第4話   初日からパンク3連発


「ふくらはぎ」がつってしまった経験はたくさんある。小学生の頃から大人になり、老年といわれる年になってしまった今までずいぶんと痛い思いを繰り返してきた。他の人たちはそんなことはないらしいので、個人的な特質なのかも知れない。なににしろ、ふくらはぎがつると泣きそうなほどに痛い。脚を伸ばせないままでうずくまり悲鳴を上げてしまいたくなる。


 入学式から三日後、陸上部に入部した。

なぜか顧問の先生にまで、野球部じゃないのかと言われる始末だったが、野球には区切りをつけたのだ。

陸上は人気のない部活動だった。陸上競技自体は小学校の頃から運動会などでなじみ深い競技が多いはずなのに、人気はマイナーすぎるくらいにマイナーだ。その頃はよく言われていたように、卓球と同じ地味なスポーツなのだろうか。特殊な能力を期待されている閉ざされたスポーツと思われているのかも知れない。

たしかに、球技を中心とするゲームの楽しさを味わえるスポーツにはかなわないのだろう。それでも、陸上競技にはそれなりの楽しさや奥深さがあるのだが、人よりも優れた能力を持っていると信じてしまった人か、他の競技は得意じゃないから陸上でもやってみようか、というぐらいの部活だと思われていたこともあったのだろう。


 放課後たった一人で部室に行き、先輩方の歓迎の言葉……もなかったわけではないが、すぐに練習に出発となった。相棒は一人だけ。札幌出身のM君であった。彼は体の柔軟性に優れていた。その日の練習は近くにある公園まで走って行くことから始まった。二人だけの1年生である私とM君はスターティングブロック(スタブロと呼んでいた)と薄い布の袋に入った砲丸の玉とを両手に持ってのスタートとなった。公園までは3㎞程の距離だが、私の脚はその往復の間に3度もつってしまった。

中学時代に野球部では5㎞くらいのランニングを毎日のようにやっていた。それなのに、たった3㎞を往復する間に3回もふくらはぎがつってしまったのである。確かにまだ寒い時期ではあった。だが、それ以上に受験勉強の期間(本当はそんなものしなかったのだが)にすっかりと体がなまってしまっていた。

 一度目は走り出してまもなく。校舎の裏口を抜け、信号を渡り3丁程走ったところで、横道から急に現れた自転車を避けようとストップしたとたんに、左脚ふくらはぎに激痛が走った。持っていた砲丸の玉が入った布の袋を歩道に落としてしまった。アスファルトに小さなへこみができ、布の袋には焼け焦げたあとのようになって小さな穴が空いてしまった。つってしまった左脚を曲げたまま、その場に腰を落とし、走り去っていく先輩達に「ア、ウー!」という悲鳴で合図を送ったが気づいてくれない。歩道の端にはまだ溶け残った雪があり、路面も少し濡れていたが、その場に座り込んでしまうよりほかなかった。


 信号を一つ通り越してから気づいたらしく、3年生の先輩一人が笑いながら戻ってきた。

「つった?」

「すいません!」

立ち上がろうとする私に

「初日だからな!」

と優しい言葉、と思いきや

「真っ直ぐ行ったら歩道橋あるから、手前を左に曲がれば公園見えるからな。治ったら来いな!」

歩道に転がっている砲丸にも、左手に握りしめたスタブロにも目をやることなく、見事に軽やかなスタートをきって彼は走っていった。


 手ぶらで軽快に走り去る先輩の後ろ姿を目にし、「高校生なんだから、自分でやらなきゃ。当然だろう」と自分に言い聞かせていた。初めての土地、初めての部活動の日に、情けなさと冷たさと心細さとが入り交じった気持で、ようやっと伸ばせるようになった左足をさすり続けた。ふくらはぎの「つり」は脚を真っ直ぐに伸ばしてつま先を上に向け、凝り固まった筋肉の部分を強くさすってやると何とか歩けるようになった。立ち上がってストレッチを繰り返し、屈伸を何度かしてから砲丸の袋を拾ってまた走り出した。買ったばかりの学校指定ジャージの尻の部分が濡れていて気分は最悪だった。

「これ以上惨めな姿は見せられない」

「同じ1年生のM君は大丈夫なんだから」

何度も頭の中でそう反芻しながら、歩道橋の手前を左折し無事公園に到着した。中学時代には陸上の本格的な練習なんかしたことのない私にとって、次に何が待っているのかが大きな不安だった。まして初めから脚をつってしまったかっこ悪さを見せてしまった。そんな気持ちが合わさって、益々気持が入りすぎてしまったようだ。私が到着したときには、みんな体操も終わり、ランニングの基本練習に入っていた。

 野球場の外野フェンス沿いに8分の力で5往復。スタブロを使って30メートルのダッシュを10本。助走をつけた坂登り走を10本。両足をそろえた連続ジャンプ10回を10本……の途中でまたしても、左脚ふくらはぎがつってしまった。外野の芝生はしっかりと濡れていた。それでもつってしまった脚の痛さには転がるしかなかった。背中はぐっしょりと濡れた。

冷たかった。


「しばらく座ってれ!」

「またかい?」

先輩達のあきれた様子が、私にはふくらはぎの痛さ以上に辛いことだった。

「格好悪いとこ見せられない……」

ゆっくりと脚を伸ばす。痛さをこらえてストレッチを繰り返す。

「何とかしなければ……」

その気持だけでジョギングを開始した。

 公園での練習が終わりに近づいた頃、霧のような冷たい雨になった。早めに切り上げて学校に帰ることになり、またしても砲丸とスタブロを両手に持って学校へとスタート。

「今日はもう2回もつってしまった。最後はしっかり走りきらなければ……」

そんな気持がかえってダメだったのか、公園から出て車道を横切り先輩達の走りに追いつこうとしたとたんに本日の3回目がやってきた。

もうダメだった。来るときと同じ先輩が今度はスタブロと砲丸を持ってくれた。M君は他の先輩達と共にはるか先に小さく見えていた。歩道に転がったまま「すいません」と俯き、顔をしかめる以外何もできない自分がいた。


受験以来札幌に負け続けていた自分がいた。

緊張、張り切りすぎ、劣等感……。

自分の力以上のものを出したかったのかも知れない。

自分の力のなさを認めたくなかったのかも知れない。

いや、そんなことよりも、濡れた歩道に転がっていたのは、新しい暮らしに慣れない自分の気持ちそのものだったのかも知れない。

 

そんなわけで、一日に3回も脚をつってしまった男というありがたくない印象と共に、私の陸上員としての生活が始まったのだった。

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