第15回 いにしえの数え歌 ~昔の日々を夢見る人間(ひと)に、忘れるべきだと竜は言い~

2022年 4月公開


第3会場6位  総合12位

(1位/9票  2位/7票  3位/2票)


未連載



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『あらすじ』


鱗に覆われた大きな体と巨大な翼、人知を超える不思議な力をもった存在、ドラゴン。

人の生まれる前から存在していたこの生物は、ある日忽然と姿を消した。

その謎の一端は『ドラゴンを従えていた人々』であるシーア人たちが知っているという噂もあったが、他の人種と交流することのない彼らから話を聞けた者はいなかった。


――ドラゴンが姿を消して数百年の時が流れたある日。


不可解な現象が続くことを奇妙に思った国王は、謎を解き明かすための『調査団』を編成した。

両親を知らない16歳の少年・ヴィーラントもその一員だ。

養い親のためにドラゴンを探す彼は、この現象の裏に求める相手がいることを期待して調査団に加わったのだった。


調査団の面々と行動するうち、ヴィーラントは自分の出生を知る人物と会う。

実は不可解な現象と、ヴィーラントの生い立ちこそが、ドラゴンの秘密へと迫るカギとなっていたのだ。



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 ヴィーラントは子供の頃、夜が怖かった。光が消え、徐々にすべての物が見えなくなっていくさまは、闇が手当たり次第すべてを飲み込んでいるように思えたのだ。


 自分も飲み込まれてしまう、と思って急いでランタンを点すも、揺れる小さな明かりは深い闇に対してあまりにも頼りない。次の瞬間にはこの光も闇の中に飲み込まれてしまいそうで、ヴィーラントは怖くて震える。


 今消えるか、もう消えるか、と思いながら明かりを見るうち、すべての輪郭が滲み始める。続いてしゃくりあげる声が口から漏れそうになる辺りで、見ていたかのように扉が開かれるのが常だった。 


「また泣いておるのか。ヴィーは泣き虫じゃのう」


 現れた小さな彼女が持つ明かりもまた小さい。しかし、床に着くほど長い銀色の髪が光を受けて柔らかく輝くためだろうか、彼女の明かりを小さく感じたことは一度もなかった。


「ほれ、わらわが共に居てやろう。もう泣くでない」


 笑いながら彼女はヴィーラントを抱きしめてくれる。その温もりに包まれると、ヴィーラントは何も怖くなくなるのだった。


 今思うと、あの程度の闇は闇ではなかった。

 もしも当時の自分がこの暗闇にいるのだとすれば、きっと恐ろしさでおかしくなってしまうことだろう。


 ここは、暗い暗い闇の底。

 小さな明かりなど、間違いなく食い尽くされるほどの。


 うつむくヴィーラントの脳裏に「行ってはならぬ、ヴィー!」という声が響き、口からは吐息が漏れる。


 ――あのとき言うことを聞いていれば、こんなことにならなかった。


 今日ももうじき、あれが来る。


 この部屋へ訪れる唯一の存在であるあれは、入ってくるなりいつも、うずくまるヴィーラントを見て「今日も良い姿」とひとしきり笑う。

 続いて「楽しい話を持って来てあげた」と言い、どこで、どんな楽しいことを、つまり、非道なことをしてきたのかを、嬉々として語るのだ。


 自分の存在は今やあれの残酷な戦果を聞かせられる"物"としての価値だけしかなく、あれがこの余興に飽きる日が自分の命の終わる日だとヴィーラントは知っている。


 ――だからこそ、今日をその日にしてもらいたい。


 そう強く願っていると、軋む音を立てて扉が開く。膝を抱えて深く頭を落とすヴィーラントの耳に、いつもと違う軽やかな声が届いた。


「なんとも陰気な部屋じゃ」


 反射的に顔を上げると、目に映ったのは正面の大きな扉を軽々と開く少女の姿。彼女の手にした小さな光が、その長い銀の髪を輝かせる。


 呆然としながら、そんなはずはない、とヴィーラントは思った。


 彼女がここに来るはずはない。

 彼女は住処としている森からは出ない。


 ――だからこれはきっと幻だ。現実から目を背けたい自分が見せる夢だ。


 そう思っても目が離せない。

 瞬きすらせずに見つめていると、やがて銀の瞳がヴィーラントを捉えた。


「なんじゃ、大きゅうなってもヴィーは変わらぬのう。ほれ、もう泣かずとも良い。わらわが来てやったからの」


 笑いを含んだ彼女の言葉を聞き、ヴィーラントは涸れたと思っていた涙が自分の目から流れていることを知る。


「メル……」


 名を呼び、落ちかかる長い闇色の髪を払いながら、ヴィーラントは銀の輝きに手を伸ばした。



 *****



「兄ちゃん、珍しい色の髪してるな」


 賑やかな昼の大通りで声をかけられ、ヴィーラントは立ち止まる。

 見ると、脇の露店で店主が興味深そうな視線を向けてきていた。 


「青の瞳に褐色の肌は珍しくねえけど、そこへ黒髪となるとこの辺じゃほとんど見ないぜ。実はシーア人なのかい?」

「ほう、よくぞ見抜いた。その通り、我はシーアの末裔である」

「やっぱりシーア人か! じゃあ、ドラゴンを連れてるんだな」

「無論」


 ヴィーラントの言葉に、店主はニヤニヤとした笑みを返す。

 その表情から窺えるのはこの"お芝居"を楽しんでいる気持ちだが、ほんの一片だけ「もしかしたら」という気持ちがあることをヴィーラントは感じ取っていた。


 ドラゴン。悠久の時を生きる、高位の存在。


 高い知能を持ち、不思議な力で様々な事象を引き起こし、巨躯に見合う大きな翼で自在に空を飛んでいたという彼らは、数百年前にこのグローアース大陸から忽然と姿を消してしまった。

