第四章 おいしい話には裏がある
第20話 おいしい話
「
貝割り作業中、いきなり小太りおばさんがやって来てそう言った。
「客?」
「ああ、宿舎で待ってるから早くお行き」
夏乃を訪ねてくる客なんて、いるはずがない。
たぶん
「よお、元気そうだな」
「まあね。何か用?」
「何だよその嫌そうな顔は? 俺はおまえがいなくて淋しかったんだぞ!」
珀はそう言うと、夏乃の頬をつまんで引っ張った。
「痛いなぁ、やめてよ。侍女ならやらないよ」
言われる前にしっかりと断っておく。
「そんなこと言っていいのか? これ以上いい話はないぞ」
よほど自信があるのか、珀はニヤニヤしている。
「
「うそっ、侍女の倍じゃん!」
「悪くないだろ? 都に行ったら、一度くらいは都見物もできるだろう。上手くすれば、おまえの国に帰る方法が見つかるかも知れないぞ」
「マジか……」
あまりの好条件に夏乃は一瞬目が眩んだが、よくよく考えれば当然の事だ。
夏乃が血を提供しなくなって数日が過ぎている。今の月人は、呪われた黒犬の姿に戻っているはずだ。
黒犬姿では王宮の行事になど出席できない。だから夏乃を呼び戻しに来たのだ。
(でも……王様は月人さまを王宮から追い出したんだよね? わざわざ王宮の行事に呼び寄せたりする?)
「どうだ? おまえ一人で都へ行くよりも、ずっと安心だろ?」
珀が得意げな顔で夏乃の顔を覗き込んでくる。
確かに条件だけ考えれば良い話だ。自分で船を探さなくても、この話に乗れば都に行ける。ただ、そんなおいしい話には裏があるものだ。
「珀、ひとつ聞いていい?」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「
夏乃の言葉を聞くなり、珀が顔色を変えた。
「それは……」
「王宮にいる誰かだったりしたら笑えないよね? じゃ、あたし仕事中だから」
夏乃は踵を返して歩き出しても、珀は追って来なかった。
〇 〇
夕方、白珠取りの男衆が三人、籠一杯の紫の貝を届けに来た。
なんと、その中の一人にヒナが恋しているのだという。
紅羽に教えてもらったヒナの想い人は、日に焼けたなかなかの好青年だ。
この寒いのに、袖なしの上着に短めのズボンを履いている事には驚いたが、きっと仕事柄泳ぎやすい服装でいるのだろう。
ヒナを見ると、うっとりした瞳で青年を見つめている。
「あの人たちは、普段は何処にいるの?」
「ほら、温泉のある岩場あるでしょ? あのずっと向こうに別の入り江があって、そこに白珠取りの宿舎があるのよ」
紅羽が丁寧に教えてくれる。
「ふーん。それじゃ、なかなか接点がないよね」
「まあね。でも、今日もヒナが貝殻捨てに行くんじゃない?」
「ああ、なるほど」
ヒナの方を見ると、確かにそわそわしながら貝殻置き場の方へ歩いてゆく。
「ねぇ紅羽、奴隷っていつまで働かなきゃいけないの?」
夏乃は勇気を出して尋ねた。
今までは聞いちゃいけないような気がして聞けなかったのだ。
「あー、
「そうだったんだ」
少しホッとした。
奴隷は死ぬまで働かされるイメージだったけれど、それは戦奴隷だけらしい。二年くらいで自由になれるなら未来は明るい。
夏乃がもう一度ヒナの姿を探すと、彼女は捨てる貝殻をザクザクと籠に入れていた。
〇〇
その夜は、夏乃が誘っても温泉に行く者は一人もいなかった。
それというのも、宿舎に帰るとすぐ、ヒナが白珠取りの青年からもらったという真珠の腕輪を見せたからだった。
少しいびつな形の真珠は、きっと商品にする前に弾かれた物なのだろうが、少女たちが羨ましがるには十分な品だった。
「ねぇ、本当に行かない? じゃあ、あたし温泉に行ってくるね」
真珠の腕輪に見入っている少女たちに声をかけて、夏乃は温泉へ向かった。
今まではみんなと一緒だったから、一人で歩く暗い浜辺はかなり寂しい。
手拭い代わりの布を抱え、打ち寄せる波の音を聞きながらとぼとぼ歩いていると、岩場の手前に影が見えた。
四つ足の大きな動物の影だ。
夏乃が立ち止まると、影の方からこちらへ近づいて来る。
「……まさか、月人さま?」
「夏乃、すこし話をしたいが、良いだろうか?」
まわりを見回しても、珀や
(やられた……)
珀の言葉なら突っぱねられる。冬馬にも嫌なことは嫌だと言う自信はある。けれど、月人にはどうしてか言える気がしない。
彼が王弟だからなのか。それだけ、夏乃がここの暮らしに慣れてしまったということなのだろうか。
「はぁ~あ」
諦観の境地で夜空を見上げ、夏乃はゆっくりと息を吐いた。
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