2 抹茶ラテ


 雪宮桂月はそれなりに長い歴史を持つ裕福な家に生まれた。

 幼少の頃から衣食住に困った事はなく、そういう意味では桂月は幸せだったのだろう。

 けれども人間として見れば、その生活は最悪だった。


 雪宮家にいる頃の桂月は家畜のような存在だった。

 家のために生かされ、家のために学ばされ。個人としての自由はほぼなかった。

 何もかもを家に決められて、自分はそのレールの上を、犬のように首輪を嵌められて、鎖で引かれて歩くだけ。

 

 そんな桂月が唯一、自分の意志で手を伸ばしたものがあった。

 家族を失って独りぼっちで雪宮の家に引き取られた、アヤカシと人間の間に生まれた子供――夏生黎明である。




 ◇ ◇ ◇




「ひーふーみー、うーん、素晴らしい。色を付けてくれている、さすが大和守護隊は羽振りが良い!」


 仕事を終え自宅兼事務所である桂月霊能事務所へ戻った桂月は、革張りのソファーの上に寝転びながら札束を数えていた。

 大和守護隊から受け取った今日の分の報酬だ。

 竜胆の花を模したデザインの封筒から、半分だけ顔を出した札束はなかなか分厚い。

 桂月は上機嫌に、その札束にキスをした。


「ん~~。いいですねぇ、やっぱり頑張った仕事の報酬はこれくらいじゃなきゃ」

「そんな事言って、あちらさんからはかなり苦い顔されたじゃないですか。報酬上乗せのエグイ交渉したせいですよ?」


 そうしていると、キッチンにいる黎明から少々呆れたように言われてしまった。

 その言葉に桂月は心外な、と言わんばかりに口を尖らせる。


「あちらが最初に値切ろうとしたからですよ。ちゃんとした金額であったならば私だってそのまま受けました」

「あ~、そう言えば経理担当も新人さんになったんでしたっけ?」

「ええ。同じ新人でも百合さんは何だかんだで、真面目にお仕事をしてくれますからね。ああいう風に最低限の礼節を守ってくれる相手なら、私だって尊重しますよ。それなりにね」

「それなり……」

「人付き合いというのは距離感が大事ですから」


 ふふん、と胸を張って言えば、黎明は肩をすくめる。


「何です、その反応は」

「べーつーにー」

「まったく、お前は本当に愛想が無い……」


 思わず桂月が半眼になっていると、ふわり、と何やら良い香りが漂って来た。

 桂月の好きな抹茶ラテの香りだ。おや、と思って桂月は身体を起こす。

 どうやら黎明はキッチンでそれを作ってくれていたようだ。

 見ていると、彼は両手それぞれにマグカップを持って、こちらへ向かって来る。


「気が利きますね、黎明。花丸をあげましょう」

「そりゃどーも」


 そう言いながら黎明は片方のマグカップを桂月に差し出して来る。

 桂月がそれを受け取ると、黎明は隣のソファに腰を下ろした。


「ああ、良い香りだ」


 すう、と抹茶ラテの香りを吸ってから、一口飲む。

 抹茶の味と優しい甘さが口の中に広がった。砂糖の量も桂月の好みの味だ。

 自分の事をちゃんと理解して淹れてくれている。それが嬉しくて桂月は口の端を上げた。


(……ああ、好きだな)


