真亜子(三十七歳)②

 あー、なんでいじめについて考えてるんだろう?

 そうそう。初めての正規の投票所での投票なんだから、それを楽しもう。

 っていっても、この裁判官の審査の用紙を入れたら、もう終わりだ。

 まあ、いっか。楽しむったって、すぐに自分の投じた一票の結果が出たりするわけでもないし、いじめに関してとはいえ考えることに集中してたおかげで、この学校にいる緊張や不安を感じなくて済んだからな。

 よし、入れ終えた。これで帰って大丈夫だ。

 あー、できたらもう少しここにいて、他の人の投票の様子を眺めていたりできれば、さらに自信を深められそうだけどな。実際にそんなことをしたら怪しまれて注意されるだろうし、無理だよな。残念。

 でも、これで一応はトラウマを克服できたかも。しかも「もう少しいたい」だなんて、余裕あるじゃん。すごいよ、私。

 体育館を出ると、外の生暖かい空気が一気に押し寄せてきた。普段なら不快に感じるだろうが、今日は全然平気。むしろ心地いいくらいだ。

「篠塚さん?」

 え?

「やっぱり、そうよね? 私、新島瑠衣。わかる?」

「ああ、はい」

 後ろのほうから私に近づいて、声をかけてきたその女性は、この小学校での元クラスメイトだ。太くはないが、きりっとした眉毛が特徴的で、その影響もあって気が強そうに見えるけれど、反対におとなしめなコだった。

 かなりの年月が経ってるから当然変化はしているものの、眉の印象はそのままで、実年齢よりも若く見られることが多いであろう、老けたという感じがない容姿で、口にした名前だけですぐに思いだせた。このコは私をいじめなかったが、仲が良かったわけでもない。まあ、友達なんて数えるほどしかいなかったけども。

 ここに来る前に、もしかしたらこんな具合に、当時の同級生に会ってしまうんじゃないだろうか、誰とも鉢合わせしたくないけどな、と思ったが、この学校へ行く緊張が大きくて、そのことはすっかり頭からなくなっていた。

 ま、嫌は嫌だけど、いじめた奴らじゃなかったからセーフとするか。

「久しぶり。元気? ここを卒業して以来だよね?」

 新島さんは愛想よく言った。

「うん」

 確かに、私はこのA小から近所の公立中に進み、新島さんはどこへ行ったのか知らないけれど一緒のところではなく、他の場所でも一度も会った記憶はないから、小学校の卒業式以来になるだろう。だから……え? 二十五年ぶり? 三十七引く十二だから間違いないよな。マジで?

 四半世紀じゃん。そんなに経つのか。自分の三十七という年齢だけでも感じてたけど、改めて、歳食ったな。あー、ヘコむ。

 それはそうと、この人と当時、呼び方とか、どんな感じで接していたのかを思いだせない。馴れ馴れしい調子でしゃべって大丈夫かな? 向こうはなんとなく当時よりも親しげに話してきているように思えるけれど。

「同窓会、来なかったよね? 篠塚さん。中学、あれ? 高校生のときだっけ? やったやつに」

「うん」

 行くわけないじゃん、ほとんどいじめられた嫌な思い出しかないのに。どういうつもりで言ってんのかな?

「そういえば、二十歳過ぎてからもう一回やったらしいけど、それは行った?」

「ううん。行ってない」

 だから、行くかっつーの。それに、そんなもん、あったことすら今知った。

「なんか、私のところに連絡来なかったんだよねー。別の場所に住んでたから、連絡先がわからなかったのかもしれないけど。ただ、実家は変わってないから、伝えたりできたはずなのに。私以外だってそういうコ、いっぱいいるだろうしさ。だから、もしかしたら親がその連絡の電話を詐欺と思って切っちゃったりしたんじゃないかって、勝手に思ってるんだけどね」

「ふーん」

 私はずっと実家暮らしだし、そんな手違いみたいなことは起こらないよな。なのに、なぜに連絡が来なかったんだろう?

 連絡が来たことを私が忘れてしまっているだけか? いや、連絡する人、もしくは同窓会をやると決めて動いた面々で話し合って、あいつには声をかけないでいいかってなったのかもな。一応仲が良かったコにしても、目立たない同士でくっついていただけに近かったし、私と再会したいなんて人間は一人もいないに決まってるから、「どうせ来ないだろうし、来たら来たで場が暗くなってシラケそうだからやめとこう」みたいな感じで。

 被害妄想かな? いやいや、妄想じゃなくて、実際にいじめの被害に遭ったし。

「ずっと変わらずここに住んでるの?」

 新島さんはそう尋ねてきた。聞きたいの? ほんとにその答え。

「うん。そっちは、別のところに住んでたって言ったけど、戻ってきたってこと?」

「そう。高校を卒業した後、大学の近くとかで一人暮らししてたんだけど、結婚するときに夫が、住む場所はうちの実家のそばでいいって言うからさ。私、一人っ子だし、いずれ親の面倒を見なきゃいけなくなるかもっていうのもあって」

「へー」

 いい旦那さんで、お幸せそうで。のろけ……でもないか。

 そうじゃないかと思ったけど、やっぱり結婚してるってことは、名字が変わったんじゃないの?

 まあ、それで私に名乗ってもって思ったのかもな。

「それで今、娘がこの学校に通ってるんだ」

「そうなんだー」

 子宝にも恵まれちゃって。って、年齢的に子どもがいるほうが普通だろうけど。何にしろ、そのことがうちの親の耳に入ったら、また比較されていじめられそう。普段から散々妹と比べられて、気が狂いそうだってのに。どうかこの人の情報が母に届きませんように。いや、言ってこないだけで、すでに届いてるかもな。どこそこの誰ちゃんがどうしたとか、そういうアンテナはすごいから。

「うちの子、引っ込み思案でさ。私も、特に幼い頃は、前に出るのが得意じゃなかったから、偉そうなことは言えないけど、いじめられたりしてないか心配なんだよね」

 んん? それは、いじめられていた私にアドバイスを求めてるってこと?

 だけど、笑みを浮かべて、世間話の一環で言ったって感じで、そういう意図ではなさそうだな。

 あれ? もしかしてこの人、私がいじめられていたのを忘れてるのかな? 覚えてたら「いじめ」って単語を口にするのに、もうちょっと慎重になりそうなものだし……。

 まさか、当時から私がいじめに遭っていたのを知らなかったなんてことはないよな。いくら近い関係じゃなかったにしても、あんなにはっきりとしたいじめを、同じ生徒、同じクラス、同じ女子で、気づかなかったはずはない。

 じゃあ、やっぱり忘れちゃったのかも。自分の感覚だとあり得ないけれど、人間は他人の痛みには驚くほど鈍感で、気にしないでいられるものだからな。

 それとも、いきなり深刻モードになるのはどうかと思ったからで、やっぱりアドバイスを求め……

「それじゃあ。また会うかもしれないけど」

 え? 行っちゃうの……

「バイバイ」

「ま、待って!」

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