第22話 雪夜の脱走



 朝起きてすぐに、夏乃なつのは荷物をまとめた。

 今日からまた、侍女としてお屋敷へ上がらねばならない。


(昨日の夜……月人つきひとさまにキスされた……よね?)


 正直なところあまり覚えていない。

 頭が真っ白になって、そのまま意識が遠のいて、気づいた時にはハクがいた。月人はちゃんと服を着ていて、夏乃は濡れた衣の上から乾いた布でグルグル巻きにされていた。


 月人が人間に戻っていたのだから、夏乃の血を舐めたことは間違いない。


(でも……さすがにそんなこと聞けない)


 昨夜のことが夢でないなら、夏乃にとってはファーストキスだ。出来ることなら確かめたいと思うが、考えるだけで顔が熱くなってしまう。

 手でパタパタと顔を仰いでいると、紅羽くれはが近寄って来た。


「またお屋敷の仕事だって?」

「うん。今度は都に行く付き添いなんだ。だから、もしかしたら、都でこの仕事辞めるかも」

「そうなんだ。じゃあ、これでお別れかも知れないんだね?」

「うん。でもまだわからないから、みんなには言わないでね」


 夏乃がそう言うと、紅羽は少し寂しそうにうなずいてくれた。


 一晩で、腹は決まった。

 月人の呪いを解くために力を貸す。

 それに、せっかく王都へ行けるのだから、元の世界に帰る手がかりも探す。

 もしもその両方が叶ったら、ここへは戻らない。


「準備はいいか?」

 宿舎まで迎えに来た珀が、ひょっこりと顔を出す。


「うん。いいよ」

 少ない荷物を抱えて夏乃が立ち上がると、珀は満足げな笑顔を浮かべた。



「着替えたら、すぐに月人さまの部屋へ来てくれ」

 お屋敷の門をくぐった所で、珀がそう言った。

「あたし、朝ごはんまだなんだけど?」

「食ってからでいい。じゃあ、後でな」


 珀が手を上げて去ってゆく。

 お言葉に甘えて、夏乃は久しぶりに食堂へ行ってみることにした。



 夏乃が使用人食堂へ顔を出すと、睡蓮すいれんが駆け寄って来た。

 侍女仲間の鈴音すずね波美なみが、席から立ち上がって手を振っている。


「夏乃! 戻って来てくれてよかったわ。一緒に食べましょう!」


 睡蓮に手を引かれて、久しぶりに侍女四人でテーブルを囲む。


「夏乃が貝割り作業に戻ってから、私たちずっと淋しかったのよ」

「そうそう。三人でしんみりしちゃってね」


 朝餉を食べながら、侍女たちが笑う。


「大げさだなぁ」

「だって、私たちずっとお屋敷に居たのよ。どうしたって考えてしまうのよ……」


 睡蓮は眉尻を下げて、泣きそうな顔で笑う。汐里しおりを失ったことをまだ乗り越えられないのだ。

 月人暗殺未遂事件のあと、逃げるように貝割り作業に戻った夏乃と違って、睡蓮たちは、一時たりとも汐里のことを忘れることが出来なかったのだろう。


「そっか、そうだよね」


 粥を食べながら、夏乃は改めて三人の侍女たちを見回した。

 こんな風に四人で話をしていると、よけいに汐里のことを思い出してしまう。


「ねっ、あのこと言わないと」

「でも……」


 三人の侍女たちが、困ったような顔をして目配せし合っている。誰もが言いたくないことを押しつけ合っているようだった。

 ややあって、睡蓮が仕方なさそうに口を開いた。


「あのね、怖がらないでね。夏乃が貝割り作業に戻ってる間に、雪夜ゆきやが地下牢から脱走したの」

「……えっ?」


 夏乃は思わず、握っていた木のさじを取り落とした。

 雪夜が生きていることは知っていたけれど、珀に斬れらた傷が癒えるほど時間はたっていないはずだ。


「すぐに追手を差し向けたらしいけど、まだ見つかってないみたいなの」

「そうなんだ……えっと、雪夜って、もう動けるほど回復してたの?」

「でしょうね。でも、ひとりじゃ地下牢の扉を開けられるはずないから、誰かが手を貸したんじゃないかって、あたしたちも話を聞かれたのよ」


 睡蓮の言葉に、夏乃は目を見張った。


「その手を貸した人って、汐里を殺した人じゃない?」


 夏乃が視線を向けると、睡蓮が力強くうなずいた。

 汐里は間者だから自害したと思われているが、夏乃たちはそう思ってはいない。誰かが地下牢にいる汐里を殺したのだ。たぶん、何らかの口封じのために。


「怖いね」

と、鈴音がつぶやく。

 いつも大人しい波美は、泣きそうな顔でうつむいてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る