書き出しコロシアム

第2回 偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで 1話目

2023年 12月公開


得票数/20

12位


未連載


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『あらすじ』


パートリッジ伯爵家は困窮していた。ハドリーという商人の甘言に乗って借金を重ねてしまったからだ。

このまま没落するかと思われたパートリッジ伯爵家だが、有り余る財産で新興貴族となったハドリーからひとつの提案があった。


「私の娘サラに貴族としての振る舞いを教えてください。そうしたら借金をいくらか帳消しにして差し上げましょう」


こうしてパートリッジ伯爵の娘エレノアは家のため、サラに貴族の振る舞いを教えることになった。

……のだが、当のエレノアは、


「元平民のところへ行って教えを授けるなんて、絶対に嫌ですわ!」


と、断固拒否の姿勢を貫く。

困ったパートリッジ伯爵はもう一人の子どもに泣きついた。


こうしてパートリッジ伯爵の息子ケヴィンは家のため、エレノアのフリをしてサラに貴族の振る舞いを教えることになった。


……実は家のためではなく、ほのかな恋心を抱いていた相手・幼馴染サラのためだけれど、それはケヴィンだけの秘密だ。



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 この世に魔法はないけれど、これから使うのは魔法みたいなもの。


 シンプルながらも品の良いドレスに身を包み。

 顔には流行りの化粧を施して。

 顎下まである襟元には、瞳と同じ紫のブローチを輝かせる。 

 高く結い上げてある金の髪を被り、銀の髪飾りをつけたら、ほら。


 鏡の中にいるのは、王都でも「最高の淑女」と名高いエレノア・パートリッジ伯爵令嬢。


 うん。ちゃんと綺麗。

 これなら――。


「坊ちゃーん!」


 大きな呼び声と同時に、背後から「バーン! ガゴッ!」という音が響いて僕は思わず振り返る。


「おおおおおい! その扉は……ああ……あーあーあー……」


 無残に傾いた扉を見て僕は頭を抱えた。

 何してくれちゃってんだよ、もう……。


「ありゃ。壊れちまいましたねえ」

「壊れちまいましたねえ、じゃないよ……」

「……坊ちゃん、泣いてます?」

「泣いてない!」


 泣きたい気分ではあるけど。


 この扉は上側の蝶番ちょうつがいが壊れかけてたんだ。

 部屋のあるじの僕がトドメをささないようそっと開閉してたっていうのに、まさかメイドに壊されるなんて思わなかったよ。


 たかが蝶番、されど蝶番。

 うちは貧乏なんだからもっと物を大事にして欲しいなあ、ホント。


「というか、今日はもう僕のことを『坊ちゃん』って呼ぶなって言ったろ?」


 歩み寄った僕がじろりと睨むと、背の低い中年メイドはポンと一つ手を叩く。


「あやー、忘れてました。すみません、若旦那」

「若旦那じゃない」

「ケヴィン様」

「だから」


 僕は大きくため息を吐く。


 うちがまだそこまで貧乏じゃないときは、もっとちゃんとしたメイドもいたのに。

 何しろ金がないもんだから給金が払えなくなって、優秀な使用人たちはみんな他家に行ってしまった。おかげで今じゃ……いや、やめとこう。悲しくなるだけだから。


「いい? 今日の僕はケヴィン・パートリッジじゃなくて、エレノア・パートリッジなの」

「おやおや、坊ちゃんったらもうボケちまったんですね。エレノアは坊ちゃんのお名前じゃなくて、坊ちゃんのお姉様のお名前ですよ」


 メイドはワハハハハと笑いだす。

 うん、ボケちまったのはそっちかな。


「僕が姉上のフリをする理由については、こないだから何度も説明してるよね」

「そうでしたっけ」

「……そうでしたっけって……じゃあなんで僕がこんな格好してると思ってるわけ?」

「趣味」


 んなわけあるか。

 僕は仕方なくもう一度説明しようとして、……やっぱりやめた。

 今までだって覚えられなかったんだ、きっとこれからも覚えられないだろう。


「とにかく、今日の僕はエレノアだから。それだけ覚えておいて」

「わっかりましたー。エレノア様ですね。うん、さすがご姉弟。今日の坊ちゃんは確かにエレノア様にそっくりですよ!」

「本当に?」

「はいさ! 声はちょっと低いですけど、お顔はよく似てますし、髪の長さもおんなじくらいですし! いやー、すごいですね!」

「……この髪はかつらだよ」


 僕の髪はもっと短いよね。

 一日でこんなに長く伸びたらそれこそ魔法だよ。


 でも「そっくり」と言ってもらえたので僕の気持ちはちょっとだけ浮上する。


 そっか。

 ちゃんと似てるんだ。

 姉上のフリをするって決まってから必死に化粧の研究してよかったな。


 ホッとした僕はようやく笑えるようになる。その僕をまじまじと見つめるメイドは心の底から感心した様子だ。


「坊ちゃんがこんなにも女性っぽくなれるのは、顔もですけど体格の問題もありますよねえ」

「そうだね、父上みたいにゴツイ体だったら無理だったよ」

「いえいえ、それだけじゃありません。何しろ坊ちゃんのお食事は量が少ないですからねえ。おかげで十六歳にしてはちっこくて細いわけですけど、まあ、それが良かったんだなあって」


