第22回 小さな『コトン』は長くて短い旅をする

2024年 9月公開


第2会場1位  総合1位

(1位/41票  2位/12票  3位/5票)(いいね/22)


未連載(2025年に連載開始予定)



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『あらすじ』


 小さな生き物『コトン』は、目覚めたときひとりぼっちだった。

 親も兄弟もなく、仲間だっていない。

 見た目に関してある者は「奇妙な生き物」と言い、ある者は「翼を持つ黒い仔犬」とも言うが、「こんな生き物は見たことがない」とは皆が共通して言うこと。


 だからコトンは遥かな道を行く。

 妖精や竜、人間といった者たちとの出会いを繰り返しながら、いつか仲間に会える日がくると信じて。


 旅の終わりに待っているのが仲間ではなく自身の死なのだと、期待に胸を膨らませるコトンはまだ知らない。



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 その日。

 ガード大陸メデレス村の小さな家に住む男が玄関から外へ出ると、奇妙な生き物が目の前にいた。


 大きな耳と大きな青い目を持つ四つ足の獣だ。

 尻尾は長く、全身はふわふわとした黒い毛でおおわれていて、背中には一対の翼がある。なぜか頭だけ茶色でツルツルしているのは、卵の殻らしきものをかぶっているためのようだった。


 今まで男が見たこともない生き物だ。もしもこれが大きかったなら、男は恐怖のあまり走り去っていただろう。しかし奇妙な生き物のサイズは先日産まれた娘と同じくらいだった。加えてむかし飼っていた仔犬の顔になんとなく似ていたので、少し親近感も湧いた。

 それで男は逃げる代わりに、生き物としばらく見つめあっていた。


 最初に動いたのは生き物の方だった。

 目を細め、口を開き、高くて可愛い声で言う。


「まいどありー!」


 どありー、ありー、りー、という反響を聞きながら、男は「いったい自分は何を買ったんだろうか」と考えていた。

 再び互いに見つめあったあと、奇妙な生き物は小さく「あ」と呟く。


「間違えました! おはようございますでした! どうも、コトンです、初めまして!」

「人間の言葉が喋れるんだ……初めまして、ご丁寧にありがとう……。えー、ところで、あの……コトン、さん?」

「コトンです!」

「はあ、コトン……くん?」

「コトンです!」

「ええと……コトンちゃん?」

「コトンです!」

「……コトン」

「はい、コトンです!」

「ここで何をしてるのか、聞いていい?」

「もちろんです! コトンは行商中なのです! 今回はこちらの玄関前で販売しております!」


 よく見ると奇妙な生き物――コトンの前には小枝や花、木の実が置かれていた。どうやらこれらが商品らしい。


「いらさいませ! いかがですか!」

「いかがですかって言われても、うちには余計な物を買う余裕なんて……そもそもこれはいくらなんだい?」

「商品一つにつき、キラキラかフワフワを一つです!」


 キラキラは硬貨のことだろうが、フワフワとはなんだろう。

 男が問いかけてみると、コトンは首をかしげる。


「キラキラもフワフワも、コトンが美味しくいただくものです!」

「食べるのか? だったらキラキラっていうのもこれではない?」


 男が取り出した銅貨を見て、コトンは元気に「違います!」と言う。


「キラキラかフワフワをお願いします! ささ、どうぞお近くでごらんください! どれをお買い上げになられますか?」


 対価が分からないまま「買え」と言われるなど、ゴロツキどもの押し売りより悪質だ。困った男は、やっぱり走って逃げようか、と思った。

 しかしすぐに考え直したのは、ここが男の家の玄関前だったからだ。男が逃げた場合、コトンは次に妻をターゲットにするかもしれない。娘を抱いたまま困る妻の顔を想像した男は「ならば自分が困った方がいい」と覚悟を決めて、深いため息と共にその場に屈みこむ。

 コトンの前にあるのは、乾燥した小さな枝、ひょろりとした花、硬そうな木の実だ。


「……どれがマシかなあ……」


 マシも何も、どれ一つ取っても商品に見えない。商品の内容もだが、自然物が無造作に土の上に置かれているだけというのにも問題がありそうだ。

 そこで男は商品を横によけた。首にかけていた赤いタオルをコトンの前に敷き、その上に改めて商品を置いてみる。


「……うーん……」

「これは何をなさってくださったのですか?」

「いや、こういうものがあれば少しは露店っぽくなるかな、と思ったんだけど……」


 何年も使っているこのタオルは生地がだいぶ薄くなっていて、ところどころ地面が透けて見えている。


「なんというか……逆にみっともないか。こんなの、いらないよなあ」


 頭を掻きながら男が言うと、きょとんとした様子だったコトンが、大きな目をより大きく開いた。


「もしかしてこの赤くてキレイなものを、コトンにくださるとおっさっていらっさるのでしょうか?」

「キレイ……ってわけじゃないけど、まあ、間に合わせにでも使ってもら」

「ひょおおおおおお!」


 青い瞳をきらめかせ、食い込み気味にコトンは叫んだ。


「なんというご親切な方! コトンは尊敬の念を禁じ得ないのです!」


 コトンはタオルの周囲で「おみごと!」「すごい!」「カッコいい!」と叫びながら、ぴょこぴょこ飛び跳ねる。

 ボロボロのタオルに賞賛をもらって恥ずかしくはあるが、コトンの喜ぶ様子はとても可愛かった。男がつい相好を崩したとき、動きを止めたコトンは上を向いて、ぱく、と何かを口に入れたようだ。咀嚼し、飲みこみ、「素晴らしいフワフワでした」と満足そうに言ってから、ハッとした表情になる。


