君と隣で

夏はかき氷

再会

カラフルな街並みにポツンとその病院は立っていた。

大小さまざまな家々が並ぶ中、真っ白に光り輝くその姿は神々しさすら覚える。

実際命のやり取りをしているのだから神聖な場所なのだ。

近くで見れば見るほど、その白さになんとも言えない異様な雰囲気を感じてしまう。

下から見上げればその重厚感に押しつぶされそうだ。

そんな病院の無数にある部屋の一つに少女は入院していた。

いつまでこんな生活が続くのだろうか。

毎日窓辺で彼女はそんなたわいもないことを思い浮かべてはつぶやく。

口にするだけで実際は行動に移していないので、何も変わることなく時間だけが過ぎてゆく。

彼女は不治の病に侵されていた。

そのことがわかったのは一ヶ月前。

幸か不幸か交通事故に遭い、病院に運ばれて検査を受けている時のことだった。

医者に宣告された余命は二週間もない。

刻一刻と死へのタイムリミットは迫り、残された時間は限りなく少ない。

太陽が沈むのを病院の窓から眺めるたびに、また終わってしまうという焦燥感に似た喪失感に襲われる。

自分は一体これからどこへ向かってゆくのだろうか。



朝、目を覚ましてすぐ彼女のお見舞いに行く準備を始めた。

自殺の前に思い残したことはないかと考えた時、唯一思い至ったのがそれだけだったからだ。

少し前に幼馴染のスズカが事故にあったと知らされた。

幸いにも軽い怪我で済んだそうだが、検査のために今は少しの間入院しているらしい。

母からその話を聞いた時ちょっぴり安堵していた自分に少し驚いた。

スズカとはもう2年以上会っていない。

初めての中学校生活の途中で引っ越してしまった彼女とは喧嘩別れという形でそのまま会えなくなってしまった。

高校生となった今ではそこに思うことが少しはあるが、気に留めるほどのことでもない。

しかし、偶然にも彼女が入院している病院はこの辺では唯一ある総合病院で、僕の家からも比較的近かった。

運命とまでは言わないが何か縁のようなものがあるような気がする。

もしかしたら無意識に昔の思い出を繋ぎ止めようとしていただけだったかもしれない。

ただ久々に彼女の顔を見たい。心からそう感じた。




真夏の青空の元に光り輝く太陽が、道路を練り歩く老若男女の肌を平等に照りつける。

自転車を漕ぎ出してすぐ、額に空いた無数の毛穴から汗が吹き出していた。

襟元をくすぐるような風が身体を流れる汗を冷やしてくれる。

長らく運動は控えていただけあって思っていたよりも早くに足が悲鳴を上げ始めた。

だけどやっぱり、体を動かすのは心地よい。

最近はサボり気味だが、僕は運動部にはいっている。

かと言って何かがあるというわけではない。

ほんの少し、あの時の自分に申し訳なさを感じただけだ。

家を出て5キロの道のりを自転車で30分かけてようやく病院が見えてきた。

そういえば今日突然訪れて失礼ではないか?

