鏡と少女

海月^2

鏡と少女

 銀に縁取られた鏡の中で少女は目を伏せていた。長い睫毛と細い線は繊細さを際立たせ、微動だにしない姿は少女から人間らしさを奪った。まさに人形だった。

 私の上げられた手に重ねるように、少女の手も上がっている。皺一つない、綺麗な肌は光の反射で白飛びしていた。私とは大違いのその姿に頭が痛む。

 私は少女を知らなかった。私の記憶の中にいる私は、肌が焼けていて豪快に笑っていた。けれど、どこか過去の私に似ている部分もあった。

「貴方は誰?」

 少女は答えない。ただ、私と同じように口が動いただけで、それ以外はやはり人間らしさを失っていた。鏡の中の少女は微動だにしない。

 少女の瞳の色は分からなかった。少女の伏せられた目は余りにも細くて、地毛であろう睫毛が重そうに被さっていた。少女の口角は真っ直ぐだった。少女の手は上げたまま下げられなかった。少女の後ろ髪は緩くカーブしていた。少女の前髪は美容院で切ったばかりのように綺麗に切り揃えられていた。少女の手足はアイドルのように細かった。少女の表情は何かを憂いているようだった。少女の、少女の、少女の。少女の姿は儚くて消えてしまいそうだった。

 どうしたって生きている姿が想像も出来なかった。こんなにも美人なのに、幸せに生きている姿がどうしても想像出来なかった。

 少女は顔を上げた。視線は弱々しく揺れて、私の方を見れないでいる。

「貴方は、どこの私?」

 少女はぽつりと呟いた。

 分からない。少なくとも、この世界にパラレルワールドのような概念はあっても、その存在は確認されていない。少女は目に雫を溜めながら、それでも零さないように言葉を紡いだ。

「どこの私なら幸せになれるの?」

 縋るような目に、私は困った顔をした。分からない。たぶん、私は今の彼女よりは幸せなのだろう。手に職があり、可愛がっている後輩もいる。けれど、あの地獄のような職場で働くことが幸せかと聞かれれば、それは違う。あれは幸せなどではないと私の常識は言っている。

「分からないよ」

 少女は再び目を伏せた。そうして視線を漂わせて、手を下げた。すると、鏡は普通の鏡に戻った。歳をとった私の姿と、背景の静寂を映している。

 少女の言葉を思い出した。どこの私なら幸せになれるのか、それは私にも分からない。私は再び手を鏡に添えた。銀の縁が鈍く光って、痣だらけの少女が鏡に映っていた。やはり知らない少女だった。

「……はじめまして」

 少女は縋るような目で私を見た。私はそれに口角が動かないように注意しながら言葉を発した。

「貴方は、どこの私?」

 少しだけ、ほんの少しだけ気分が良かったのは、道徳心が薄いからだろう。私は今日も、不幸な少女を自己肯定感に埋め込んだ。

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