「しまったです! 商品をお渡ししていないのにお代をいただいたのです! 三日三晩なにも食べていなかったのでウッカリしたのです!」


 コトンは、赤いタオルの上に並べてあった枝と花と実を二本の前足で持ち、後ろ二本の足で立って男へ差し出す。


「おわびと、素晴らしいお品のお礼を兼ねて、こちらをお持ちください!」

「あ、ああ……ども……?」

「それからお聞きしますが、コトンと同じ生き物を見たことはおありですか?」

「いや、ないけど」

「そうですか、ありがとうございます!」


 受け答えをしながら男が『商品』を受け取ると、ぺこりと頭を下げたコトンは近くの草の中から小枝や木の実などを取り出した。まだ商品を持っていたようだ。それらを赤いタオルの上に置き、くるりと丸め、翼の邪魔にならないよう背負ってアゴの下で器用に結ぶ。正面から見ると首輪のようでとても愛らしい。


「まいどあり! それでは失礼いたします!」


 翼をはためかせ、奇妙な生き物は空に舞い上がる。その姿が遠くなったところで男は「何だったんだろう」と呟きながら手の中に顔を向け、「わっ!」と叫び声をあげた。

 改めて見て気がついた。渡された三つの『商品』はどれも入手の難しい高級素材だ。町の錬金術師のもとへ持って行けば、何年か遊んで暮らせるだけの金が手に入る。


「本当に、何だったんだ?」


 どんなに目を凝らしても青空には青しかない。黒くて小さくて奇妙な生き物なんて、もうどこにも見えなかった。


 ※ ※


 その生き物が目覚めたとき、近くで「ことん」という音がした。

 だから生き物は自分の名前を「コトン」にした。


 辺りは暗闇だったけど、コトンの目は光がなくても見通せた。音を出したのは自分が今まで入っていたもので、これは卵の殻というのだとコトンはもう知っていた。

 殻の上半分は被るのにちょうどいい大きさになりそうだったので、コトンは生まれた記念にこれを持って行こうと決める。

 割って大きさを調整し、耳が潰れないよう前足の爪でこつこつと穴を開け、満足のいく仕上がりになったとき、コトンのいる場所に光が射した。どうやら夜から朝になったらしい。コトンが生まれたのは大きな木の内側で、光は上部にできたうろから来ているようだ。


 あそこに行ってみたくてコトンは立ち上がり、背の翼を開いてみる。空間にはかなりの広さがあったので、飛行にはなんの支障もなかった。


 光は十分すぎるほど空洞の底に届いている気がしていたが、それが大きな間違いだったとは外が近づくにつれてよく分かった。外へ出たときはあまりにまばゆくて、目を開けていられなくなったほどだ。

 白い視界の中、古びた木の重厚な香りがいっそう強く感じられる。深く呼吸をするとさらに、木の葉や若い枝の爽やかな香りまでもが体の中を満たした。

 大きく息を吐きだし、一緒にコトンは今の気持ちも吐きだす。


「世界にお邪魔します!」


 それがコトンの最初の言葉だった。


 辺りを見回すと大きいのから小さいのまでたくさん生き物がいて、とても美味しそうな『キラキラ』や『フワフワ』もあった。木の枝を避けて飛びながらコトンは、片端から口の中に入れていく。

 これが『感情』と呼ばれるものの欠片だとコトンが知るのは、まだまだ先の話だ。


 何度か陽が沈み、陽が昇る。

 そのうちコトンは気がついた。

 生き物たちは同じ姿のもの同士で一緒にいることが多いけれど、コトンの近くにはコトンと似たものがいない。


 そこでコトンは、自分に似たものをさがしに行こうと思った。

 生まれ故郷の森を抜け、広い野を過ぎ、高い山を越えて行った先で、出会ったのは妖精だった。


「コトンです! 初めまして!」


 挨拶をすると、湖のほとりに座る妖精は、蝶のようなはねを動かして「あら」と言った。


「奇妙な生き物だわ。喋ったわ」

「はい。コトンは話せます! 起たときからです! ところであなたは、コトンの仲間を知ってますか?」

「知らないわ。見たこともないわ」

「でしたら、コトンの仲間をご存知のかたはいらっさいませんか?」

「知ってるとしたらあのかただわ。世界樹に住む妖精族の古老だわ」

「コロウさん? は、どこにいらっさるですか?」


 小さな妖精は小さな手でオレンジ色の光を指す。


「向こうだわ。沈む陽を追いかけて行けばいいわ。その先においでだわ」

「分かりました、ありがとうございます!」


 ぺこりと頭を下げた奇妙な黒い生き物はまた翼を広げ、茜色の空の向こうへ消えていく。

 その姿を見送って、妖精はまた「あら」と言った。


「距離を伝えるの忘れたわ。ずっとずっとずーっと向こうなんだって言わなかったわ。うっかりしたわ」


 こうして妖精の『うっかり』により、コトンの遥かな道行きは完全に無計画なまま始まった。

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