運命はいつも突然
あの日、僕が彼女と喧嘩別れをしてしまった日。
原因は本当に些細なすれ違いからだった。
幼馴染のスズカが隣町に引っ越すことになった。
そのことを聞かされた時、素直に僕は受け入れた。
今思えばそれを割り切ることで、後から込み上げてくる感情を抑えようとしていただけかもしれない。
その後彼女がどう思うか聞いてきた。
だけど「君とずっといたかったけど、でもしょうがないよね」と心ないことを言ってしまった。
彼女は僕の言葉を聞いて俯いていたので、その時の顔はよく覚えていない。
だけど明るく笑い合えるような雰囲気ではなかったことは確かだ。
黙り込んでいる彼女を尻目にどう会話を持っていこうか考えていたその時、彼女がやっと口を開いた。
「…本当にそう思ってるの?」
彼女が言葉を発したその瞬間、周囲の空気が凍りついた気がした。
地面から目を離すと、彼女が涙を溜めた責めるような目線を僕に向けていることに気づいた。
「なんで怒って…」
「いいから答えて」
僕の場違いな質問に、彼女は間髪入れずに返してきた。
もうその時の言葉の応酬は、今でもたまに夢に出る。
トラウマの一つだ。
僕はそんな彼女の言葉にイラッときてしまい、「そんなの好きにすればいいじゃん」といってしまった。
その言葉に彼女は目を丸くしてしばらく固まっていた。
その間僕は今日の夕飯について考えていた。
しばらくして放心状態が解けた彼女に、一応謝るため頭を下げようとしたその時「私は君のこと友達以上に信頼していたけど、君はそうでもないんだね」と言って彼女に2発殴られ走り去られてしまった。
今度は僕が呆然とする番で、オレンジ色の夕陽が僕の影を細く遠くに引き伸ばしていたのを鮮明に覚えている。
その後よくよく思い返してみると自分が悪く、なんでそんなことを言ってしまったのかずっと悔やんだ。
「まだ君にあの時のことを謝れてなかったから今謝る。あの時はごめん」
「?引っ越す直前の時のこと?別に私も悪かったと思っているし…気にしてないよ?」
僕の謝罪は意外とあっさり済んでしまった。
彼女のカラッとした態度についつい気が抜けてしまう。
「そういえば君はそんな性格だったね」
「私のほうこそ、あの時殴ってごめんね。力一杯殴ったから痛かったでしょ?」
彼女と喧嘩別れしたあの日、実は僕は一週間くらい両頬の腫れが引かなかった。
「おかげで一時期ウシガエルみたいな顔になったよ」
「それは傑作」
「でも見た感じ元気そうでよかった。あとこれ、見舞い品をどうぞ」
「わあ、ありがと」
スズカに渡したのは豆大福。
家からでテキトーに持ってきたやつだ。
彼女が美味しそうに食べているので別に全然モーマンタイ。
美味しそうに豆大福を食べている彼女を改めて見ていると、懐かしい気持ちにさせられた。
以前と変わらない弾けるような笑顔に、ずっと昔、白くぼやけてしまった記憶のかけらが脳を掠める。
奥にしまい込んだはずの思い出が質量のある波となってドッとなだれ込む。
複雑に絡みついた感情が込み上がり、無意識に体が浮ついてしまう。
今はもう過去となってしまった思い出が寂しさを運んでくる。
もうあの時には戻れないという虚しさだけが頭に残る。
だけど記憶は途切れない。
泡のように次々と浮き上がってきた思い出を、壊さないように優しくすくいだす。
記憶の中の彼女はいつも笑っている。
けれど、当時と今では印象も雰囲気も全然違う。
心なしか前よりイキイキしている様な気がする。
というかやっぱり顔が少し違うように思う。
「…なんか、こういうのもなんだけどさ、ほんとに言いにくいんだけどさ?」
僕のもったいぶるように言った言葉に彼女は首を傾げた。
「何?トイレなら出て右だけど…」
彼女の不思議そうな表情を前に、意を決して自分の感じたことをそのまま口に出した。