わかんないけど多分大丈夫。

よくよく考えてみると喧嘩別れしたのに会いに行くというのは不思議な感じだ。

また僕たちは笑い合えるだろうか。

もしうまくいかなかったとしても自分の最後の瞬間に後悔は残さないようにしておきたい。

病院の駐輪場に自転車を止め、入口に設置された自動ドアを潜り抜ける。

受付で病室を聞き、階段を登って突き当たりの角を曲がった。

すれ違う人の表情はどれもさまざまで、当たり前のことだけど横を通り過ぎる僕のことは気にも求めていない様子だ。

僕の目の前で楽しそうに喋る親子に少し孤独感を抱いてしまう。

でもすぐに過ぎた話だと流した。

こんなものは考えるだけ無駄だ。


気づくと、彼女の病室のドアの前まで来ていた。

大きく深呼吸をしてドアをノックする。

中から聞こえてきた声はやっぱり彼女の声で、少し懐かしいものが込み上げてきた。

ドアを開けると部屋の照度が一気に上がったような感覚に陥る。

まず目に飛び込んできたのは虚飾のない、海のように深く澄んだ瞳。

視線が交わった瞬間吸い込まれるような錯覚を覚えた。

そして次に目を引いたのは彼女の纏う、自然と人を惹きつけるような独特の雰囲気。

何か儚いような、触ったら崩れてしまうような溶けて消えてしまうような気がした。

“愛されている”なぜかはわからないけどそう思った。

ふと気持ちが昂っていることに気付く。

この妙に懐かしいような感覚はいつぶりだろうか。

驚いて開いた口が塞がらない僕を見て、彼女の方が先に口を開いた。

「久しぶりだね」

彼女に会うのは約3年ぶり。

本当に久しい。

久々に見た彼女は見違えるほど綺麗になっていた。

なんだか彼女が驚いてくれることを少し期待していた自分がバカみたいだ。

「もっと驚いてくれるかと思ったんだけどな」

「すこしは驚いてるよ? でもそろそろ君が会いに来る頃だと思ったんだ」

「タイミングが悪いね」そう言って彼女は笑った。

「でも本当に君の方から来てくれるなんて、私のことがそんなに恋しかったの?」

「…たまにはそういうこともあっていいとか思ったりしたんだ」

ふ〜んと聞いているのか聞いていないのかわからない返事で彼女は言葉を切った。

相変わらず何を考えているのかよくわからない。

だけどとりあえず、あの日のことについて謝ることにした。

あの日、僕が彼女と喧嘩別れをしてしまった日。

原因は本当に些細なすれ違いからだった。

幼馴染のスズカが隣町に引っ越すことになったのを聞かされた時、素直に僕はそのことを受け入れた。

彼女がどう思うか聞いてきたが「君とずっといたかったけど、でもしょうがないよね」と心ないことを言ってしまった。

彼女は俯いていたのでその時の顔はよく覚えていない。

だけど明るく笑い合えるような雰囲気ではなかったことは確かだ。

「…本当にそう思ってるの?」

彼女が言葉を発したその瞬間、周囲の空気が凍りついた気がした。

地面から目を離すと、彼女が涙を溜めた責めるような目線を僕に向けていることに気づいた。

「なんで怒って…」

「いいから答えて」

僕の場違いな質問に、彼女は間髪入れずに返してきた。

僕はその彼女の言葉にイラッときてしまい、「そんなの好きにすればいいじゃん」といってしまった。

その言葉に彼女は目を丸くしてしばらく固まっていた。

その間僕は今日の夕飯について考えていた。

しばらくして放心状態が解けた彼女に、一応謝るため頭を下げようとしたその時「私は君のこと友達以上に信頼していたけど、君はそうでもないんだね」と言って彼女に2発殴られ走り去られてしまった。

