第25話 謎の人物を探る


 月人つきひとの御殿へ朝餉の膳を運びながら、夏乃なつのの心は上の空だった。


(いったい、誰が、間者なんだろう?)


 月人暗殺未遂事件が起こった日。

 汐里しおりは時々姿が見えなくなる時があったけれど、他の侍女仲間は夏乃の目につく場所にいた。


睡蓮すいれんはもちろん、鈴音すずね波美なみにも干しナツメを配る時間はなかったはずだよね)


 とめどなく考えながら、すっかり顔パスになってしまった二人の兵士の間を通って月人の御殿に入る。


(一応、鈴音と波美に確認を取ってから、一緒に聞き込みを手伝ってもらえばいいよね?)


 まずは、これからどう動くか、睡蓮すいれんと話し合う必要がある。


(その前に、一番情報を持ってそうな人に話を聞いてみなくちゃね!)


「朝餉をお持ちしました!」


 声をかけて一礼し、月人の部屋に入る。

 いつものように長椅子に腰かけた月人の銀糸の髪が、窓からの日差しにキラキラと煌めいていた。


「夏乃。雪夜ゆきやの件で話がある。そこに座ってくれ」

「はい」


 ハクから聞いていたのだろう。月人の方から話を振ってくれた。


「脱走した雪夜は兵に探させているが、まだ見つかっていない。山に入っていたら見つけ出すのは難しいだろう。この島はかなり広いからな」

「雪夜の脱走には、誰かが手を貸したらしいって聞きましたけど?」

「確証はないが、そうだろう」


 月人はうつむいてため息をつくと、夏乃の方へ視線を向けた。


「珀から聞いたが、そなた、棒術の訓練を始めたらしいな。それは、雪夜のことを聞いたからか? ここにいるのが怖いか?」


 月人の目が、痛ましげに細められる。

 常に命を狙われる月人。その側近くに仕える侍女という殺伐とした環境を嫌い、一度は貝割り作業に逃げ帰った夏乃だ。


 心優しい月人は、きっとそんな夏乃のことを案じてくれているのだろう。もしくは、無理矢理連れ戻したこを後悔しているのかも知れない。

 夏乃は月人を安心させたくて胸を張った。


「まぁ、正直に言えば怖いです。なので、護身のために鍛えてます。

あの、月人さま。雪夜の脱走に手を貸した人は、汐里を殺した人ですよね?

誰なのか、手がかりはないんですか? 」


「ああ。残念ながら、まだ犯人を特定できるほどの手がかりは出ていない」


「あたし、考えてみたんです。雪夜が生きているのに、汐里が殺されなきゃいけなかった理由は何だろうって。汐里を殺した奴からすれば、一番怖いのは自分が間者だと知られてしまう事ですよね?」


「ああ」


「もしかしたら汐里は、間者の顔を見てしまったか、汐里以外の誰かが干しナツメを配っていたのを知っていたんじゃないでしょうか?」


「どういうことだ?」


 月人は眉間に深くしわを刻む。


「睡蓮から聞いたんです。門番のおじいさんは、汐里とは別の侍女から干しナツメを貰ったそうです。もしかしたら、汐里がお酒を飲まない人全員に干しナツメを配ったって話、本当は違うんじゃないでしょうか。

 汐里一人では配り切れなかった人たちに、誰かが汐里からだと言って配っていたとしたら、きっとその人が間者ですよね?」


「それなら汐里の口を封じなくても、干しナツメを貰ったものに聞けばわかるだろう」


「全員に聞いてみましたか? 今朝、珀に聞いたけど答えてくれませんでした」


「たぶん、全員には聞いていないだろう……確かに、迂闊だったかも知れないな」


 月人は額に手をあてて考え込んでいる。


「じゃあ、今からでも聞いてください。あたしも身近な人にはそれとなく聞いてみますから」


 夏乃はそう言って立ち上がった。


「もう行くのか?」

「はい。これから回廊の掃除があるんで」

「そうか……」


 疲れたようにため息をついてじっと夏乃を見つめる月人を、夏乃は立ったまま見下ろした。


(顔色が悪いな)


 色白なので分かりづらいが、きっと疲れているのだろう。

 そう思った瞬間、グラリと月人の身体が揺れた。

 崩れるように長椅子の上に倒れた月人は────衣だけ残して消えてしまった。


「ええっ?」


 驚きのあまり動けずにいると、崩れ落ちた月人の衣装が蠢いて中から黒犬が顔を出した。しょんぼりと耳を垂れたその顔を見た瞬間、夏乃はあたふたとテーブルをよけて長椅子の前の膝をついた。


「月人さま……ごめんなさい! 血をあげるの忘れてました! ああもう、言って下さればいいのに!」


 雪夜のことばかり考えて、月人に血を提供することをすっかり忘れていた。

 それどころか、月人が呪詛に苦しんでいることも頭からすっぽりと抜け落ちていた。


(あたしったら、何やってんだろ!)


 夏乃は細長い黒犬の顔をそっと両手で包んだ。すっかり傷の癒えた両手の指先が目に映る。

 思えば、先日の露天風呂でのハプニング以来、夏乃は月人に血を提供していなかった。

 いつも珀や冬馬に切ってもらっていたが、今は誰もいない。ならば自分でやるしかないと慌てて辺りを見回すが、月人の膳にもナイフのようなものはない。


「夏乃、今は良い。そなたはこれから仕事であろう? 私は今日一日この姿で良い。今夜、全ての仕事が終わったらここへ来てくれ」


 遠慮するような言葉を口にした黒犬を、夏乃はまじまじと見つめた。

 しょぼくれた顔の黒犬。その愁いを帯びた紫の瞳に、胸が痛くなる。


「わかりました。すぐに珀か冬馬さまを呼んで来ますから、ここでじっとしていてくださいね!」


 人の形のまま脱ぎ捨てられた衣装を手早くたたむと、夏乃は急ぎ足で部屋から出て行った。

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