第17話 悪夢の光景
(……何これ?)
異国の客と
旅館の宴会場のように床に座っていた客たちは、ごろんと床に転がって寝ている者もいれば、ローテーブルに突っ伏している者もいる。
夏乃がほんの少しの間うたた寝をしているうちに、全員が寝落ちしてしまったのだろうか。
(そんな馬鹿な……)
夏乃は呆然としながら月人たちのテーブルに近づくと、少し迷ってから床に転がっている
「冬馬さま起きてください! こんな所で寝てたら風邪ひきますよ。月人さまが風邪ひいたらどうするんですか?」
日頃のうっぷん晴らしに冬馬の頬をつねったり、鼻をつまんで引っ張ったりしてみるが、それでも起きない。
「どうしよう……」
夏乃は不安になった。ひとりではどうして良いかわからない。
ひとまず厨房に戻って助けを求めようと、夏乃は広間から廊下に出た。
(暗い?)
中庭のあちこちに焚かれていたはずの篝火が、すべて消えていた。しかも、扉脇に立っているはずの兵士までが、槍を抱くようにして眠っている。
「……これって」
回廊の先に目を向けると、他の兵士たちも同様に回廊にうずくまっている。
彼らは酒を飲んでいないはずだ。ただの居眠りとは思えない。
(もしかして、厨房も同じだったらどうしよう?)
厨房の料理人や下働きの者までが眠りこけている姿が、夏乃の脳裏を過ぎった。
「────あれぇ、まだ起きてる人がいたんだ」
聞き覚えのある声に振り返ると、回廊に黒い覆面をした男が立っていた。
「あなた……
「せっかくあげたのに、干しナツメ、食べなかったんだね。可哀そうだけど、きみも月人の道連れになってもらうよ」
雪夜はなんの
「道連れって……まさか、月人さまを殺しに来たの?」
夏乃はじりじりと後ろへ下がった。
近寄ってくる雪夜の剣が、広間から漏れるわずかな灯りに反射してキラリと光る。
「月人以外は殺さない予定だったんだけどね」
雪夜の声はまるで世間話でもしているようだ。
殺気がない事が、何よりも恐ろしい。
じりじりと後退りながら辺りに目を配り、寝落ちしている兵士の槍を見た瞬間、夏乃は素早くその槍を抜き取った。
使い込まれた白木の棒がしっくりと手に馴染む。
祖父から習ったのは棒術だが、夏乃が見よう見まねで槍を構えると、雪夜は初めて動揺を見せた。
「へぇ、槍が使えるの? でも残念だったね。剣には敵わないよ」
そう言うなり、雪夜は足音も立てずに向かって来た。
夏乃は構えの姿勢から一気に槍を突き出したが、槍の先はむなしく空を切り、雪夜の剣が閃いた瞬間、槍の穂先が飛んだ。
刃を無くした槍の柄を、夏乃はすぐさま回転させた。棒術に慣れた者にとっては刃がない方が動きやすい。
槍を上下左右に振り回し、無意識に繰り出した一撃がわずかに雪夜の体を掠めた。そのおかげで、夏乃に向けられていた刃の向きがわずかに逸れる。
雪夜の剣を二度三度防ぐうちに、体からは汗がにじみ、息も上がってくる。
(やばいやばいやばい!)
道場で生まれ育った夏乃だが、真剣相手に戦ったことはない。
焦りが弱気を生み、その弱気が生み出した一瞬の隙をつかれた。
夏乃の結い上げた髪を、ザクッと刃が掠めた。
着られた髪がパラパラと闇に散り、夏乃は驚愕のあまり目を見開いたまま雪夜を見つめた。
(あと一瞬遅かったら、頭をかち割られていたかも知れない……)
冷たい汗が背中を伝う。
────夏乃、相手から目を逸らすんじゃないっ!
頭の奥に祖父の声が聞こえた。
何度も叱られた低い声。
その声にハッと我に返り、夏乃は再び雪夜の動きに集中した。
聞こえるのは呼吸の音だけ。
改めて、腰を低く落とす。
槍の柄を手のひらの上で滑らせて、雪夜の胴をめがけて突き出す。
わずかだが、手ごたえを感じた。
ダメージにはならなくても、雪夜の体勢を崩せればそれで良い。
「くっ……」
軽やかな足取りで雪夜は後ろへ飛び退いた。
ここで時間を与えたら体勢を整えられてしまう。
夏乃は雪夜を追うように槍の柄を突き出し、刃を薙ぎ払い続けた。
「何をしている?」
夏乃と雪夜の間にある開いた扉から、月人が姿を見せた。
雪夜がすぐさま、標的を月人に転じるのがわかった。
「月人さま! 下がってっ!」
月人に向けて振り下ろされた雪夜の刃を、夏乃が槍の柄で受けとめる。
雪夜の剣はがっちりと槍の柄に食い込んでいて、振り払ったくらいでは外れそうにない。
「ちっ」
舌打ちをした雪夜はあっさり剣を捨てると、懐から短剣を取り出した。
月人に狙いを定めた雪夜を、夏乃は剣の刺さった槍で邪魔をするが、食い込んだ剣のせいで思うように動けない。
「月人さま逃げてっ!」
そう叫んだ時、表門の方から誰かが走って来るのが見えた。
大柄の男、
「珀っ! 急いで!」
ものすごい勢いで走って来る珀と、夏乃に挟まれるかっこうになった雪夜は、回廊から庭へ飛び出した。
裏庭に逃げ込むつもりだったのだろうが、珀が追いつく方が早かった。
珀の剣が、雪夜の背中に斬りかかる。
飛び散る血。
崩れ落ちる雪夜の体。
血のついた剣を振り払う珀の姿。
元の世界に居たら目にする事もなかった現実が、怒涛のように夏乃の目に飛び込んで来て、頭が真っ白になる。
ガクガクと震える足は体重を支え切れず、夏乃は回廊に座り込んだ。
いくらテレビや映画で見慣れていても、目の前で人が斬られるのを見るのはまったくの別物で、その光景は────悪夢としか思えなかった。
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