第4話 〈銀の君〉月人


 控えの間に入った夏乃なつのは首を傾げた。

 奥にある部屋は広そうだけれど、控えの間との境に薄布があって中は見えない。

 夏乃はその薄布の前に座らされ、隣に座ったハクに頭をグイッと押さえ込まれてしまった。


「頭を低くしていろ」

「わかったから、押さえつけないでよ」


 小声で言い返していると、薄布が微かに揺れた。見ると、薄布の向こうには椅子に座る人影がある。あれが〈銀の君〉なのだろう。

 頭を床につけた体勢では〈銀の君〉の足元しか見えなかったが、そこにはリュックの中身が並べられていた。


月人つきひとさま、この娘が夏乃です」

「許す。顔を上げよ」


 感情のこもらない低い声が聞こえると、珀の手が緩んだ。

 顔を上げても薄布の向こうにうっすらと影が見えるだけで、〈銀の君〉がどんな人なのかはわからない。もちろん、向こうも夏乃の顔は見えないはずだ。


(月人さまっていうのが〈銀の君〉なのね)


 誰も説明してくれなかったが、冬馬トーマの様子を見ればわかる。


「あの、荷物は返してもらえるんですよね?」

「誰が口を開いて良いと言った!」


 夏乃の言葉を遮るような勢いで、冬馬の声が響き渡る。


「も、申し訳ありません、冬馬さま、月人さま!」


 怒られた夏乃よりも、珀の方が慌てふためいて、夏乃はまた珀の大きな手で頭を床に押さえつけられてしまった。


「痛いよ」

「シッ、黙ってろ」


(ほんの少し質問しただけなのに……)


 夏乃は、額を床につけたままふて腐れた。


「良い。好きにさせろ」

「しかし……」

「何でも良い、早く聞き出せ」


 月人の低い声は、どこか投げやりだ。


「はっ。では娘、おまえは何処から来た?」


 夏乃は再び顔を上げたが、困った質問に思わずため息がもれてしまう。


「何処からと言われても、よくわかりません」

「わからないだと? いかにも怪しいではないか。珀、なぜこのような者を連れてきた?」


 冬馬は夏乃のことを本気で疑っているらしい。


「冬馬さま、夏乃はおかしな娘ですが、決して間者や刺客などではありません。どうか信じてやってください!」


 必死に夏乃を庇う珀の横顔を、夏乃はぼんやりと見つめた。


(あたしのことで、珀が咎められるのは可哀そうだなぁ)


 まだ知り合ったばかりだけれど、珀のことは嫌いじゃない。初めは怖いような気がしたが、見た目の割に優しい所があるし、何より話しやすい。

 珀のためにも、夏乃は自分の潔白を主張することにした。


「あのぉ……」

「何だ?」


 冬馬の鋭い声が飛ぶ。


「信じてもらえないと思いますが……あたしは日本という国から来ました。

でも、たぶん、歩いたり船に乗ったりしても行けない場所にあります。こことは全く違う世界だと思うんです。そもそもあたしがここに来たのも、どうやって来たのかわからないんです」


「いきなり、船の上に降って湧いたという話だったな」


 冬馬の言葉はいちいち癇に障る。


「────では、そなたは異界から来た、ということか?」


 そう言ったのは月人だった。

 今まで興味無さそうに聞いているだけだった彼が、急に質問をしてきた。


「はい。だからあたし、帰る方法を探さないといけないし、元の世界に戻るときには、その荷物を持って帰りたいんです。返してくれますよね?」


「そなたの嫌疑が晴れたら、すべて返そう」


 月人の言葉に、夏乃は眉をひそめた。


「嫌疑って?」

「おまえが〈銀の君〉に危害を加えないか確認してから、という意味だ」


 相変わらず不機嫌丸出しの声で冬馬が答える。


「それなら大丈夫です。ここでしばらく働かせてもらったら、すぐに出て行くから。さっき珀に言われたの。帰る方法が見つかるまではお金がないと困るって」


「なるほど。金を稼いだらすぐにでも出て行くということだな?」

「もちろんです!」


 冬馬はホッとしたように、少しだけ表情を和らげた。


「ならばすぐにでも────」

「冬馬、私は誰にも危害を加えられたりはせぬ。それほど弱くはない。人手が足りぬのだろう? その者は好きなだけ働かせるが良い。珀、面倒を見てやれ」

「はい、月人さま!」


 興奮した珀に頭をつかまれ、夏乃は三たび額を床に擦りつけられた。


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