第5話 温泉


 〈お金を稼ぐ〉という目標のおかげか、夏乃なつのは貝割り作業を一週間ほどでマスターした。

 とは言え、ここでの生活には少々不満がある。


 日に二度のご飯がお粥なことも不満だが、一番の不満はお風呂に入れない事だ。まわりの少女たちは貧しい家の出身だからか、ふだんから冷たい水で身体を拭くだけだというが、夏乃は他のことは我慢できても、お風呂だけはどうしても我慢できない。


「あーあ、お風呂に入りたいなぁ」


 作業をしながら思わず愚痴がこぼれる。

 夏乃の世界はまだ夏だったのに、ここは水仕事が辛いくらいの季節だ。ならばよけいに温まりたいと思うのが人情である。


「それって、温泉みたいなもの?」


 そう言ったのは、夏乃たちが来る前からここで働いている女の子のひとりで、大人っぽい顔立ちの紅羽くれはだ。


「そうそう! もしかして温泉はあるの?」


「入ったことはないけど、温泉なら奥の海岸にあるわよ。白珠採りの男の人たちが、体を温めるために入ってるみたい」


「白珠採りって?」


「このあたりでとれる貝の中には、白くて綺麗な珠が入ってるものがあるの。それを高貴な人たちが首飾りにするんだって。この島は、白珠と紫の衣を作ってる島なのよ」


 紅羽が親切に教えてくれた。

 たぶん、白珠というのは真珠のことだろう。

 ほとんど何も知らされずに連れて来られた新顔の少女たちが、だんだんと夏乃たちの輪に近づいて話を聞きはじめている。


「ねぇ、その温泉って、入っちゃいけないのかな?」

「さぁね、秋葉あきばの婆さんに聞いてみれば?」


 秋葉というのは小太りおばさんのことだ。いつもガミガミ言われているから出来れば自分から話しかけたくはないが、背に腹は代えられない。

 夏乃は仕事終わりに小太りおばさんに話しかけ、なんとか温泉の使用許可をもらうことが出来た。



 〇     〇



「秋葉の婆さんったら『夜なら特別に許可してやるよ』だってぇ」


 紅羽が、小太りおばさんの口調を真似て笑い転げる。

 打ち寄せる波の音が静かに繰り返す、穏やかな夜。

 夏乃たち五人は、温泉があるという岩場に向かって真っ暗な浜辺を歩いていた。

 


「夜なら良いってことは、昼間は白珠採りの人たちが使うからダメなのかな?」

 手拭いをしっかりと抱えたヒナが、首をかしげる。


「たぶん、そうなんだろうね」

「でも夜だと、真っ暗でちょっと怖いね」


 夏乃がそう言うと、紅羽が笑った。


「今日は月が出てるから明るいわよ。それに、昼間だと安心して入れないじゃない」

「ああ……そっか」


 きっと遮るものなどない野外風呂なのだろう。さすがに明るいうちに真っ裸で入る勇気はないし、かといって着物を着たまま入るほど着替えも持っていない。温泉に入れるだけマシだと思わなくてはいけない。


「ほら、あそこよ」


 紅羽が指さした方を見ると、砂浜の端にある岩の海岸に白い湯気の立つ場所があった。


「やったぁ、温泉だ!」


 夏乃は大喜びで岩場に駆け寄った。

 山の方から染み出した温泉が海に流れ込んでいるのだろう。岩場の所々に、大きな石を敷き詰めて作った浴槽のようなものがある。

 夏乃たちは月明かりの中で着物を脱ぎ捨て、一番近くの浴槽に飛び込んだ。


「あー、あったかい!」

「あっ、あつっ。熱いよぉ。夏乃、よく入れるね?」


 湯につかる習慣のないヒナは、肩まで入れない。


「慣れれば気持ちいいって。体を温めとけば、寝るとき寒くないしね」


 夏乃がふんだんなお湯に髪までつけて温泉を堪能していると、その横で少女たちがお喋りを始めた。


「ここは、働き手が集まらない島だって聞いたから心配だったけど、それほど悪い所じゃなかったね」

「うん。あたしもそう思った」

「働き手が集まらないのって、〈銀の君〉の噂のせいでしょ?」


 少女たちの会話に紅羽が加わる。


「あたしは都の近くに住んでたから、結構いろんな噂を聞いたよ。〈銀の君〉は魔物で、異形の顔を見られないようにいつも薄布で顔を覆ってるんだって。だから王さまは、腹違いの弟である〈銀の君〉をこの島に遠ざけたんだって」


「いっ、異形の顔?」

「やだぁっ! それじゃ、上のお屋敷にいるのは……」

「ちょっと紅羽ったら、変なこと言わないでよぉ」


「だって、本当にこの耳で聞いたんだもん。だからここは働き手が集まらないんだって」


 紅羽はみんなを怖がらせたい訳ではなく、自分が聞いた噂話を淡々と話しているだけらしいが、夏乃は首を傾げた。


(顔に布……は、カーテンで遮られてたからわからないけど、そうだったのかな? 声は別に普通だったけど……)


 夏乃がぼんやりとそんなことを考えていると、誰かが叫んだ。


「見てっ、火の玉が飛んでるっ!」

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