第15話 異国からの客


 井戸水を手桶に流し込みながら、夏乃なつのは「ふわぁ~」と欠伸あくびをした。

 昨夜は睡蓮すいれんの腹痛騒ぎで眠れなかったせいか、今朝は寝坊してしまい、冬馬トーマにこっぴどく怒られてしまった。


 冬馬が苛立っていたのは、月人つきひとがまた黒犬姿に戻ってしまったせいだろう。正確に言えば、黒犬になった月人が血の提供を辞退したからだ。夏乃に遠慮したのかどうかはわからないが、「今日は良い」と言われてしまったのだ。

 おかげで冬馬からは床と柱をいつもの三倍磨けと命じられ、冷たい雑巾がけに精を出しているところだ。


「睡蓮、大丈夫かなぁ?」


 昨夜、お腹の薬と水差しを持って、夏乃はお屋敷の外にある納屋へ走った。

 汐里しおりの言った通り、睡蓮は納屋の稲藁の上に寝かされていたが、苦しそうに体を丸めて汗をたくさんかいていた。



「よっこらしょっと!」


 手桶を持ち上げた時、後ろから名前を呼ばれた。

 振り返ると睡蓮が立っていた。顔色はまだ悪いが、きちんと髪も結っている。


「睡蓮、もういいの?」

「ええ。その……ちゃんとお礼を言ってなかったと思って。ありがとう」

「うん。治って良かったね」


 夏乃がうなずくと、睡蓮はもじもじしながら仕事に戻って行った。



〇     〇



 異国の船が港に着いたという知らせが来たのは、翌日の昼近くだった。

 異国の客人は三十人ほど。それでもまだ船に残っている人たちがいるというのだから、本当に大きな船なのだと感心しつつ、夏乃は船に残ってくれた人たちに感謝した。


 客人用の建物は大から小まで十部屋ほど。少ない使用人たちではお茶を出すのも一苦労だ。何しろ、ほとんどの客は言葉が通じないのだ。

 五人の侍女たちで何とかお茶を配り終え、使用人の食堂に戻って来た夏乃は、大きなため息をつかずにはいられなかった。


(よく考えたら、何であたし、この国の人たちと普通に話が出来るんだろう?)



「お疲れ、そっちのお客様はどうだった?」


 お盆を抱えて睡蓮と汐里しおりが戻って来た。


「うん、話しかけられて困ったよ。言葉が通じないんだもん」


 夏乃はぐったりと食堂の椅子に腰を下ろした。


「汐里のところに通訳の人がいたのよ。ね、汐里」

「ええ。すごく親切な方だったわ。背が高くてなかなか男前でしたわ」


 汐里はすっかりポーッとなっている。


「ふーん」

「夏乃って、本当に殿方に興味がないわね」

「べつに、いいじゃない」


 夏乃を含めた五人の侍女たちは同じくらいの年頃だ。そのせいか、食堂で顔を合わせると自然にそういった話になる。

 調理場の誰それがカッコイイとか、白珠取りの男の人の体が引き締まっていて素敵とか、まぁいろいろである。


(あたしが気やすく話せるのは、ハクくらいだもんな)


「異国人って若い頃はカッコイイけど、年取ると髭もじゃで嫌よね」

「確かにそうね。船乗りって荒くれ者っぽいし」


 いつの間にか異国人の話になっていたが、これには夏乃も同感だった。


「船長さんもすごい髭だったよ」

「嫌よねぇ。毎晩宴だなんて、お酒飲んで暴れたりしなきゃいいけど」

「本当ね」


 侍女たちはみんな心配していたが、宴で暴れるような客はいなかった。

 三十人の客たちはいくつかのテーブルに別れて異国の言葉で語り合い、勝手に盛り上がってくれた。

 ちなみに異国の酒だという赤ワインのようなものは、彼らが樽ごと持ち込んでくれたらしい。


 大広間の上座にあたる場所には、月人や冬馬トーマと一緒に、髭もじゃの船長とその側近らしき男たちが集い、何やら楽しげに話をしている。


(月人さまでも、あんな顔して笑うんだな)


 きっとこの商人たちは、月人の母親と同じ国の人間なのだろう。

 そう思うほど、彼らはまるで久しぶりに会った親戚同士のようだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る