 僕の笑いが引き攣る。


 うるさい。

 うちが貧乏すぎて食卓に並ぶ量が少ないだけだよ。別に好きで減らしてるわけじゃない。


 ……駄目だ、これ以上このメイドと話してたら僕の繊細な心が擦り切れてしまう。

 さっさと話を切り上げるべきだと判断して僕は扉に手を掛けた。

 蝶番は一つ壊れたけど、半・め込み式の扉だと思えばなんとか使えなくもないはず。


「いい? 今度から僕の部屋に来たときは声掛けだけをして」

「ノックは?」

「いらない」

「開けるのは?」

「絶対に駄目。とにかく、二度と扉に触らないこと!」


 はあ、という気の抜けた返事を聞きながら僕は扉を嵌め込み終え、鏡の前に戻る。

 あー、マズイ。額部分がまだらになってる。直さなきゃ。


 僕が慎重に白粉おしろいをはたいていると、メイドがまた呼ぶ。


「あーのー。坊ちゃーん」

「だから坊ちゃんじゃなくてエレノア! 何? まだ僕に用があるの?」

「用があるのはアタシじゃありませんよ。モートさんて方です。すごいんですよぉー、ツヤッツヤでピッカピカの馬車を寄こしてくださってるんです」


 僕の手から化粧用の刷毛はけがポロリと落ちた。


「……今、なんて言った?」

「坊ちゃんったらやっぱりボケちまったんですねえ。あのですね、モートさんて方のところから馬車が来たって言ったんですよ」

「先にそれを言ってくれええええええ!」


 僕は白粉を机に放り出して室内を走る。うっかりそのまま開けようとした扉が、鈍い音を立てて再び外れた。



◆◆◆



 馬車はメイドの言う通りツヤツヤのピカピカだった。いつもの毛羽だった手袋で触ったら余計な糸がついてたかもしれない。良かった、新品の手袋してて。

 しかも見た目だけでなく乗り心地も最高で、移動中は揺れもほとんど感じなかった。車輪が外れそうなほど揺れるうちの馬車とは大違いだよ。


 着いた先にある屋敷だってもちろんうちとは大違い。敷地の広さは……まあ、歴史があるぶんだけ我がパートリッジ伯爵家の方が上だけど、建物が全く違う。


 モートの屋敷は新しいだけあって洗練された雰囲気だ。あちこちに彫刻が施されているし、手すりも、階段も、細身で洒落た感じ。

 うちの屋敷は余計な装飾を排してどっしり構えてるから、ああ、今風の建築はこんな感じなのか、時代の差が現れて面白いなって思わせてくれる。


 あと、モートの屋敷は隙間風が入ってこないし、絨毯や壁紙に雨漏りの染みがあるわけでもない。蝶番が壊れた扉だってもちろんないから、ああ、これがお金の差なんだなって落ち込ませてくれる。


「……だけどこの屋敷、調度品はの趣味は最悪だなあ。派手なものを置けばいいってわけじゃないだろ……」


 居心地の悪い金ぴかの部屋で辺りを見ていたときだった。

 小さな音がして正面の扉が開く。入って来たのは男性が一人と、女性が一人。


 僕の正面に立った二人のうち、男性の方が挨拶をする。


「ようこそお越しくださいました、エレノア嬢」


 モート家の当主、ハドリーだ。

 キツネみたいな顔をしているこの男は妙にさとい。

 エレノアは彼に会ったことないんだけど、ケヴィンは会ったことがある。変装を見破られたらどうしようかと思ったけど、ハドリーの態度におかしな点は見られなかった。


 良かった。ちゃんと僕をエレノアだと思ってくれてるみたい。第一印象だけなら成功だね。

 だけど重要なのはこれから。緩みかけた気を引き締めて僕はスカートの裾をつまみ、不自然にならない程度に高い声を出す。


「ごきげんよう、ハドリー卿」

「お待たせしてしまいましたな。貴族は時間に遅れるのが礼儀のようなので、さっそく真似させていただきましたよ」

「まあ、冗談がお上手ですこと」


 僕はにっこり笑ってみせる。悔しいけど、時間に遅れたのは事実だから仕方ない。


「約束の時間を忘れていたわけではありませんのよ。実は準備を終えて玄関へ向かっておりましたところ、ひいお祖父様の肖像画の前で髪飾りが一つ落ちてしまいましたの。これは『その髪飾りは良くない』というひいお祖父様からの忠告ですわ。急いで部屋へ戻って別の髪飾りを用意したのですけれど、その分だけ時間が過ぎてしまいましたの。お許しくださいませね」


