第17回 死人(しびと)と妖(あやかし)の行く道は、未だ灰色の帳に包まれて

2022年 12月公開


第1会場3位  総合4位

(1位/12票  2位/10票  3位/4票)(いいね/10)


連載用に設定を変更し、改題

『死人は行く道を未来へと誘う ~ただ一人生き残った青年の役目は、裏切り者の作った異界を消すこと。だけど~』


掲載サイト:カクヨム、アルファポリス、小説家になろう (不定期更新)



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『あらすじ』



西暦2XXX年、人を食らう異形『邪鬼じゃき』が爆発的に増加し、人々は恐怖と混乱に陥った。


事態の改善を図る政府は、古くから邪鬼退治してきた家の者を中心に“邪鬼対策庁”を設立。対策員が邪鬼狩りを行ったおかげで人々の生活には平穏が戻ってきた。


しかし8年後、事態は急転する。


邪鬼対策庁の立ち上げにも携わった男が人間を裏切った。対策員たちを殺害し、邪鬼側についたのだ。

邪鬼への対抗手段を失い、人間たちはまた一方的に蹂躙され始める。


そんな中、何とか命を繋いだ邪鬼対策員・梓野瀬しのせ つかさは助けを求め、密かに伝わる奇妙な領域を訪れる。

そこにいたのが、強い力を持つ『妖』の血を引いた娘、ユクミ。


「俺は、邪鬼へ降ったあいつに復讐したい」


訴えを聞いたユクミは、亡き恩人との約束を守るためにも司へ力を貸すと誓う。

これが、邪鬼への反撃の始まりとなった。



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 鬱蒼とした木立の奥から始まる小道は草原を貫いて、石造りの社まで真っ直ぐに伸びる。降りやまない霧雨が、それらすべてを同じ色に染める。


 何百年経とうと変わらない景色を、ユクミは社の中に座ってじっと見ていた。


 共に時を過ごしたこの場所はユクミにとって己の一部のようなものだ。自分の手や足に対して「飽きた」との感想を抱かないのと同じで、どれほど見ていても飽きたという思いはない。

 しかしいつもならただ漫然と眺めるだけなのに、しっかりと目に焼き付けておきたくなったのはどうしてだろうと考えた。


 ――本当は、予感があったのかもしれない。


 ふと、道の奥に動くものが見えた気がしてユクミは弾かれたように立ち上がる。着物の裾が捲れるのも気にせず格子戸へ走り寄ると、灰色ばかりの世界には新たな色彩があった。


「来た……!」


 組子を握って揺らすが格子戸は開かない。やはりまだ解放はされていない。その昔に聞いた手順が行われていないせいだ。

 仕方なくユクミは手を下ろし、やって来たものを食い入るように見つめた。


 現れたのは体つきからすると人間の男だ。髪も、着ているものも、履いているものも黒のため、まるで黒の化身のように見える。時々前後左右に揺れているのは足元が定まっていないせいだろう。そのぶんだけ進みも遅い。


 数百の年を過ごしてきたユクミだというのに、この間を待つだけで万の秋が過ぎてしまったかのような気持ちになる。

 じりじりとしながら目と耳の感覚すべてを男に向けていると、ぬかるんだ道を踏む「ばちゃり」という小さな音が聞こえ始めた。ばちゃり、が大きくなるにつれ、ユクミの鼓動がどくどくと大きな音を立て始める。

 ばちゃり、と、どくどく、が共に響き合う頃、ようやく黒い姿が社の前に立った。下を向いているせいで、男がどんな表情でいるのかは分からなかった。


「そこにいるのか。『約束の者』?」


 低く小さい音にも感情は窺えないが、間違いなく人の声だ。ユクミは自分の耳が、やっと本来の役目を得たような気がした。


「違う。『約束の者』は私ではない。ここへ来た者のことだ」

「……では、あなたは助け手になってくれないのか」

「助け手? 一体何の話だ。お前はここが何だか知って来たのか?」

「知らない」


 囁くように言って男は頭を上げた。まだ若い。20歳は超えていないだろう。不自然なほど白い顔の中にある瞳の黒が印象的だが、その視線は虚ろだった。


「俺はただ、ここへ行けと言われただけだ。そうすれば『約束の者』が助け手になってくれるから、と」

「誰が言った?」

「邪鬼対策庁の長官だ」

「邪鬼対策、か」


 ユクミは思わず顔を歪めた。


「お前は私の正体を知っているのか」

「知ってる。妖だろう?」

「……邪鬼の対策を謳う者が、妖の元へ助けを請いに来て良いのか」

「邪鬼と妖は違うだろ。お前は妖なのに知らないのか?」

「まさか」


 もちろんユクミだって邪鬼と妖が違うことは知っている。――よく、知っている。


「そうだな、私は妖だ。ただし、完全な妖とはいえない」

「なんだ、俺と同じだな。俺ももう、完全な人間とはいえない」


 ゆらりと動いて男は背を見せる。首には赤黒い蛇のようなものが噛みつき、小刻みに動いていた。


「邪鬼か」

「そうだ。俺がこいつにやられた時、長官が邪鬼を隷属化させる呪符を貼ってくれた。こいつの生気を奪って俺は動いてる。……もっとも、残りの生気はわずかだけどな」


 確かに邪鬼は下から崩れてきている。自身と男の双方に生気を使うせいで体が保てないのだ。じきに消滅し、この男も動かなくなるだろう。


「その時に長官から話を聞いたんだ。――古い時代にひとりの男が、強い力を持つ妖を救った。妖は命を救われたことに感謝して、訪れた者の願いを叶える『約束の者』となって社へ籠った」


