僕はまだ..
次の日、僕はまた彼女の入院する病院に来ていた。
理由は色々ある。
昨日彼女から病気の話を聞いたことで、頭が回らなくなりこの病院に忘れ物をしてしまったというのが一つ目。
もう一つが、他にやることがなく暇だった、というのがある。
そして最後の一つが、自分でもよくわかっていない。
彼女をこのまま死なせていいのか。
ずっと悩んでいる。
一年ほど会っていなかったとはいえ、仲の良かった人の余命を聞くのはあまりにも辛い。
でも一番辛いのはもうすぐこの世を去ってしまう彼女自身であり、その辛さは僕とは比べ物にならないほど重く苦しいと思う。
彼女に残された時間は残りわずかで、彼女は今も少しづつ、死へと近づいている。
可哀想だと思う。
哀れだとも思う。
でも、綺麗だ。
長く生きられないというのは、こんなにも人を美しく変えてしまうのだから。
なぜ枯れ果ててゆくのをただ待つのみとなった彼女が、僕の瞳にこんなにも光り輝いて映るのだろうか。
彼女のその尽きることのない虚しさが僕の胸の奥深くに突き刺さって抜けない。
夢ならどれほど良かっただろう。
僕は彼女に何をしてあげられるのかまだわからない。
何もできないまま終わるかもしれない。
でも、せめて最後は近くにいてあげたい。
何もできないなりの僕からの思いやりだ。
気づくと、いつの間にか部屋の前まで来てしまっていた。
彼女が入院している部屋は五階の一番端にある。
廊下の窓から時折チラリと見える外の景色はなかなか素晴らしい。
部屋に入ると彼女がいた。
ベットの上で枕を抱いて寝転んでいる。
眠いのか目がまだ開いていない。
「やあ、昨日ぶりだね」
彼女は僕の声に反応して、目だけ扉の方へ向けてきた。
「ああ、忘れ物ね。…机の上にあるよ」
いや違うね。…それもあるけど。
「どうしたの?わざわざ直接会いにくるなんて。これは明日の天気は雪だ」
「…今は夏休みで僕も暇。だからちょうど暇つぶしの相手を見つけられて嬉しいんだ」
「その割に目が赤く腫れているのはなぜだろう」
「今は夏だからね。両目を蚊に刺された、それだけのことだよ」
分かっていてもあえてこんな質問をしてくるのだから意地が悪い。
彼女も昨日僕が涙を流しているところを見ていたくせに。
一方の彼女はそんなことを気にする様子もなく僕の膝をまじまじと見つめている。
「その膝の傷はどうしたの?」
僕の膝にはデカデカと貼られた絆創膏があった。
昨日の彼女の話のせいで帰り道に何度も電柱に突っ込んだおかげだ。
「昨日泥に車輪を取られてね。それで滑ったんだ」
「なるほど、天罰か。神様もいいことするね。」
「神なんていないよ」
僕の指摘に彼女が首を傾げる。
「その割に私が小学校の時に渡したお守りずっと持ってるんだね」
彼女の視線の先には僕の手の中で包み込まれた緑色のお守りがあった。
「それは…時と場合によるんだよ。ないものに縋りつきたくなる時くらいあるでしょ?」
「ふーん、その割に耳も赤くなって目も泳いでるけど…」
「…ハイハイ」
ハハハと楽しげに笑う彼女を尻目に外を眺める。
街中にひしめいていたはずの豊かな色彩はぼんやりと色褪せていた。
その風景を見渡していると彼女が話しかけてきた。
「死ぬのってどんな気持ちだろう」
そう言われても僕にはよくわからなかったから無難に返事をした。
「それは死んでみないとわからないね」
「そうかー、死ぬ前になんかやっておきたいことないかなー。君は死ぬ前にやりたいこととかある?」
「僕は犯罪をしてみたいな」
「え?」
「いや、人生一度きりしかないんだから少しは悪いことしてみたいってこと」
「いや怖い怖い。一度きりしかない人生薬物でダメにする理由がわからない。もっと楽しいことあるんだからさ、もっと楽しもうよ犯罪者予備軍として」
「なぜ薬物…そして僕は犯罪者予備軍でもない。道路の真ん中で寝転がりたいとかそれくらいのことだよ。君はなんかないの?」
「私は……なんでもないや」
「最後まで言ってよ」
僕がそう言うと、彼女は気恥ずかしそうに両手の指を絡ませながら小さな声で答えてくれた。
「…ある人に想いを伝えたいって、こと」
「あーそれはそれは」
