真亜子(三十七歳)⑤

「キャッ!」

 校門を出たところで見知らぬ女性とぶつかってしまい、その彼女が声を発した。

「ごめんなさい」

 私はそう一言口にしただけで、止まらずに走り続けた。そんな激突したという感じではなかったから、倒れたり、ケガなどはしていないはずだ。

 それでもやっぱり気になって、少しして走ったまま振り返ると、ぶつかった相手はどうやら出口調査の人らしい。こっちに視線を向けてはおらず、それほど痛そうでもないが、肩から腕の辺りをさすっている。

 チッ。

 マスコミは嫌いだ。学校のいじめを許せないと報じながら、自分たちは年中誰かをいじめてるし、本気でいじめられてる子どものことを思うんなら、今現在被害に遭っているコに向かって「守ってあげるから、うちの会社に連絡してきなさい」くらい言えよな。「自殺しちゃったコがとにかくかわいそうで、悪い奴らを成敗する」ふうな報道をすれば、特にいじめられた経験がある人間が、みんな喜ぶと思ったら甘い。大間違いなんだよ!

 まあ、今はそれはどうでもいい。

「ハー、ハー、ハー」

 学校からだいぶ遠くまで来た。振り返ったが、新島さんの姿はまったく見えない。当たり前だけど。

 疲れた。精神の安定に効果があるらしいので、運動をできるだけするようにしているから、それなりの距離走れたが、ここまで全力に近いのは、いつ以来かわからないくらい久しぶりだ。どうか急性心筋梗塞なんかになりませんように。

 それにしても、あの人、ほんっとにどういうつもりだろう? 私に対して、いじめる中心人物だった谷沢の話をするなんて。

 結局、私がいじめられていたのを忘れたのか、当時から知らなかったのか、どっちかってこと?

 たしか新島さんは優しい人だった。影が薄かったからはっきり覚えていないけれど、怒ったり全然しないし、先生にも生徒みんなにも親切だと言われるようなコだったはず……うん。それは多分間違いない。谷沢が今小学校の教師で、少し前に再会したって言ってたし、話の流れに合ってたから、きっとたまたまで、まさか嫌がらせであいつの名前を口にしたのではないだろう。

 ……でもな。頭が良かった覚えもある。記憶力が悪くないであろうってことを考えれば、忘れるかな? それに、あのいじめに気づかないほど鈍くもなかったと思うし。

 それからあの人、私は結婚したり、子どもがいるのかってことを少しもうかがうような態度を見せなかったけど、してない場合を考えてっていうよりも、独身なのがわかってるって雰囲気だったよな。当時の私をよく覚えているからこそ、おそらく独りだろうという意識で話してたんじゃないだろうか。

 とすると、全部覚えてて、わかっててあいつの名前を出したんだから、やっぱり嫌がらせ? でも、だとしたら、そんなことをする理由は?

 もしや、私の代わりに谷沢に仕返しをしてくれるみたいなつもりだったのかな?

 私が今も憎んでいることを知ったら、あいつは嫌は嫌だろうけど、それは二十五年以上苦しみを与え続けられていたってことにもなるし、「いい歳して、子どもの頃のことをまだ根に持ってんのかよ。みっともねーな」などと心の中で馬鹿にするかもしれない。その一方、私から皮肉ではない本気のいじめについてのアドバイスを聞いたら、私の器の大きさに敗北感のようなものを味わうとともに、自分がやったいじめへの反省の気持ちがわきでてくる可能性もある。それは後悔や自己嫌悪なんかを伴うもので、本当にダメージを与えられるのはそっちのほうじゃないだろうか。

 だから、そういう考えのもと、私が直接あいつに助言するのは難しいかもと思って、代わりに言ってくれる気だったのかな?

 そうだったら、谷沢に話すのをやめてほしいって口にしなきゃよかったか。

 戻って、見つけることができたら、やっぱり話していいよって言おうかな。昔からそうした面はあったろうが一層、なんだか訳のわからない、情緒不安定な感じの、おかしな奴になったな、みたいに思われちゃうかもしれないけれど。

 本当にそういう意図だったのか怪しいし、たとえそうでも、狙い通りに谷沢への復讐になるか微妙だ。あいつに私の名前を聞かせることに対する不安もある。

 でも、教師だし、さすがにもうそれなりにまともになっているであろう谷沢に、今いじめの被害に遭っている、それに今後いじめられるかもしれない、子どもたちのために、わずかでも役に立つ可能性があるなら、なんなら私の名前は出さないで、あの助言だけでも、伝えるように頼もうか。

 うーん……。

 どうするか決めかねたまま、私はとりあえずゆっくり今来た道を戻り始めた。

 あれ?

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