「なんか、顔違くない?」
ついつい聞いてしまった。
地雷を踏み抜いただろうか。
僕の言葉に目を丸くし、言葉を詰まらせながらも彼女は答えた。
「君は目を逸らすのが上手いからね。今頃私の魅力に気づいた?」
彼女の依然とした態度に僕はもっと踏み込んでしまった。
「勘違いならいいんだけどさ。…もしかして、整形した?」
「言語同断チョップ」
有無を言わさぬ合掌が、無慈悲に少年の頬に叩きつけられた。
「イッタ」
「失礼な発言には手刀が飛んで君をウシガエルにするから。だから君は一生人面ウシガエル」
「そんな殺生な」
ウシガエルなんてキモくてキモくて気持ち悪い。
あのぬめっとした肌なんて想像しただけで寒気がする。
言い忘れてたけどウシガエルもトラウマの一つになっている。
「口に入る動くものならなんでも食べれるようになれるよ?」
なんにも嬉しくない。
ウシガエルになれて喜ぶなんて、一部の変態か超のつくド変態くらいだ。
彼女の言葉が気休めなのか煽りなのかわからないけど、でもとにかく、彼女は楽しそうでよかった。
「油断大敵‼︎ なぁんてね。ほっぺたが赤くなってるから後で湿布貼っておいてね」
「…へ?」
言われて初めて気づいた。
ほっぺたにジンジンと痛みがはしっている。
心なしかほおが腫れてきているような気がしなくもない。
けれど彼女の方を見ても、反省しているようなそぶりはゼロだ。
「手加減はしないのが私の優しさ」
悪びれもせずよくそのセリフを言えたもんだ。
「僕はやられたらやり返すがモットーだけど?」
「へ〜、やれるもんならやってみな? …ああでも、今回は手加減はしたから安心して?」
そういう問題なのか?と疑問に思ったが過ぎたことだと流すことにする。
彼女は昔からそうだった。
どんな時も周りを気にせず突き進んでいた。
知らないうちに自然と心に張り付いたモヤも少し薄くなった気がする。
そう思うとベットの上で自慢げにairチョップをしている彼女は心なしか力強く、彼女の笑顔がほんの少しだけ眩しく見えた。
「そういえばまだテニスはやってるの?」
ボーッとしていたら彼女が尋ねてきた。
「うーん、今はやってない、ね」
油断していたせいでおぼつかない返事をしてしまった。
話を変えようと口を開けたと同時に彼女が突っ込んできた。
「あんなに頑張ってたのにやめたんだ」
彼女は痛いところをついてくる。
おまけにレスポンスも早い。
言い訳をしようと必死に口を動かしたが、言葉は音になる前にこと切れた。
頭の中に蘇る苦い記憶。
気づくと、思い出していた。
「お前、うざいな」そう言ったのは同じ部活の同級生。
性格も合っていると思っていたし、友達だとも思っていた。
だけど突然無視やら陰口やらで色々言われるようになる。
脳裏に刻み込まれたこの光景は、今でもたまに夢に見る。
「またテニスをやるつもりはないの?」
彼女の言葉で現実に引き戻された。
「…ないね」
「君がテニスをしてるとこ、かっこいいと思ってたんだけど残念」
「褒められると照れる」
「照れるな」
彼女に頼まれたとしても、もうテニスをやるつもりはない。
というよりできない。
逃げたと思われるかもしれない。
だけどもう、あんな目に遭うのは懲り懲りだ。
人生にも疲れた。
学校も、部活も、クラスの人と話すのも、もう何も見たくない。
こんなに頑張ったんだし、楽になっても、いいんじゃないかな。
「でも人間関係で悩んでいるなら無理はしないほうがいいよね」
不意に彼女が独り言を呟いた。
それと同時に時の流れがやわらいだ。
体が、質量のある空気の流れに耐えきれず、その一瞬、釘付けにされたように動けなかった。
「……そのこと話したっけ?」
「いや、聞かされてないね」
彼女は平然とした口調でそう言った。