僕の反応に気恥ずかしくなったのか、目線をどことなく逸らされているように感じる。
「それで?」
「…うん?」
彼女がとぼけたふりをしているのはわかっている。
「誰なのかなーなんて思ったり思わなかったり」
「言うわけもなし」
「残念だ」
お互いに目線が床やら壁やらに飛んでいる。
少し気まずい。
そんなふうに感じていると彼女が喋り出した。
「話が飛ぶんだけど実は私、病気のことを聞かされた時少し罪悪感を感じたんだ」
「…なんで罪悪感?」
「私はもうすぐ死ぬのに何もできそうにないから」
「…………」
僕が受け止めるにはこの話は重すぎた。
彼女は人のためを考えて最後の時間を過ごそうとしているのに、僕は自分のことだけを考えて死のうとしている。
人として大事な部分を真っ向から突きつけられたような気がした。
「でも君と話してたら少し楽になれた。ありがとう」
そう言って彼女はほんの少し僕に笑顔を見せてくれた。
人のためを思って死ねる人はこんなにも輝いて見えるのかと思う。
「……ボソッ」
「え?何?聞こえないよ」
「……ずっと考えてた。君が死ぬって言ったことについて、ずっとずっと考えていたんだ。」
僕の言葉に、彼女は豆鉄砲でも喰らったように目を大きく見開いた。
「…嬉しいな。君の思考を一部陣取っているなんて光栄だ」
「目一杯考えた。そしたら…」
「おー」
「何も思いつかなかった」
「へ?」
「どれだけ考えても思いつかなかったんだ」
「そこは嘘でもねぎらいの言葉をかけるべきでしょ」
「確かに。でも、一つわかったことがある」
「何でしょう」
「僕は、君を、死なせたくない」
「フッ、私死ねないじゃん。神様にでもなれっていうの?」
「まぁ、長生きして欲しい」
別に好きとかそういうことじゃなくて、“早く死んでしまう”なんていう理不尽な理由で死んでほしくないだけだ。
「ん〜でも、神様になるくらいだったら天使になりたいな」
「天使?」
「そうだよ、私の病名は特発性過剰適応形質性白皮病って言ってね。別名エンゼル病なんて呼ばれたりしてるんだ。この病気は発症してから半年から一年で死に至るらしいね」
「まるで他人事だ。エンゼルの由来はなんなの?」
「実はこの病気にかかると、髪も肌も目も白くなるんだ」
「その髪色染めたんじゃないのか」
「実はそうなんです」
「そうなんですか」
「うん。…実は、私も、考えていたことがある」
「なんでしょう」
「私、君には生きていて欲しい。私の分まで生き続けて欲しい」
「ほへ?」
「だから自殺禁止ね」
「君と死のうとか考えていたんだけど」
「ダメです無理です残念です」
「…ずるいな。先に死ぬなんて」
「君にはまだ私の気持ちはわからないだろう」
「…」
会話が途切れた。
その沈黙が耐えられず無理やり話を広げた。
「君は後、どれくらい生きられるの?」
「う〜ん、、分かんないなぁ」
「…そう、なんだ」
予期せず言葉に感情を乗せてしまった自分に動揺し、それに動揺している自分にさらに動揺してしまった。
彼女と会ってから自分も知らない自分の存在に気付かされる。
自分の中にしまっていたはずの自分。
それは僕という人格を作る上で最も大事な根幹で、一番柔らかい部分だ。
「もしかして心配してくれてる?」
彼女が少し嬉しそうに僕の顔を覗き込んでくる。
「そうだね。君の頭が空っぽになっていないか、いつも心配している」
「あらあら〜、言語道断チョップ」
「アイタッ」
「言ったでしょ、今度は容赦しないって」
「聞いてない」
「そうかもしれないかもしれない」
「でもありがとう。君のおかげで入院してからずっと楽しかったよ」
「私も負けじと楽しかったよ」
そう言って笑い合い、その日は終わった。
※エンゼル病の概要
『詳しい原理はわかっていないが、この病気は寿命と引き換えに人を一段階進化させるような兆候が見られる。肌や毛は白く変わり、顔や体つきも自然とみんなに好かれやすいものになる。患者の中には白い翼が生えてきた者や驚異的な第六感を手に入れた者もいる。彼らは負荷に体が耐えきれず、例外なく死んでいる』
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