今度は僕が呆然とする番で、オレンジ色の夕陽が僕の影を細く遠くに引き伸ばしたのを鮮明に覚えている。

その後よくよく思い返してみると自分が悪く、なんでそんなことを言ってしまったのかずっと悔やんだ。

「まだ君にあの時のことを謝れてなかったから今謝る。あの時はごめん」

「?引っ越す直前の時のこと?別に私も悪かったと思っているし…気にしてないよ?」

僕の謝罪は意外とあっさり済んでしまった。

彼女のカラッとした態度についつい気が抜けてしまう。

「そういえば君はそんな性格だったね」

「私のほうこそ、あの時殴ってごめんね。力一杯殴ったから痛かったでしょ?」

「おかげで一時期ウシガエルみたいな顔になったよ」

「それは傑作」

「でも見た感じ元気そうでよかった。あとこれ、見舞い品をどうぞ」

「わあ、ありがと」

スズカに渡したのは豆大福。

家からでテキトーに持ってきたやつだ。

彼女が美味しそうに食べているので別に全然モーマンタイ。

美味しそうに豆大福を食べている彼女を改めて見ていると、懐かしい気持ちにさせられた。

以前と変わらない弾けるような笑顔に、ずっと昔、白くぼやけてしまった記憶のかけらが脳を掠める。

奥にしまい込んだはずの思い出が質量のある波となってドッとなだれ込む。

複雑に絡みついた感情が込み上がり、無意識に体が浮ついてしまう。

今はもう過去となってしまった思い出が寂しさを運んでくる。

もうあの時には戻れないという虚しさだけが頭に残る。

だけど記憶は途切れない。

泡のように次々と浮き上がってきた思い出を、壊さないように優しくすくいだす。

記憶の中の彼女はいつも笑っている。

けれど、当時と今では印象も雰囲気も全然違う。

心なしか前よりイキイキしている様な気がする。

というかやっぱり顔が少し違うように思う。

「…なんか、こういうのもなんだけどさ、ほんとに言いにくいんだけどさ?」

僕のもったいぶるように言った言葉に彼女は素早く反応した。

「何?トイレなら出て右だけど」

彼女の不思議そうな表情を前に、意を決して自分の感じたことをそのまま口に出した。

「なんか、顔違くない?」

ついつい聞いてしまった。

地雷を踏み抜いただろうか。

僕の言葉に目を丸くし言葉を詰まらせながらも彼女は答えた。

「君は目を逸らすのが上手いからね。今頃私の魅力に気づいた?」

彼女の依然とした態度にもっと踏み込んでしまった。

「勘違いならいいんだけどさ。…もしかして、整形した?」

「言語同断チョップ」

有無を言わさぬ合掌が、無慈悲に少年の頬に叩きつけられた。

「イッタ」

「失礼な発言には手刀が飛んで君をウシガエルにするから。だから君は一生人面ウシガエル」

「そんな殺生な」

ウシガエルなんてキモくてキモくて気持ち悪い。

あのぬめっとした肌なんて想像しただけで寒気がする。

「口に入る動くものならなんでも食べれるようになれるよ?」気休めなのか煽りなのかわからないが彼女は楽しそうだ。

「君は相変わらず力加減というものが足りていないね」

実際ほっぺたにジンジンするような痛みが走っている。

心なしかほおが腫れてきているような気がしなくもない。

「ああ、今回は手加減はしたから安心して?」

そういう問題なのか?と疑問に思ったが過ぎたことだと流すことにする。

彼女は昔からそうだった。

どんな時も周りを気にせず突き進んでいた。

知らないうちに自然と心に張り付いたモヤも少し薄くなった気がする。

そう思うとベットの上で自慢げにairチョップをしている彼女は心なしか力強く、彼女の笑顔がほんの少しだけ眩しく見えた。

「そういえばまだテニスはやってるの?」

ボーッとしていたら彼女が尋ねてきた。

「うーん、今はやってない、ね」

油断していたせいでおぼつかない返事をしてしまった。

話を変えようと口を開けたと同時に彼女が突っ込んできた。

「あんなに頑張ってたのにやめたんだ」

彼女は痛いところをついてくる。

おまけにレスポンスも早い。

言い訳をしようと必死に口を動かしたが、言葉は音になる前にこと切れた。

それはあの時の記憶を思い出したからだ。

「お前、うざいな」そう言ったのは同じ部活の同級生。

性格も合っていると思っていたし、友達だとも思っていた。

だけど突然無視やら陰口やらで色々言われるようになった。

