第三章 ヤバいです!

第14話 お腹の薬


 夜中。

 騒がしい物音が聞こえて、夏乃なつのは目を覚ました。


 廊下を走る足音や、話し声がうるさくて眠れない。

 夏乃は寝るのを諦めて、上掛けにしていた着物を羽織って廊下へ出た。すると、戸板に乗せられた睡蓮すいれんが部屋から運び出されるところだった。


「ねぇ、どうしたの?」


 睡蓮と同室の汐里しおりに声をかけると、彼女は不安そうな顔で振り返った。


「睡蓮、夕方からお腹が痛かったみたいなの。夜になっても痛みが治まらないみたいで……」

「お腹が? じゃあ、お医者さんに見てもらうの?」

「違うわよ! 流行り病だと困るから、お屋敷の外へ出されるのよ!」


 怒ったように叫ぶ汐里を、夏乃はポカンと見返した。


「外って……どこ?」

「たぶん、お屋敷の外にある納屋だと思う」

「薬は?」

「そんなもの、使用人にくれる訳ないじゃない」

「そんな……」

「医者に診てもらったり薬が飲めるのは、ほんの一握りの人たちだけよ。あなたがどこから来たのか知らないけど、それが常識なの!」


 汐里の言葉は衝撃的で、夏乃はなかなか理解することが出来なかった。


 気がつくと、廊下には誰もいなかった。

 睡蓮が外へ運ばれて、騒いでいた人たちもそれぞれの部屋に戻ったのだろう。汐里の姿も消えていた。


(この国では、そんなに薬が高いのかな?)


 夏乃も自分の部屋へ戻ったが、とても眠れそうにない。


 日本でも、一般に薬の販売が開始された江戸時代までは、一種のまじないめいた健康法が横行していたという。

 薬が使えるのは薬草の知識がある一握りの者だけだったのだ。


(この世界って、江戸時代以前の医療なのかな? やばいやばい……)


 夏乃もお腹は弱い方だ。頻繁ではないが、時たまひどい腹痛に襲われることがある。だから常に薬を持ち歩いているのだ。


「あっ……あるじゃん薬!」


 今は取り上げられているが、リュックの中のポーチには薬の小瓶が入っているはずだ。


 夏乃は部屋を飛び出して、三階建ての御殿へ向かった。

 御殿の入口には警備の兵が二人立っていて、手にした槍のような物をクロスさせて夏乃を止めた。


「何者だ?」

「夏乃と申します。お願いします、冬馬トーマさまに取り次いでください。急用なんです。あたしの荷物がどうしても必要だと伝えてください!」


 夏乃は回廊の床に正座して訴えた。


「こんな夜中に取り次ぎはできぬ。明日の朝出直して来い」

「それじゃ遅いんです! 今すぐ必要なんです。お願いします」

「だめだ!」

「ダメ元でお願いします!」

「何を言っているんだ。ダメなものはダメだ。帰れ!」

「そこを何とか!」


 夏乃が両手をあわせた時、御殿の扉が開いた。


「何の騒ぎだ?」

 出てきたのは、夜着姿の冬馬だった。

「はっ、この娘が冬馬さまに取り次いで欲しいと騒ぎまして」

「冬馬さまっ! お休み中すみません!」


 夏乃はこのチャンスを逃すまいと声をかけた。


「うるさいと思ったら、やはりおまえか。何の用だ?」

「はい。あたしの荷物が大至急必要なんです。あの中にお腹の薬があるはずなんです。それだけ貰えれば、あとはまたお返ししますから!」

「なんだ、腹を壊したのか?」

「あたしじゃないけどそうなんです! お願いします冬馬さま!」

「まあいい、そこで待っていろ」


 思ったよりすんなりと、冬馬は夏乃のリュックを持って来てくれた。

 夏乃はリュックの中から目的の薬を見つけると、お礼もそこそこに走り去る。


「まったく、騒々しいやつだ」


 冬馬がリュックを手に御殿の中へ戻ると、廊下の奥に月人つきひとが立っていた。


「夏乃が来ていたのか?」

「はい。腹を壊したらしく、薬がほしいと言って来たので渡しました。例の小瓶に入った丸薬でしたが、以前調べた結果、毒物ではありませんでしたので」

「そうか。大事無ければよいが」

「あれだけ元気そうなら大丈夫でしょう。月人さまが心配される必要はありません」

「そうだな。確かに、いつも騒がしい娘だ」


 月人はそう言って、静かに笑った。

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