 人々は驚き、ドラゴンを探したが、現在に至るまで見つけることはできていない。


 ドラゴンがいなくなった理由については不明だ。ただ、


『ある日、晴れた空がにわかにかき曇り、激しい雨が降った。強い風が吹き、地は揺れ、山は火を噴いた。これらは10日の間続いた』


 "大災厄"と呼ばれる、この天変地異が関わっているとの話だけが残っていた。


 他の手がかりは「ドラゴンを従えた人々」と呼ばれるシーア人だ。

 その名の通り、ドラゴンと密接に関わっていたシーア人たちは、ドラゴンが消えた理由を知っていると言われている。

 昔は大きな都市に住んでいた彼らが『流浪の民』となっているのも、消えたドラゴンを探すためであり、実は「放浪するうちにドラゴンを見つけているのだ」とも。


 しかし他の人種と交流することのないシーア人から話を聞けた者は皆無のため、真偽のほどは不明だった。


 だからこそ、ドラゴンの噂は思い出したように流布する。

 最近も一部地域で、農作物が一夜にして枯れたり、季節外れの花が狂い咲いたりといった不可解な現象が起きているのだが、「あれはドラゴンの仕業だ」との話がまことしやかに囁かれていた。


 今はその現象を調べるための調査団が集められているところだが、きちんとした理由が見つかっても、人々は謎の現象の裏に幻の生物の姿を探す。

 この露店の店主がヴィーラントにシーア人の話を振って来たのも、ドラゴンへの憧れが多分に入っているためだ。

 分かっているヴィーラントは、ニヤリと笑って叫ぶ。


「とくと見よ! シーア人である証拠を! これが我が相棒のドラゴンだ!」


 折よく強い風が吹く。肩までの髪を好きになぶらせて殊更に色を印象付けながら、ヴィーラントは懐から取り出したものを店主に突きつけた。そこに載っているものを恐る恐る見つめた店主は、次の瞬間プッと吹き出し、やがて肩を揺らして笑い始めた。


「こ、こいつは、ずいぶんと可愛い相棒だな!」

「だろ?」


 ヴィーラントは右手に載っているものを撫でながら答える。そこにあるのは翼を畳んで座っている木彫りのドラゴン。しかも左右が非対称で、あまりにも不格好な代物だ。


「俺が6つのときに作ったんだ。10年も一緒にいるんだぜ」

「なるほどな! いい相棒だ!」


 笑いすぎて涙目になった店主に向け、ヴィーラントは肩をすくめた。


「俺も子供の頃は自分がシーア人じゃないかと思ってたよ。でも実際のところは、遠方から来た黒髪の父親と、褐色の肌で青い瞳の母親の間に生まれたってだけさ」

「現実なんてそんなもんだな。で? その両親はどうした。一緒にいないのか?」

「二人とも今は村で畑を耕してる頃だよ。俺は国王陛下の集める『調査団』に加わりたくて、王都まで来たんだ」

「今回起きた現象の調査に行きたいってわけか」


 うなずいて、ヴィーラントは大通りの奥にある白い建物――王宮へ視線を移す。


「なんたってドラゴンに会えるかもしれないんだ。絶対、試験に受かってみせる」

「そうか、両親にいい報告ができるといいな」


 言いながら店主は、自分の露店から果実を取り出す。


「こいつは前祝いだ。持ってけ」

「ありがとう! 次は調査団の制服を着て来るよ!」


 待ってるぜ、という店主の言葉に片手を上げ、ヴィーラントは受け取った果物をかじりながら改めて大通りを進み始める。


(……両親、か)


 外見のことを言われた時、ヴィーラントはいつも同じ話をする。しかし本当は、父の髪の色も、母の肌と瞳の色も見たことがない。知っているのは、森の奥に住まう養い親から聞いた話だけだ。


「あれは良く晴れた日じゃったのう。布に包まれた乳飲み子のそなたは、この森の入り口で一人、すやすやと眠っておったのじゃよ。どこから来たのかも、なぜそんなところにおったのかも、わらわには分からん。ただ一つ分かるのは、そなたがシーア人であるということだけじゃ、ヴィー」


(……メル)


 銀の髪と瞳を持った、優しいメル。

 彼女がいるのなら、ヴィーラントは他に何も望むものはないと思っていた。――その正体を聞くまでは。


「ねえ、メルはどうしてずっと同じ姿なの? 僕はもうじき、メルの背を追い抜くのに」

「これは真の姿ではないから、成長はせぬのよ」

「そうなの? じゃあ、本当のメルはどんな姿?」

「銀の鱗と、銀の翼を持っておる」

「えー。それじゃまるで、ドラゴンだよ!」

「ドラゴンじゃよ」


 目を見開くヴィーラントを見ながらメルは微笑む。


「ずっと昔に呪いを受けて人の姿になったのじゃ。力も封じられておるから元の姿には戻れぬ」

「……元の姿に、戻りたい?」

「いいや」


 首を横に振り、メルはヴィーラントの頭を撫でる。


「わらわはもう、元に戻らずとも良い。このままで良いのじゃ」


 メルの顔を見た瞬間、ヴィーラントの心には強い望みが生まれた。

 彼女の表情が、今まで見たことがないほど寂しそうで、今にも消えてしまいそうなほど儚かったから。


 15歳になった昨年、制止するメルを振り切って森を出たのは望みを叶えるためだ。


 何としてもドラゴンを見つける。

 そしてその不思議な力で、メルにかけられた呪いを解いてもらうのだ。

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