恥ずかしさや驚きが一気に全身を回った。
多分、その時の僕は限界まで目を見開き、青ざめていたと思う。
正直そこまで見透かされているとは思っていなかった。
「なんでわかったの?」
そう彼女に問う。
「それは君が顔に出やすいタイプだからかな?」
だけど僕の問いは、はぐらかされって返ってきただけだった。
「それで、なんでいじめられてるの?」
彼女が鋭く切り込んでくる。
多分、さっきの仕返しだ。
「…いきなりぶっこむね。そんなことは本人に聞かないとわからない。僕は考えてもわからなかった」
彼女は返事をせず僕の顔をまっすぐみてきた。
突然のことすぎて咄嗟に目を泳がしてしまう。
「全く見当違いのことかもだけど、もしかしてだけど、自殺しようとしてる?」
自殺という言葉に少し体が反応した。
彼女はいつから気づいていたのだろうか。
「………どうなんだろう。僕自身、自分の気持ちがよくわかんない」
直接言えず曖昧に誤魔化した。
多分彼女は分かっている。
「今日君が突然来たのも最後に私の顔を見たくなったとかじゃないの?」
「…うん」
とうとう言ってしまった。
でも半分バレていたから嘘をつく理由もない。
「へ〜、君もいろいろ大変だったね」そう言って彼女はため息をついた。
恐ろしい洞察力を前に僕は縮こまるしかなかった。
「なんでそう思ったの?」
僕の問いに彼女は「だから君は顔に出やすいんだって。それだけだよ」と言った。
長く付き合っていると相手の考えも少しはわかるようになるのだろうか。
僕は相変わらず君の考えが読めない。
「もしものことだけど、僕が自殺しようとしたら君は僕を止めてくれる?」
なんとなくそう聞いてしまった。
どう答えてくるだろう。
彼女なら僕を救ってくれると言うだろうか。
昔みたいに僕の太陽になってくれると言うだろうか。
答えはNO。
僕の考えとは裏腹に彼女は僕を否定も肯定もしてくれた。
「説得はするよ。でも止めない。それで君が楽になれるなら私も応援するよ」
「そうか」
少しの間だけ沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは彼女だった。
「じゃあ君の素直さに免じて私の秘密を君に教えようかな」そう前置きをして彼女はまっすぐ僕を見た。
目を逸らそうにもその瞳にどうしても吸い寄せられる。
え…もしかして告白⁉︎
彼女をこんなに真剣な表情にさせるなんて他に思いつかない。
だからあるとすれば僕への告白だ。
心なしか彼女も少し緊張して耳が少し赤くなっているように見える。いや、それは気のせいか。
そんなことを考えている間に彼女は準備を整えたようで僕の方に向き直り、そして意を決したように口を開いた。
「私、寿命がもう、一ヶ月もないんだ。」
「…え、え?」
「そういうことなんです」
「、、、それでほんとはどうなの?」
「ほんとにほんとだよ。信用ないなー、事実なのに」
「…そうかー」
「そうだよー………リアクション、少なくない?」
「う〜ん、もっと驚いた方が良かった?」
「君は相変わらずだね」
別に彼女の死について思うところがないわけではない。
ただ、彼女の言葉に必死に思考を巡らせた結果たいした答えは出せなかっただけだ。
そのあと、彼女は病気について色々話してくれた。
彼女の病気は国が指定する難病の一つで多分治せるようになるのは何十年も先、もしくは治せないかもしれない。
大人にもなれずに死んでしまうなんて可哀想だとも思う。
なんとなく彼女の顔を覗くと彼女は「大丈夫だよ」と言って彼女は笑った。
そのどこかあどけなさの抜けない笑顔に、なんとも言えないもどかしさを感じた。
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