中傷も、あるいは学校での教師の体罰も、やられる側が善くなかったのかもしれないじゃん。でも、度が過ぎればいじめだし、そもそも普通の人に罰を与える権利はないから問題なのに、マスコミはなぜか自分たちだけはそれをしていいものだと思い込んでるよね」と言われたこともある。
あれ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます