運命はいつも突然

「まだ君にあの時のことを謝れてなかったから今謝る。あの時はごめん」

「?引っ越す直前の時のこと?別に私も悪かったと思っているし…気にしてないよ?」

僕の謝罪は意外とあっさり済んでしまった。

彼女のカラッとした態度についつい気が抜けてしまう。

「そういえば君はそんな性格だった」

「私のほうこそ、あの時殴ってごめんね。力一杯殴ったから痛かったでしょ?」

彼女と喧嘩別れしたあの日、実は僕は一週間くらい両頬の腫れが引かなかった。

改めて彼女を見ていると、以前と変わらない弾けるような笑顔に、ずっと昔、白くぼやけてしまった記憶のかけらが脳を掠める。それと同時に奥にしまい込んだはずの思い出が質量のある波となってドッとなだれ込んできた。複雑に絡みついた感情が込み上がり、無意識に体が浮ついてしまう。

今は過去となった思い出が寂しさを運んで、もうあの時には戻れないという虚しさだけが頭に残る。

記憶の中の彼女はいつも笑っている。

けれど、当時と今では印象も雰囲気も全然違う。

心なしか前よりイキイキしている様な気がする。

というかやっぱり顔が少し違うように思う。

「…なんか、こういうのもなんだけどさ、ほんとに言いにくいんだけどさ?」

僕のもったいぶるように言った言葉に彼女は首を傾げた。

「何?トイレなら出て右だけど…」

彼女の不思議そうな表情を前に、意を決して自分の感じたことをそのまま口に出した。

「なんか、顔違くない?」

ついつい聞いてしまった。

地雷を踏み抜いただろうか。

僕の言葉に目を丸くし、言葉を詰まらせながらも彼女は答えた。

「君は目を逸らすのが上手いからね。今頃私の魅力に気づいた?」

彼女の依然とした態度に僕はもっと踏み込んでしまった。

「勘違いならいいんだけどさ。…もしかして、整形した?」

「言語同断チョップ」

有無を言わさぬ合掌が、無慈悲に少年の頬に叩きつけられた。

「イッタ」

「失礼な発言には手刀が飛ぶから」

予備動作なしの暴力ほど恐ろしいものはない。

威力も十分。いや十二分。タマに当てられた時のことを考えれば冷や汗が後から滲み出してくる。

「少しは手心があっても…」

「手加減はしないのが私の優しさだよー」

悪びれもせずよくそのセリフを言えたもんだ。

「僕はやられたらやり返すがモットーなんだけど?」

「へ〜、じゃあ無限ループだね?」

知らないうちに自然と心に張り付いたモヤも少し薄くなった気がする。そう思うとベットの上で自慢げにairチョップをしている彼女は心なしか力強く、彼女の笑顔がほんの少しだけ眩しく見えた。

「そういえばまだテニスはやってるの?」

彼女が尋ねてきた。

「うーん、今はやってない、ね」

油断していたせいでおぼつかない返事をしてしまった。

話を変えようと口を開けたと同時に彼女が突っ込んできた。

「あんなに頑張ってたのにやめたんだ」

彼女は痛いところをついてくる。

おまけにレスポンスも早い。

言い訳をしようと必死に口を動かしたが、言葉は音になる前にこと切れた。頭の中に蘇る苦い記憶。

気づいた時には思い出していた。

「お前、うざいな」そう言ったのは同じ部活の同級生。

性格も合っていると思っていたし、友達だとも思っていた。

だけど突然無視やら陰口やらで色々言われるようになった。

脳裏に刻み込まれたこの光景は、今でもたまに夢に見る。

「また、テニスをやるつもりはないの?」

彼女の言葉で現実に引き戻された。

「…ないね」

「君がテニスをしてるとこ、かっこいいと思ってたんだけど残念」

「褒められると照れる」

「照れるな」

彼女に頼まれたとしても、もうテニスをやるつもりはない。

というよりできない。

逃げたと思われるかもしれない。

だけどもう、あんな目に遭うのは懲り懲りだ。

人生にも疲れた。

学校も、部活も、クラスの人と話すのも、もう何も見たくない。

こんなに頑張ったんだし、楽になっても、いいんじゃないかな。

「でも人間関係で悩んでいるなら無理はしないほうがいいよね」

体が、質量のある空気の流れに耐えきれず、その一瞬、釘付けにされたように動けなかった。

「……そのこと話したっけ?」

「いや、聞かされてないね」

彼女は平然とした口調でそう言った。

恥ずかしさや驚きが一気に全身を回って頂点に達した。

多分、その時の僕は限界まで目を見開き、青ざめていたと思う。

正直そこまで見透かされているとは思っていなかった。

「なんでわかったの?」

そう彼女に問う。

「それは君が顔に出やすいタイプだからかな?」

僕の問いは、はぐらかされって返ってきただけだった。

彼女は僕の顔をまっすぐみてくる。

咄嗟に目を泳がしてしまう。

「全く見当違いのことかもだけど、もしかして自殺しようとしてる?」

自殺という言葉に少し体が反応した。

彼女はいつから気づいていたのだろうか。

「………どうなんだろう。僕自身、自分の気持ちがよくわかんない」

直接言えず曖昧に誤魔化した。

多分彼女は分かっている。

「今日君が突然来たのも最後に私の顔を見たくなったとかなの?」

「…うん」

とうとう言ってしまった。

でも半分バレていたから嘘をつく理由もない。

恐ろしい洞察力を前に僕は縮こまるしかなかった。

「なんで分かったの?」

僕の問いに彼女は「だから君は顔に出やすいんだって。それだけだよ」と言った。

長く付き合っていると相手の考えも少しはわかるようになるのだろうか。僕は相変わらず君の考えが読めない。

少しの間だけ沈黙が続いた。

その沈黙を破ったのは彼女だった。

「じゃあ君の素直さに免じて、特別に私の秘密を君に教えようかな」そう前置きをして彼女はまっすぐ僕を見た。

目を逸らそうにもその瞳にどうしても吸い寄せられる。


え…もしかして告白⁉︎

彼女をこんなに真剣な表情にさせるなんて他に思いつかない。

だからあるとすれば僕への告白だ。

心なしか彼女も少し緊張して耳が少し赤くなっているように見える。いや、それは気のせいか。

そんなことを考えている間に彼女は準備を整えたようで僕の方に向き直り、そして意を決したように口を開いた。


「私、寿命がもう、一ヶ月もないんだ。」


「…え?」

「そういうことなんです」

「エープリルフールにはまだ早いけど、、、」

「ほんとにほんとだよ。信用ないなー、事実なのに」

「…そうかー」

「そうだよー………リアクション、少なくない?」

「次はもっと驚くよ…」

別に彼女の死について思うところがないわけではない。

ただ、彼女の言葉に必死に思考を巡らせた結果たいした答えは出せなかっただけだ。

そのあと、彼女は病気について色々話してくれた。

彼女の病気は国が指定する難病の一つで多分治せるようになるのは何十年も先、もしくは治せないかもしれないらしかった。

大人にもなれずに死んでしまうなんて可哀想だとも思う。

なんとなく彼女の顔を覗くと彼女は「大丈夫だよ」と言って彼女は笑った。

そのどこかあどけなさの抜けない笑顔に、なんとも言えないもどかしさを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る