脳裏に刻み込まれたこの光景は、今でもたまに夢に見る。

「またやるつもりはないの?」

彼女の言葉で現実に引き戻された。

「…ないね」

「君がテニスをしてるとこ、かっこいいと思ってたんだけど残念」

「褒められると照れる」

「照れるな」

彼女に頼まれたとしてももうテニスをやるつもりはない。

逃げたと思われるかもしれないが、もうあんな状況になるのは懲り懲りだ。

そんなことを考えていると彼女が独り言を呟いた。

「でも人間関係で悩んでいるなら無理はしないほうがいいよね」

「……へ? そのこと話したっけ?」

「いや、聞かされてないね」

彼女は平然とした口調でそう言った。

正直驚いた。

そこまで見透かされているとは思っていなかったからだ。

「なんでわかったの?」

そう彼女に問う。

「それは君が顔に出やすいタイプだからかな?」

だけど僕の問いは、はぐらかされって返ってきただけだった。

「それで、なんでいじめられてるの?」

彼女が鋭く切り込んでくる。

多分、さっきの仕返しだ。

「…いきなりぶっこむね。そんなことは本人に聞かないとわからない。僕は考えてもわからなかった」

彼女は返事をせず僕の顔をまっすぐみてきた。

突然のことすぎて咄嗟に目を泳がしてしまう。

「全く見当違いのことかもだけど、もしかしてだけど、自殺しようとしてる?」

自殺という言葉に少し体が反応した。

彼女はいつから気づいていたのだろうか。

「………どうなんだろう。僕自身、自分の気持ちがよくわかんない」

直接言えず曖昧に誤魔化した。

多分彼女は分かっている。

「今日君が突然来たのも最後に私の顔を見たくなったとかじゃないの?」

「…うん」

とうとう言ってしまった。

でも半分バレていたから嘘をつく理由もない。

「へ〜、君もいろいろ大変だったね」そう言って彼女はため息をついた。

恐ろしい洞察力を前に僕は縮こまるしかなかった。

「なんでそう思ったの?」

僕の問いに彼女は「だから君は顔に出やすいんだって。それだけだよ」と言った。

長く付き合っていると相手の考えも少しはわかるようになるのだろうか。

僕は相変わらず彼女の考えが読めない。

「もしものことだけど、僕が自殺しようとしたら君は僕を止めてくれる?」

なんとなくそう聞いてしまった。

どう答えてくるだろう。

彼女なら僕を救ってくれると言うだろうか。

昔みたいに僕の太陽になってくれると言うだろうか。

答えはNO。

僕の考えとは裏腹に彼女は僕を否定も肯定もしてくれた。

「説得はするよ。でも止めない。それで君が楽になれるなら私も応援するよ」

「そうか」

少しの間だけ沈黙が続いた。

その沈黙を破ったのは彼女だった。

「じゃあ君の素直さに免じて私の秘密を君に教えようかな」そう前置きをして彼女はまっすぐ僕を見た。

目を逸らそうにもその瞳にどうしても吸い寄せられる。


え…もしかして告白⁉︎

彼女をこんなに真剣な表情にさせるなんて他に思いつかない。

だからあるとすれば僕への告白だ。

心なしか彼女も少し緊張して耳が少し赤くなっているように見える。いや、それは気のせいか。

そんなことを考えている間に彼女は準備を整えたようで僕の方に向き直り、そして意を決したように口を開いた。


「私、寿命がもう、一ヶ月もないんだ。」


「…え、え?」

「そういうことなんです」

「、、、それでほんとはどうなの?」

「信用ないなー、事実なのに」

「ほんとにほんとなの?」

「ほんとにほんとだよ」

「そうかー」

「そうだよー…リアクション、少なくない?」

「う〜ん、もっと驚いた方が良かった?」

「君は相変わらずだね」

別に彼女の死について思うところがないわけではない。

ただ、彼女の言葉に必死に思考を巡らせた結果たいした答えは出せなかっただけだ。

そのあと彼女は病気について色々話してくれた。

彼女の病気は国が指定する難病の一つで多分治せるようになるのは何十年も先、もしくは治せないかもしれない。

大人にもなれずに死んでしまうなんて可哀想だとも思う。

なんとなく彼女の顔を覗くと彼女は「大丈夫だよ」と言って彼女は笑った。

そのどこかあどけなさの抜けない笑顔に、なんとも言えないもどかしさを感じた。

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