 なるほど、とユクミは小さく笑う。


「時を経て話が歪んだようだな。私はただの待つ者だ。……だが、そうだな。助け手となり得る可能性はあるか」

「では、助けてくれ」


 男の声に初めて感情が見えた。

 哀願。続いて、怒りだ。


「俺は、梓野瀬 司という。復讐をしたい相手がいるんだ」


 男が――司が社へ再度向き直ると同時に、「べちゃ」という鈍い音が響いた。


「かはっ」


 喉を絞ったような声を出して司が倒れ込んだ。落ちた邪鬼の体が溶けるようにして消える。司の首にはもう、頭部分しか残っていない。


「……あいつの名前は納賀良 総一。邪鬼対策庁の次長を務めながら、邪鬼へ降って、仲間を全員殺した男……」


 震える声で言って司は弱々しく土を掻いた。本当ならば拳を握り締めたいのだろうが、もうそんな力が残っていないのだ。


「……長官が呪符を貼ってくれたのもこの時だ。最後の呪符だったのに。自分は足が斬り落とされて動けないからいいんだって」

「私は解放されねば何もできない。お前が『約束の者』なら、扉を開けるための言葉を知っているのではないか?」

「……足、痛かったよな。助けられなくてごめん、婆ちゃん……でも、呪符のおかげでここに来られたよ……」

「司? 聞いているか?」

「……大丈夫だ。……ああ、皆も。ちゃんと助け手がいたよ……」


 既に意識が混濁しているのだろう、ぼそぼそと話し続ける司には声が届いていないようだ。分かってユクミは口を閉じ、顔を伏せる。


 ユクミが助け手だと信じて逝く方が司の心も安らかなはずだ。

 ようやくここへ来たのが『約束の者』でなかったのは残念だが、ユクミにはまだ時間がある。今までと同じように待てば、近いうちに本物の『約束の者』がここへ来るかもしれない。


 それで良いのだろう、と記憶の中の男に呼びかける。もちろん、とうにこの世から去った彼は何も答えない。聞こえるのは小さくなる司の声だけだ。 


「……これで終わりだ。覚悟しろ、総さん……」


 声は激しい憎悪に彩られていたが、名を呼び慣れた様子からは相手との距離の近さが窺えた。どうやら司の復讐の相手は親しい人物のようだ。

 司はきっと、仲の良かった者に、信頼していた相手に、裏切られた。


 理解できた途端、ユクミの記憶が過去に戻る。


 ――あれは山々が赤く色づく季節。


 山の麓にある小屋へユクミが戻ると、小さな部屋は外の景色を写し取ったかのように赤く染まっていた。

 色の元は横たわる獣。複数の尾を持つ大きな狐。


「母さん!」


 逃げれば良いものを、ユクミは思わず叫んでしまった。

 母の傍に立つ父がユクミの方へ顔を向ける。


「帰ったか。ちょうどいい、手間が省けた」


 血にまみれた父が、赤く染まった刃を振り上げる。


「化け物の娘など、俺の娘ではないからな!」


 げらげらと笑う父の顔があまりに恐ろしくて、以降のことは覚えていない。

 ひとつ分かっているのは、あのとき助けてくれた男がいなければユクミも母と同じ道をたどったということだ。


 助けた理由を聞くと、膝をついて目線を合わせ、男は言った。


「純粋な妖の血を引くあなたに頼みがある」

「……いいよ」

「まだ何も説明していないのだが」

「どうせ死ぬところだったんだ。あとの生はどうでもいい」


 ユクミの言葉を聞いた彼はわずかに痛ましそうな表情を浮かべて「そうか」と言った。


「では、言葉に甘えよう。……いずれここへ『約束の者』が来る。その者の助けとなってほしいのだ」

「妖の血を引く者が必要ならあなただっていいじゃない。あんなに強いんだし、こんな領域まで作れるんだし」


 ユクミが言うと男は目を見張る。


「さすがだな、気付くのか。だが、私は駄目だ。人の血が濃すぎて妖の寿命を持たない」

「そんなに後の話なの? どのくらい待つの?」

「分からない。しかし必ず来る。だから私の代わりにどうか……頼む」


 ユクミが頷くと、男は時を待つための社を立ててくれた。『約束の者』の言葉だけがここを開けられると言ってくれたのは、父に襲われたユクミを慮ってのことだろう。きっとユクミは、酷く怯えた顔をしていたのだ。


 今は怯えてなどいない。

 しかし今も昔も、見ているだけなのは変わらない。


 ――まだ、助ける側にはならないの?


 あの頃の自分が胸の中で言う。


 ――見た目は同じでも、今の私には力があるよ。


 妖の力は時と共に増す。この数百年でユクミの力は大きくなった。

 落としていた視線を上げると、倒れた司が母と被って見えた。


 ――今なら絶対、助けられるのに。


 その思いが口を開かせた。


「逝くな!」


 組子にとりついたユクミの叫びが谺する。司の唇はもう動いていない。


「逝くな! 言え!」


 邪鬼の頭が崩れ落ちた。残りはわずかな欠片だけ。


「司、司! 私をここから放つための言葉を言え!」


 言いながらも不安がよぎる。

 ユクミは扉を開けるための言葉を知らない。はたして解放の言葉は正しく伝わったのだろうか。時が経つうちに失われていないだろうか。


「このままだとお前の復讐は果たされないぞ、司!」


 司は動かない。邪鬼は消え去ろうとしている。司の体の下から、じわりと赤いものがにじみ始めた。


「何でもいい! とにかく何か、何かを言え――!」


 祈るような気持ちで叫んだそのとき、司の口がわずかに動いた。


「――――」


 社の扉が開いた。


 あとは無我夢中だった。足に力を入れ、5歩の距離をユクミは跳ぶ。右手を伸ばして司の体に触れると、指先から光が溢れ、灰色の世界を煌々と照らした。

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