悦司(二十八歳)②

 暑い。普通に歩くだけでも嫌になる。

 とはいえ、八月と比べたらさすがに楽になったし、もう少ししたら暑いのが長かったぶん一気に寒くなるだろうからな。そっちのほうが気が滅入る。

 よく日本は四季があるから良いって言うけれど、みんな本当にそう思ってんのかな? 良いと思えるときもそりゃあるけど、夏は暑過ぎるうえに蒸し暑いし、冬は寒過ぎるし、春と秋は一日の気温差が大きかったりして体調を崩しやすいし、あと梅雨や秋雨の期間が長かったり、うっとうしいところのほうが多くないか? 夏と冬が一カ月くらいで、残りはずっと気温が二十度程度でいてくれたほうが良くないか?

 でも世界で見りゃ日本は恵まれた気候で、そのなかでも東京はさらに恵まれてて、ぜいたくな言い分なんだろうが。けど、だから東京を首都にしたわけじゃなくて、江戸時代からの流れでたまたまで、運が良かったと言えるが、そのせいで政治家たちは災害でひどい目に遭ったりせず、環境対策に消極的って感じだからな。ほんと世の中うまくいかね……ん? 電話。

 玄田か。久しぶりだな。

「もしもし」

「よう、久しぶり。元気か?」

「ああ」

「今、何やってんの? 暇?」

「まあ、暇っちゃ暇だけど」

「家にいんのか?」

「いや、外にいる」

「どこ? 何やってたんだよ?」

「あー、家の近く。やることないし、ちょっと選挙にでも行こうかと思って」

「へ? 選挙って、最近あちこちで票を入れてとかうるさくやってた、あの?」

「そうだよ。今日、投票日だからさ」

「マジで? 選挙なんて行く奴いんの。嘘言ってんじゃねーの?」

 なんか、どっかで聞いた台詞だな。

「本当だって。あ、ほら、投票所の前で出口調査をしてる人がいるぞ。俺、目が悪いからはっきりはわからないけど、若くて美人っぽい女性だ」

「何だよ、その情報。逆に嘘くせー。だったら、その人の写真か動画を撮って送れよ」

「嫌だよ。気づかれたら面倒なことになりかねな……」

 ん?

「ちょっと待て。今、その出口調査のコが、投票所の小学校から出てきたおっさんに何か言われてる」

「何かって何だよ。ナンパか?」

「いや、怖そうなおっさんで、怒ってる感じだ。あの女のコが気に障ることを言っちゃったりしたんじゃねえかな」

「へー。じゃあ、助けてやれよ。そうすりゃ、お前、ホレられるかもしんねーぞ」

「アホか。そんなベタな漫画みたいにうまくいくか……あ、気が済んだのか、そんな雰囲気でもねえけど、とにかくおっさんが離れていった」

「バカ。あーあ、もったいねーな。何やってんだよ、せっかくのチャンスを」

「うるせえっての。それで、なんで電話してきたんだよ?」

「いや、俺も暇だから、そっちが大丈夫なら、久しぶりに一緒にメシでもどうかと思ってさ」

「そうか」

 ……。

「わかった、OK。それから、今日は俺がおごってやるよ」

「お前が? マジで?」

「ああ。支払うときに『やっぱり割り勘』とか言わないから安心しろよ」

「ラッキー。じゃあ、何時にどこにする?」

「そうだな……あ、携帯充電しなきゃまずいから、家帰ってかけ直す。その間に考えとくよ」

「わかった。じゃあ、後で」

「ああ」

 俺は切った携帯をしまい、自宅に向かって歩きだした。

 玄田とは大学で出会った。俺も偉そうなことは言えないが、あいつは勉強をやる気がまったく感じられず、景気が良くて余裕があった時代の大学生はこんなふうだったんじゃないかと思わせた。いつも明るくて、悩みなんか一つもない様子で、楽観的過ぎて大丈夫かと心配してしまうときもあったけれど、一緒にいると気持ちを楽にさせてくれる、いい奴だ。

 会社に対して大きさや知名度などのこだわりがまるっきりなかったこともあるようだが、それだけ勉強をやらなかったくせに、就職活動はさほどの苦もなくクリアした。働き始めて数年で結婚もし、公私ともに順風満帆と言える状態だったみたいだ。社会人になってからは時折メッセージを送るくらいの関係だったから、奥さんがどんな人だとか、詳しいことはほとんど知らないけども。

 ところが、少し前に、やっとできたと喜んでいた子どもが流産したという文面が届いた。

 メシを誘ったのを暇だからと言ってたけれど、俺に元気な姿を見せて、心配しないでよさそうだと思わせようと考えたんだろう。

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