 しみじみとそう思う。

 抹茶ラテだけではなく、夏生黎明と言う男の事を桂月は好いていた。

 人として、相棒として、そして――恋愛的な意味でだ。


 ただ、それを言葉にして伝えた事はないし、本人に伝えるつもりも桂月にはなかった。

 黎明自身に一度も聞いた事はないが、恐らく彼は異性が恋愛対象だろうと桂月は思っている。

 だから桂月のそういう好意を伝えたところで、黎明を困らせるだけだろう。

 ……正直に言えば、好意を伝えて黎明から「気持ちが悪い」と言われたら、という恐怖があるのだ。


 桂月だって別に、元から同性が好きというわけではない。というより誰にも興味がなかった。

 そんな桂月が、ただ単純に惚れた相手が黎明だったというだけだ。

 報われたら嬉しいと思うし、報われたいと願う気持ちはもちろんある。

 けれどもそれを伝えて、断られて、その後ずっとギクシャクするくらいならば、今の関係を維持した方がずっと良い。

 だから桂月は自分の想いに蓋をして、心の中に仕舞っている。


「――って事でですね。……あの、桂月サン? 聞いてます?」


 そんな事を考えていたら、少しぼうっとしていたようだ。

 黎明に声を掛けられて、桂月はハッと意識を戻す。


「すみません、ちょっと考え事をしていて。何でしょう?」

「最近妙に山吹区での事件が多いですよねって話です」

「ああ……それは確かに。ここ二週間で三件も同じ場所で起きていますよね」

「ちょっと異常ですよね」


 黎明はそう言って抹茶ラテを一口飲んだ。

 彼の言う通りここ最近、同じ区でアヤカシ絡みの事件が立て続けに起きている。

 普通ならば、アヤカシが一度事件を起こした場所では、同じ事件が起こる事は少ない。

 アヤカシが事件を起こした場所は『霊障』というものが起きる。何もないのに迷子になるとか、火が出るとか、そんな異変が、アヤカシが消滅する際に出来る残滓ざんしで起こるのだ。


 その残滓は、都度、大和守護隊がそれぞれの体内に流れる霊力を用いた術で浄化している。彼らの手に負えない時は桂月も手伝っている。

 そうして一度浄化されると、しばらくアヤカシはそこに寄りつかないのだ。

 アヤカシの血が半分流れる黎明いわく「何か落ち着かないんですよね」との事である。

 落ち着かないくらいならまだマシだ。特に悪さをするアヤカシにとってはだいぶ不快な体調になるらしく、しばらくその場に近付かなくなる。

 だから、本来であればしばらくは安全なはずなのだが……。


「誰かがアヤカシを使って事件を起こしている、と考えて良いかもしれませんね」

「そうだとしたら、よっぽど居心地の良い飼い主なんですねぇ」

「そうですね。この私のように」

「よく言う」


 自身の胸に手を当てて自画自賛してみせれば、黎明は肩をすくめた。

 もちろん桂月的には単なる冗談である。

 居心地が良いと思ってくれているなら嬉しいが、さすがにそこまで桂月は自分に自信がある方ではない。

 特に、黎明に対しては。

 相手の反応を見るような振る舞いをして、黎明の中にある自分への印象を計ろうとする程度には臆病だ。いわゆる惚れた弱みという奴なのだろう。

 強気で傲慢な振る舞いをしてはいるが、本当に嫌われるのが怖いあたり、どうしようもなく情けない。


「だけど、あんたが良い飼い主なのは確かですよ」

「えっ」


 すると黎明はそんな事を言った。思わず桂月は目を丸くする。


「衣食住も充実していますし、ちゃんとご褒美ボーナスもくれるでしょ」

「それは雇用主として当然の事ですよ」

「俺には当然じゃなかったんで。だから、あんたは良い飼い主です」

「…………」


 真っ直ぐに褒められて桂月は少し照れた。

 そう言う事を平気な顔で言うのだから、とんでもない狐である。


「……ハァ。黎明はとてもモテそうですね」

「はぁ。まぁ、近所のおばちゃんやおっちゃん達からは、お裾分けをたくさんもらいますけどね。昨日の漬物と、一昨日の肉もそうですよ」

「ああ、あれ美味しかった……。いや、本当にモテますね」

「浮いたお金で別の食材や日用品を買えるんでありがたいですね」

「お前ね……。……この愛想のない男のどこに、皆惚れるんですかねぇ」


 自分も含めて、ではあるのだが。

 もちろん桂月は黎明の良いところをたくさん知っているので、惚れる要素はあるけれど。


(……何で私は自分で自分に言い訳をしているんだ)


 それこそ情けない。そう思っていると、


「ちなみに今日はその浮いたお金で、大和エビのフライです」


 黎明が思い出したように今日の夕食のメニューを教えてくれた。

 ぱっと桂月の顔が明るくなる。


「最高じゃないですか、花丸をあげましょう!」


 大和エビの料理は桂月の大好物だ。とたんにウキウキしながらそう言うと、


「そりゃどーも」


 黎明は先ほどと同じセリフを、今度は珍しく小さく笑って言ったのだった。

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