 僕が言うと、ハドリーは「ほう」と答える。


「髪飾り……肖像画……。なるほど、さすがは由緒正しきパートリッジ伯爵家……」


 ハドリーが心の底から感心した様子で呟くので、僕はちょっとだけ罪悪感を抱く。

 今のはただの出まかせです、すみません。


「他にも言い伝えられていることがたくさんおありなのでしょうな」

「え、ええ。もちろん」

「素晴らしい。どのような些細なことでも結構ですので、ぜひ、サラにいろいろと教えてやってください」


 ハドリーは傍らの女性に顔を向けた。――サラ。僕の幼馴染だ。


 六年ぶりに見るサラは、昔よりずっと女性みたいになっていた。

 いや、昔だって女性だったんだけど。でも野原を駆け回ってた十歳のサラと、十六歳になった今のサラは全然違う。

 風になびかせてた茶色の髪は綺麗に結い上げられてるし、化粧のおかげで顔立ちの華やかさはより際立ってる。いかにも高そうなドレスだって自然に着こなしていて、言われなきゃサラだって気がつかなかったかもしれない。


 僕はちょっとドギマギするけど、それを悟られちゃいけないと自分に言い聞かせる。なにせここにいるのはケヴィンじゃない。エレノアなんだ。


「ごきげんよう、サラさん。昨年、王都劇場のロビーでお会いして以来ね?」


 優雅に、優雅に、と気をつけながら話しかけると、サラは、


「昨年……?」


 と呟く。

 その声色も、茶色の目も、すごく訝しそうだ。


 まさかその後にも姉上とサラは会ってる?

 姉上からの事前情報が間違ってたんだろうか?

 まずい、どうしよう。


 だけどここで取り乱すわけにはいかないし……ええい、とにかく押し切れ!


「あら、他にもどこかでお会いしまして?」


 僕は姉上がよくやるように小首を傾げながら尋ねる。自然な笑顔を浮かべられてるといいな。何しろ内心では冷や汗がだらだらなんだから。

 サラはそんな僕の顔をまじまじと見ながら眉尻を下げる。


「え……どこかというか……ええと、そもそも最後に会ったのは昨年じゃなくて、ろくね……」


 言いかけたサラは口を閉じ、視線を上向かせた。

 しばらく考える様子を見せたあと、妙に晴れやかな顔になってうなずく。


「失礼しました、エレノア様。おっしゃる通り昨年の春にお会いしたのが最後でした」

「……やはり、そうですわよね」


 安堵する僕の顔には心からの笑みが浮かぶ。サラの表情もとっても優しくなった。……あ、昔の面影がある。嬉しいな。

 だけど僕たちとは対照的にハドリーは渋い顔になる。


「記憶違いをするとは困った娘だ。これからは気をつけるんだぞ、サラ」

「はい、お父さん」

「お父さんじゃない。お父様と呼べ」


 口の端を上げたハドリーは小鼻を膨らませる。ほそーい目は更に細くなって、こっちからだともう瞳が確認できないくらいだ。


「私はもう平民ではない! 準男爵の地位を得て、貴族になったんだ!」


 そう。

 手広く商いをしていたハドリー・モートは先日、その有り余る財産で爵位を買った。

 まったく、お金欲しさに余計なもんの販売を始めたこの国を僕は恨むよ。おかげで僕は今、こんな格好をしてるわけだから。


 ……いや、違うか。

 僕がこんな格好をしてるのは国やハドリーのせいだけじゃないな。僕の父上や、姉上のせいでもある。


 ため息でも吐きたい気分だけど、ハドリーやサラの手前そういうわけにもいかない。

 せめて頬が引き攣らないようにと気をつけながら、僕は目の前の父娘の会話を黙って聞く。


「私の娘であるお前だって貴族令嬢になったんだぞ、サラ。十七になったらお前は王宮で社交界にデビューする。それまでのあいだエレノア嬢に貴族のことを教わって、立派な貴族令嬢になるんだ。いいな?」

「何度も聞いたもの、分かってるわ。……お父様」


 弾んだ声のハドリーとは対照的に、サラの声は僕の心と同じくらいどんよりして聞こえた。

 意外に思ってサラの方を向くと、うんざりとした表情の彼女と目が合う。


「エレノア様。半年ほどの間ですが、どうかよろしくお願いします」


 力なく笑うサラからは、貴族令嬢になれた喜びがまったく感じられない。


 ……ああ、そうか。

 君も親に振り回されてるのか。


 僕と、同じようにさ。

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