第2話
「……あ、お久しぶりです」
学校終わり。全国的には放課後、と言うのだったか。俺は常日頃から避けていた存在に遭遇していた。
「うっす。今日は遅いんすね」
部活が終わって帰路に着いたのだが、なんとそこで例の女神様と遭遇してしまった。
ここは学校から離れた場所なため、ウチの生徒は周りに居ない。それでもどこから見られているのか分かったもんじゃないため、正直今すぐにでも走って帰りたいのだが、そんな事を考えているうちに彼女が隣に立ってしまったため諦める。
「先生から手伝いを頼まれまして。そうこうしているうちにこんな時間です」
「お疲れ様です。大変っすね、女神様ってのは」
と彼女を労った瞬間、なぜか彼女は不機嫌そうな雰囲気を放った。
「……それ、辞めてください」
「それ?」
何か彼女の逆鱗に触れる事でも言ってしまっただろうか。地雷は避けたつもりだが。
「女神様ってやつ、恥ずかしいので」
「ああ、そういうことですか」
どうやら、慈愛の女神と称される彼女はその名を嫌っているらしい。確かに、同級生から神様と崇められるのは恥ずいよな。
「以後気をつけます。清水さん」
「という言葉を過去に五回ほど聞いているのですが。その件については」
「なんのことっすかね」
そう、俺たちは今日初めて会ったわけではない。出会いは入学してから少しした頃だったと思う。それ以降何度か顔を合わせているのだが、その殆どで女神呼びは辞めろと注意を受けている。
それでも俺が女神様呼びをするのは、特にこだわりがあるだとか深い理由ではない。単純に話す度に忘れているのだ。
しょうがないだろ。彼女と話す機会なんて一年に片手で数えられる数なんだぞ。そんなの忘れるに決まってんだろ。
「まあいいです。そちらは部活でしたか?」
「まあ、そぅす」
一応、俺は部活に所属している。それも水泳部だ。珍しいだろう、そうだろう。
「お疲れ様です。調子はどうですか?」
笑みを浮かべながら労ってくれる。これが優しいと言われる片鱗なのだろう。
「まあまあっすかね。そちらは相変わらず大変そうですよね」
今日の昼放課を思い返して、素直な感想を伝える。あの人数に囲まれるのは流石に疲れるだろう。ピンピンしているこの人がおかしいのだ。
「皆さんに慕われるということに悪い気はしませんよ。確かに大変ではありますけど」
その顔は、嘘の顔では無かった。今までの偽りの顔ではないため、本心からそう思っているようだ。
「なんつーか、清水さんって学校の時と雰囲気変わりますよね」
と思ったことをそのまま言っただけなのだが、女神様はギクッという音が流れそうな顔をした。
「そ、そんな違います?」
「いやまあ、俺が敏感すぎるだけだと思うんで、気にするほどではないと思いますけど」
「そう……ですかね」
個人的には今の方が楽だ。あの恐怖は感じないし、彼女もこっちの方が楽そうだしな。
どうして彼女があんな偽ったような表情をしているのかだとか、何故今その仮面が剝がれかけていることに焦ったのかだとか、聞きたいことは山ほどあるが、それを聞けるほど俺達の仲は深くないし、そもそも女性の隠し事は何も訊かないのが男ってものだろう。
「あ、着きましたね」
そんなこんなで、俺達が住むマンションに到着した。
「ほんと、光月さんには感謝しかないです」
どうやら一階にエレベーターがあったらしく、ボタンを押すとすぐに扉が開いたので、二人並んで中に入る。扉が閉まって自分の階のボタンを清水さんが押すと、エレベーターは静かに動き出した。
「どしたんすか、急に」
突然、女神様が苦笑した。
「いえ、私が平和に私生活を送れているのは貴方のおかげですから。感謝しないとな、と」
「俺はそんな大層なことはしてないっすよ」
と否定したのだが、それを更に否定される。
「だって、男子の皆様なら夢のような展開じゃないですか?私達の現状って」
エレベーターが停止し、扉が開いたので廊下に足を踏み出した時、彼女が笑った。
……まあ、確かにその通りなのだが。
「自覚してんすね。実は」
「あそこまで言われれば、流石に」
と二人して互いの家の扉の前で笑う。
そう、俺達はお隣さんというやつなのだ。
その事を知った時は目ん玉が飛び出るほど驚いたものだ。なんたって、学校の女神様が隣に住んでいるのだから。
かといってそれを言いふらすのは彼女に迷惑がかかるし、俺は他人の家を晒すような人格が出来ていない人間ではない。
だから二年生となった現在でも彼女とは一定の距離感を取っているのだ。親しくなってしまえば、口を滑らす可能性があるから。
きっと彼女はそのことに感謝をしているのだろうが、これは当たり前のことではないだろうか。少なくとも俺はそう考えている。
「それじゃ、またいつか」
「はい。そのうち」
と言って、二人とも部屋に入る。
俺達の挨拶はいつもこれだ。当然だろう。別に仲が良い訳でもないし、なんならお互いに仲良くならないように気をつけているのだから。
今回のようなことは当分起こらない。だからこその「またいつか」であり、絶対不干渉という二人の約束を誓った「そのうち」なのだ。
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